死にたいとか、生きるの疲れたとか言ったら
「生きていたらいい事があるよ」と言われたりするけども、じゃあそのいい事って一体いつになったら実感できるのかな。こんばんはだらくです。

あのね、小さないい事があっても、それで「うわーい」って素直に喜べないんですよ。そんな小さないい事があったくらいじゃ拭いきれないくらい辛いわけです。

だから、その内いい事あるよなんて言われても、その辛さが拭えない内はいい事があっても心にじんと来ないというか、鼻で笑うしかできないのであります。

あくまでもだらくの話ですが。


じゃあどないすればええんや!
と、そう思う方もいるでしょうね。
うん、もう「そっか、辛いんだね」位で軽く流しといてくれたらいいよ。

否定するわけでもなく、かと言って肯定するわけでもない。
それで良いんじゃない。
よくわからんけど。笑


話し変わります。

今日は凄く真面目なお客さんが来ました。

飲みに出るのは飲み会の時だけ。
休まずに仕事に行って、仕事が終われば真っ直ぐ帰宅。
休みの日には家族の為に料理を作って、洗い物も自分でする。
娘が服が欲しいといえば購入。
娘や嫁が連れてけと言った場所には送り迎え。
娘の部活の遠征の時は率先して付き添い役をかう。

偉いね。
出来たお父さんだよ。

そのお客さんが少しだけ愚痴を零した。
でも愚痴を言ったことを後悔し、俺みたいにこんな所で愚痴を零すような奴とは結婚しない方がいい。と、言ってきた。

プライドが高いのか、真面目なのか、はたまたアホなのか。

よくわからないけど、何で愚痴を言っちゃいけないんだろう?
明日頑張るために、愚痴は必要だと思う。
そんだけ真面目に生きてきたら、そりゃ疲れるでしょうよ。たまの飲みの席で愚痴を零す位なんてこったないわ。愚痴れ愚痴れ、でもって明日からまた家族の為に頑張れ。

名前しらないけど(ホステス失格ですな)