あけましておめでとう、からなんにも触ってなかったね。
お久しぶりに書いてみようかな…。
大学の方は単位ギリギリだったけどなんとか食らいついて、単位数も少し余裕を持って無事に卒業することができました。
式はわりとぼっちで辛かったけど…袴を部活の友達がえらんでくれたから出ましたちゃんと。
この子らに出会えてなかったらリタイアしてたかもしれないと本当に思う。
感謝感謝ですね…。
結局就活らしいことは1回合説行ったっきりで、卒業と同時に前のバイト先も辞めたのでずっと宙ぶらりんです。
4月から新しくバイトをしようと思ってたのに体調を崩しタイミングを逃し…。
風邪で40℃超えとかびっくりする。
そして、ここからは悲しいおはなし。
今年3月末くらいから入院中だった祖父を何度かお見舞いに行ったりしてた。
「わし今年いっぱいしか生きられへんて先生に言われたんやで」
って聞いてなんて返せばいいか分からなかった。
詳しくは聞いてないけど胆のうだったか肝臓?なんだったっけ…。
うん、なんかめちゃくちゃお腹痛くなったらしく救急車で運ばれて摘出手術までしたみたい。
おへその横あたりに大きな傷があるのを祖父は見せてくれました。
きっとそのまま他に異常がないか検査をしたんだと思うんだけど。
ガンが見つかったって。
今年4月に81歳になったけど、老いはそりゃあったけど元気な方だったと思う。
お見舞いの帰り際に手を握りあったけど自分より握力あるんじゃないかと思うくらい力強かった。
でも管も繋がってて好きなようには動けなかっただろうし、治療も辛かったのかもしれない。
好きなご飯も食べれてない感じだった。
病院には3.4回は行ったかな…。
5月に入って自宅療養にきりかわった。
ある土曜日に父が祖父のために頼まれた荷物を持っていくといって家までいった。
場所的に車を放置できなくて自分は車で待機してたんだよね。
あの時自分も祖父に顔を出せばよかった。
その2日後に父に電話が来て急いで家を出て行った。
また救急車で運ばれたって。
夜勤明けの母が帰ってきて自宅待機。
祖父のために千羽鶴を折ろうと土曜日から黙々と折ってた。
けど祖父の元に直接届けることができなかった。
亡くなったという連絡、信じられなかった。
とにかく手を止めないで鶴を折り続けた。
その日の夜、祖父の顔を見に葬儀場に向かった。
冷えた小さな部屋に綺麗な布団が敷いてある。お線香の匂い。
白い布を祖母がめくると幸せそうに笑ってるような顔をした祖父。
祖母は泣くと泣きグセつくからって言ってたけどどうしても我慢できなくて。
この前までいた人がそこには居るんだけど、いない。数週間経ったけど、身近な死を目の当たりにしたけど、死ぬってなんなんだろう。よく分からない。とにかく悲しい。辛い。
話を聞くと病死ではなく自ら、だったらしい。
またあんな辛い場所に戻されるならと考えたのか。いつも寄り添っていてくれた祖母を思ってなのか。これは本人にしか分からないことですが…。なんとも言えないですね。
看病していた祖母も病院通いで、祖父が入院してから一気に年老いた感じがした。次は祖母が倒れるんじゃないかと心配だったし。長い入院生活になってたら祖父母共に…ということも…。
うーん…。
お葬式等では受付を妹とやったりして、いっちゃったのかおじいちゃん…とまた実感がなくなってた。お花いっぱいあってTVでよく見るかんじで写真があって。
でも出棺前に花を入れていくときにまた泣いてしまっていた。千羽鶴も徹夜してなんとかこの時に間に合わせて、祖父と一緒に入れてもらった。綺麗な顔だった。
亡くなってから火葬まで、あっという間だった。すごく。
父が泣いている姿を見ていない、自分ばっかり泣いてしまった…。
整理したくてつらつら書いてしまいましたが…今は元気です。
誰かが亡くなったって時間は止まってはくれないんですね。明日は、日常は容赦無くやってくる。
頑張って折った千羽分の鶴できっとガンも治ってくれたはず…。
そしてそして、新しいバイトのために先日面接に行きました。結果待ち…。
なんとなく興味が湧いてきたパン屋さん関係をあたっていくつもり。
完全に同級生からは置いてけぼりだけど、出来ることから頑張っていこう。頑張れよ自分。
とりあえず、終わり…。