こんにちは、彼方です(*´∇`)
睡眠ログを付けてみて、私に睡眠リズムは無く、マイペースに生きているみたいだなぁと解りました(^-^)♪
今日で6日めです。なかなか面白いです。
自分を知るというのは大切な事ですね。
自分を知る為のノートも付けていますが、こちらも面白いです(ノ∀`)
今日は塗り絵。
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井田千秋さんの『森の少女の物語』より、宵闇の中で配達に来てくれた郵便屋さんを塗りました。
おうちから灯りがこぼれる事で、あぁ夜になりつつあるか夜なんだなぁと見えるのが表現の面白いところです。
もしかしたら、早起きした少女に早起きの郵便屋さんが来たところかも、しれません(ノ´∀`*)
ちなみに、塗る前は灯りは全くありません。
この塗り絵本は2枚同じ絵柄が綴られているので、塗った後と塗る前を誰かに見せてみたいです(*´ω`*)
まっさらな状態と“私の世界”が解るかもしれません。
人には見方が偏る時がありますね〜〜
起きた時、外が薄暗かったら早朝だと思うでしょうか。夕方だと思うでしょうか。
他人に影響がある時、見方が偏っていると、困る時もあるかもしれません。
日本は“察する”文化が強くて、見方が偏っていても“察した”つもりになっている場合が多いですね(;A´▽`A
見方が偏る、片面或いは僅かな部分からしか見えていなくて、本当はそれで判断した事を“察した”と自分で思っているのかもしれません。
私は最近、「この状態の人が10人いたら私は何を察するだろう」「どう言葉を掛けるだろう」と“見える部分”を脳内で“広げて”みています。
例えるなら、“産婦人科で女性を見た”だけで、「元気な赤ちゃんが生まれるといいですね!」と言葉を掛けるのは、早まっているかもしれません。
見方を広げてみて、産婦人科で10人の女性を見たら、その10人が10人全員同じ理由でそこにいるとは限らない、と私なら想像しますね(σ*´∀`)
そうなると、掛ける言葉は「身体は大切にされて下さいね」なんて言葉が出て来ます。
察し過ぎず、でも察するところはしっかり察するのは見方を広げてみるのも大切かもしれません。
産婦人科にいる=妊婦さんだろう、
は、察しているのかもしれませんが、思い違いなのかもしれませんからね(^-^;)
いつも来て下さる方々、拍手を下さる方々、ありがとうございます(*´∀人)
ではまた(≧▽≦)ノ
話題:ぬりえ