こんにちは、彼方です(*´∇`)
久々に「トラブル」の事を書こうか、、と思いましたが「全ては嬉しくてたまらないくらい、上手く回り始めました(*´ω`*)♪」
仲間内に戻ってから、ひと悶着ありましたが、あるがままにありのままに、時間が掛かって実るものもありますから、
起きた事は全て良い事、と考えてみました(^-^)♪
最近頑張って勉強していますが、やっぱりそう考えるのは大切な事のようですよ。
それが出来ない人が「こうした方が良い」「ああした方が良い」とアドバイス下さいますね(;A´▽`A
痛みや苦しみを味わうより、痛みや苦しみを知らない人間のほうが怖い気がします(_ _)
人は自分が経験したり、見たり聴いたりした事でないと想像は難しい気がしますから。
今日は塗り絵。
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ブログにはUPしていない筈です…
秋田の県花、ふきのとうを塗りました〜( ´ ▽ ` )ノ
秋田ではこれは野生のもので、春先の雪が解けたような頃に野原に顔を出し始めます。
お手本有りの塗り絵で、ポストカードサイズ、
河出書房新社の「大人の塗り絵」、佐々木由美子さんの「冬の花と実編」です。
Twitterのフォロワー様に佐々木由美子さんの塗り絵をとてもお上手に塗られる方がいらして、興味が湧いてポストカードを買い…これは時間を掛けてシリーズをじっくり集めたいものです(ノ´∀`*)
私もファンになりました(^-^)♪
相変わらず、感情の感じ取れない人間として生きていますが、その方が良い事も沢山あるなぁと思うようになりました(*´ω`*)
「察する事が出来るのは大事なこと!」と私にそれをやれという方は今までに友人知人で何名かいらっしゃいました…
友人知人は「私は察してる!」との事でした。
察する事が出来るのは大人であれば、大切だろうなぁとは思います。
でも「察してる!」から出た発言を聴いてみると、何の証拠があってそう思い込んだのか、ただの思い込みでは無いか…という事ばかりです、何故か(;・ω・)
私は感情が感じとれない為に文字か行動からしか察する事が出来ませんから、「証拠が一応はある」から「察しを付けている」になっています。
「証拠がはっきりある」の時は「察し」は当たりでした。
私自身は統合失調症ですが、
周りの「察してる!」という人の発言だけ聴いていると、ありもしないものをあると信じ込んでいるそういう方が、失礼ながら病気では無いかと見えています…
しかも、私に押し付けて何かを求められても困るような事ばかりです。本人の頭の中にしか無いものなので(^-^;)
「察する」は自分でやるもので、人に「察しろ」というのは甘えん坊ですね(;A´▽`A
大人であれば、何らかの形で表現出来ますが、伝わって欲しい事でも相手が解らないとして、
相手のせい、とは私は考えません。
私側に何か足りないのかも、と考えます(_ _)
いつも来て下さる方々、拍手を下さる方々、ありがとうございます(人´∀`*)
ではまた(≧▽≦)ノ
話題:ぬりえ
明日は病院です。
バレットジャーナルを持って、行って来ます(*`・ω・)ゞ
こんばんは( ´ ▽ ` )ノ
コメントありがとうございます♪
私は、精神的な病気の人が増え始めたのはこの世界のサインである、と思います(≧ω≦*)
変わらないもの、変わらないと思われていたものが変わって行くかもしれない、と思っています。
それは、立場が弱いとされている方々が鍵である、と思っています。
とある収容所で生き残ったのは、頑強な身体の方でも、びくともしない精神の方でもなく、繊細な精神の方々が多かったそうです。それがヒントですね。皆さん、鍵が目の前にあると解っているように見えています(^-^)♪
体験、経験ってとっても大切です〜♪
人生は全て足し算になる、ありがとうは何に掛けても足し算になる、も最近思いました(*´ω`*)
なので、辛いや悲しい、苦しい、泣きたい、病気になるくらいという気持ちも決してマイナスでは無いですね。誰かに向ける優しさにいつか、変わります(*´∀`)♪
私も、直接会うと見えないものがあるといつも思います〜(;A´▽`A
症状もありますが、文字の世界のほうが私も解り易いです。
自分も然り、私もです(_ _)
昔の自分のブログを読み返す、私もやります。当時の自分が解りますね…だから、今も頑張れています♪( ´∀`)人(´∀` )♪
自分から変化する人、変化しようとする人以外を変化させるのは難しいです…と昔は思っていましたが、だったら私が変われば、変化せざるを得ない、です(ノ´∀`*)
池に石を落とすと波紋が拡がるように、近いところからどんどん変わって来ています。嬉しい学びです。
こちらこそ、今日もありがとうございます(人´∀`*)
そうなんですよね。
精神的な病気のひともそうではないひとも、両方共みんなが、自分の思い込みや自分がそう思っていたいことにとらわれています。
精神的な病気のひとはそれが相当強く偏っているだけで、バランスさえ取れるようになるとものすごく良くなってしまうと思います。
あたしもそれに気づいたとき、目から鱗のような驚きと、急に楽になって、なぁんだこんな簡単なことだったのか〜、自分は馬鹿だったなぁと大笑いしていました(笑)
みんな、それぞれの体験経験をしながら、それぞれ繰り返しをしながら、それぞれの早さで、成長や学びの途中ですね。
あたしは、直接会って接するよりもこういうふうな文字だけの世界の方がその人となりが見えると感じています。
実際会ってしまえば気を遣ったり良く思われようとする心が働くのが人間なので、とくにうまくいかない物事にぶつかったときのブログなんかはよくそのひとのことがわかります。
自分もしかりです。
時が経って昔の自分のブログを読み返すと、当時の自分の思考パターンや思い込みがよくわかります。
だからあのことがうまくいかなかったんだなぁとか、だからあれを乗り越えられたんだなぁとか。
自分も自分以外のひとも、気づいて、そうやって少しずつ変化して、うまくいく何かを学んで、身につけていけるようになっていくのは、喜ぶべきことだなぁ嬉しいことだなぁと思います(^ ^)
今日もありがとう( ´∀`)