「黒子!」
ざあざあと雨が降る中で、ひっそりと彼女は立ちすくんでいた。
全てを拒絶するような瞳に、オレは一瞬だけ怖じ気付いたが、構わず近寄る。
「やっと見つけた」
黒子がいなくなったと、そう黒木から電話が来たときから、ここにいる気がしたんだ。
オレ達の始まりの場所。
外は警報が鳴るくらいの大雨だったから、知らせを受けてオレはすぐに駆けた。
ほとんど賭けみたいなものだったけれど、予想通り彼女はそこにいて、まるで誰かを待つかのように存在した。
オレは傘を黒子に傾け(すでにべしょ濡れであまり意味がない)、行こうと促した。
しかし彼女は動かずに、むしろその場に力なくへたりこむ。
風で傘が飛んで、追い掛けようとしてすぐに止めたのは、視界の端に紅を捕えたから。
「黒子……」
彼女の手首からは、とめどなく血があふれ出ていた。
真横に一線引かれたそれは刃物で傷つけられたもののようだ。
雨が交じって、薄くなった血液は、彼女と衣服をひたすらに汚していた。
右手に握られたカッターナイフが、全てを物語っている気がした。
「黒子、何か嫌な事があったの?」
無表情の仮面を外さない黒子。
手に触れると、体温が感じられなかった。
いったい何時間ここにいたのか。何度手首を痛め付けたのか。どうして何も喋ってくれないのか。
「黒子、痛い?」
時が止まったかのように、彼女は停止していた。まるで壊れてしまったかのように。
オレは唇を噛んだ。
「止めよう、黒子」
彼女の自傷癖について、オレは今まで見てみぬふりをしてきたに他ならない。
それを否定することは、彼女を否定することとイコールで繋がる気がしたからだ。
だから言わなかった。
だから止めなかった。
「黒子がそこ切ってると……オレの心臓痛くなるの」
オレは黒子の手首を、ハンカチで覆った。さすがに拭くと痛むかもしれない。
黒子がようやく顔を上げた。
十五センチ下の、彼女の瞳はやけに潤って見えた。
泣いてはいなかったと思う。
彼女の感情は、手首から血液として全て零れてしまったのかもしれない。
「オレが辛いの」
オレの心臓は紛れもなく慟哭していた。
破れそうなほどに。
「わかる……?」
彼女にはきっとわかるまい。この高鳴りの意味が。オレは彼女を抱き締めて、すぐに離れた。そして――。
黒子の目がおもしろいくらい張った。
彼女のカッターナイフを奪い、自分の手首にあてがう。
「わかるかな……」
あとは、少し手に力をこめるだけだった。
泣いていたかもしれない。
オレも、彼女も。
「たいせつなひとを、失う怖さが……」
ただ雨だったかもしれないし、涙だったかもしれない。
オレは怖かった。
彼女を否定して、オレを否定されるのが。怖かった。怖かった。とても怖かった。
でも見つけてしまったよ。
それ以上に怖いもの。
失うこと。
きみを、うしなうこと。
気が付いたら、カッターは地に横たわって、黒子がオレに抱きついていた。
「オレに向けて良いよ。黒子の優しい矛先を。黒子がそれ以上、自分を傷つけずに済むなら」
黒子はぶんぶんと頭を振って、その振動が素直に心臓へ届いた。
「失うくらいなら、死んだ方がましだ……」
やっぱり、オレは泣いていたのだと思う。
彼女への鬱陶しいくらいの執着があふれ出たのだろう。押さえきれない衝動だった。
「良かった。見つかって。良かった、生きていて……」
苦しいほどに抱き合って、存在を確認しあうかのように一つになった。ゼロセンチの距離で初めて――オレ達は互いの体温を知ったんだ。
* * *