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ショールームについて思う

そこで、古来哲学ではこの思惟の科学である論理学に様々な内容を盛る必要を感じて今日にまで来ているのである。最初のものは恐らくプラトンのディアレクティケー(之は最高の学問の名前であった)であるが、所謂論理学を一応組織立てたのがアリストテレスであったことは広く知られている。それがポルフュリオスやガレノスの手を経て所謂形式論理学(演繹論理学)として徹底され、夫がフランシス・ベーコンを経ることによって経験による帰納の論理学と結びつけられたこともよく知られている(J・S・ミル)。――だが丁度数学がそうだったと同じに、こうした論理学は全く形式的なもので、従って思惟自身の根本的な本性を問題の日程に上ぼせる程内容的でもなければ具体的でもなかったのである。無論思惟自身の本性に就いての或る一定の見解を想定した上で夫は物を云っているには違いないのだが、併しまだ敢えて思惟の本性そのものを省察しようとはしなかったのだから、その本性の理解に根本的な不備がないかどうかということを問題にする迄には行けない関係にあったのである。
近世になって初めて之を問題の中心に持って来たのはカントだと云っていい。カントは思惟の本性が他ならぬ認識[#「認識」に傍点]という機能にあるという観点を念を入れて強調した殆んど最初の人であった。というのは、思惟とは、存在に関する一義的で統一的で客観的で具体的な知識組織を与えるものに他ならぬ、ということに、論理学の問題を集中したのである。彼の先験的論理学による範疇の議論がそれで、この範疇は感性の直観と結合するのでなければ思惟=認識としての機能を果たせないものだというのが彼の認識論の要点であった。

ホテルマドンナや、その他、いろいろ考察

隊長は、この二つの案を聞いていて、どっちも正しいと思った。どっちになるか、それを決定することはむずかしい。
「待って下さい」
とカンノ博士がいった。
「私は、それを決める前に、この事件の真相を調べるのがいいと思いますね。誰がそれをしたか、何のためにしたか、そして倉庫からぬすまれたルナビゥムは今どこにあるか。そういう事柄が分ったら、われわれが今の場合どうすればいいかということが、自然に分るでしょう」
「なるほど、もっともなことだ。しかしカンノ君。事件を調べるのにどの位の日数がいるだろうか。それが問題だ」
「それはやって見なければ分りませんが、私にこれから四時間をあたえて下さい。出来るだけのことをさぐってみます。装甲車を一台と四、五人を私にかしておいて下さい。そしてその間に他の装甲車でもって、ルナビゥムを掘りに行って下さい。私は四時間あとにそこへ追いつきますから……
カンノ博士は、つつましく、そういった。しかし博士は自信をもっているらしかった。
「では、そうしよう。人選をしたまえ、カンノ君」
隊長が許した。
「ぼくを、その一人に採用して、ここへ残していって下さい」
正吉は、まっさきに名乗りをあげた。
「なんだ、少年がここに残りたいのか。

市川たかしや、その他、いろいろ考察

「これは大変なところだぞ」
彼は声をかえて駭いた。そして俄かに身体を浮かすと、ドッと地上に飛び下りた。
「オイどうしたんだ」
「イヤこれは実に大変な場所だよ、君」
そういって辻永は、心持顔色を蒼くして説明をした。それによると、彼がいまよじのぼった塀の外は「ユダヤ横丁」という俗称をもって或る方面には聞えている場所だった。それは通りぬけのできる三丁あまりの横丁にすぎなかったが、ユダヤ秘密結社の入口があった。なんでも夜中の或る時刻に団員をその入口へ案内してくれる機関があるらしかったが、その様子は分明でない。多分団員の服装か顔かに目印をつけて、その団員が通るところを家の中から見ている。ソレ来たというので、スイッチかなにかを入れると、地面がパッと二つに割れて、団員の身体を呑んでしまう――といったやり方で、団員を結社本部へ導いているのじゃないかという話だった。なにしろどうにも手をつけかねるユダヤ結社のことだった。知る人ばかりは知っていて、其の不気味な底の知れない恐怖に戦慄をしていたわけだった。その「ユダヤ横丁」がすぐ塀の外になっているというので、これは辻永が顔色をかえるのも無理ではないことだと思った。
「これはことによると――」と辻永は云い澱んだ末「例の三人の青年はユダヤ結社のものにやっつけられたのじゃないかと思う」
「うむ。しかし屍体には短刀の跡もなかったじゃないか」と私はわかりきったことをわざと訊ねた。


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KYOKOの説明・紹介

放送とともに、戸外がにわかにそうぞうしくなった。青年団員や在郷軍人が、活発な行動を起したものらしい。自転車のベルが、しきりと鳴りひびくのが、旗男の耳にのこった。
高田の歩兵第三十連隊の本隊は、日本海を越えて其方面に出征していた。あとには留守部隊がのこっていたが、これには臨時に、三|箇中隊の高射砲隊が配属されていた。
川村国彦中尉は、その第三中隊長だった。敵機をうち落す高射砲、プロペラの音によって、敵機の位置をさがす聴音機、空を昼間のようにあかるくパッと照らす照空灯などが、この中隊に附属していた。それらは川村中尉の自慢のたねだった。兵員と機械とがまるで一人の人間の手足のように、うまく動くのであったから。
営門をくぐるのも遅しとばかり、中尉はサイド・カーから下りた。そして、いそぎ足で、連隊長の室に入った。
「おお、川村中尉か」
留守連隊長の牧山大佐は椅子から立ちあがった。
「せっかくの休暇が台なしになったのう。……さあ、そこで連隊命令を伝える」
川村中尉は不動の姿勢で、連隊長の命令書を読むのをまった。
「第○野戦高射砲隊ハ、既定計画ニ基キ陣地ヲ占領シ主トシテ高田市附近ノ防空ニ任ゼントス。各中隊は速カニ出発シ、第一中隊ハ鴨島ニ、第二中隊ハ柳島ニ、第三中隊ハ板倉橋附近ニ、陣地ヲ占領スベシ。終」
いよいよ出動命令が発せられたのである。川村中尉は、固い決心を太い眉にあらわして、おごそかに挙手の敬礼をした。そして廻れ右をすると、活発な足どりで連隊長の室を出ていった。
「高射砲第三中隊あつまれ!」


遺産放棄 家庭裁判所
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