珍しくカフェに立ち寄ると、甘い紅茶の匂いが鼻についた。落ち着いた大人の良さが醸し出された店内は、なかなかいい雰囲気だ。案内された席は、なぜかファイトスペース。顔を上げると、見慣れた顔があった。
「いらっしゃいだYO、」
「……黒岳テツヤ?」
ふふ、と大人びた顔の彼は、数年ぶりに遭った相棒学園での元後輩だ。相変わらず、馬鹿にしたような口癖は治っていないようだが、昔頭に携えていた4本のバナナは消えている。
「ここ、カフェとカードショップの両方で営業してるんだYO、休憩に立ち寄っただけだったらごめんなさい。」
自分の早とちりで気分を害したかと思っていきなり謝罪を含めてくるあたり、成長したらしい。
「バイトか?」
「うん、バディファイトブームが落ち着いてからしばらく経ったから、俺も社会体験、みたいな、」
甘えた声だ。声変わりはしているが、それでも同年齢よりは高いだろう。高校二年らしいテツヤは、かつて俺と共に地球を救った。そのことでより一層爆発的に広がったバディファイトの、人気モンスター魔王アスモダイをバディに持つテツヤには、プライベートなんて無いに等しかった。しかし、最近はようやくその熱も冷め始めたらしく、テツヤは今までできなかった青春を楽しもうと、休日にカフェでバイトを始めたらしい。
俺、荒神ロウガは今、臥炎財閥で働いている。高卒ながら、一応高給取りだったりする。コネだが。かつての友にして家族同然に育ってきた臥炎キョウヤが名目ともにその悪事を全て告白したのち、未門牙王がその全てを許したのは、未だに語り継がれることだ。それで、キョウヤの元に戻り、彼を見守るという立場で会社に身を置くことになった。
それとなくあたりを見回すが、昨今はバディファイターも減ってしまった。客足は良くなさそうだ。テツヤも少し困った風に笑ってから、注文決まったら、呼んで。とメニュー表を目の前においた。
雰囲気がずいぶん変わったな、と思う。余裕があるように見えて……昔よりも余裕がない。小学生の頃のようにはいかないと思うが、それでも、何か焦っているように見えた。自慢の金糸が窓から差し込む太陽光に照らされてキラキラと輝く。テツヤは店主となにやら話し込んでいた。思わずメニュー表に目を移す。……ん?店員に挑戦メニュー?店員とファイトができるのか、にしても高すぎないか。勝ったら特典で、店員と同伴。
「店員と同伴、?」
「あ、えと、デートだYO。」
さらっと言い放ったテツヤは、水を机に置いてまた踵を返した。
「待て、……これ、頼む。」
思わずメニュー表の、挑戦メニューを指差す。2000円は高過ぎるということに、今になってやっと気づいた。けれど、デートという文言には惹かれるものがある。あってもいいだろう。
テツヤは俺の顔を見てから、営業スマイルを繰り出した。
「お飲み物とケーキはなににいたしましょうか。」
「お前の好きに選べ、ケーキはやる。」
「ほんと?やったぁ!アスモダイ、例のアレ一セット、ケーキはバナナで、あとコーヒーね!」
エプロン姿ではねるそいつの前には、テツヤのバディである魔王アスモダイ。なるほど。テツヤはいそいそと俺の前に腰掛けると、デッキを置いた。俺もつられてデッキを置く。
「異世界との扉は閉じられたと聞いたが。」
「それは人間の話。俺たちは悪魔、人間の尺度なんて無意味だYO。」
チッチッチ、効果音付きで、指を左右下動かしながらテツヤはそう言い放った。悪魔という意味には、果たしてなにが含まれているのか、考えるだけ無駄だ。彼が自分を悪魔と呼べば、それはそうなんだろう。
と、アスモダイがコーヒーとケーキを運んできた。
「このメニューでテツヤに勝ったやつはいるのか。」
「あぁ、挑戦しようとする奴はいないな。魔界の王をデートに誘える人間なんていない、だろ。」
厭らしく笑った魔王の顔に、思わずひきつり笑う。俺も、その中に入ってるのか。とそんなことを聞きたくなった。
「ま、テツヤがどう思ってるかのほうが大切だけどな。じゃあ楽しめよテツヤー、数年ぶりの荒神ロウガなんだからな。」
「アスモダイー?!」
カウンターに帰っていったアスモダイに、少し頬を染めたテツヤが叫ぶ。驚いて目を開くと、テツヤもまた驚いたように俺の方を見返した。あんまりにも緑の瞳が綺麗で、変わらず輝きを持っているのが、懐かしくてじっと見つめてしまった。
「あ、らがみ先輩、デッキ、シャッフル……」
「そうだったな、すまん。」
ねぇ、先輩。どうした。バディファイトはいつ振り?そうだな、キョウヤのことでゴタゴタしてたから、1年は経つな。俺も、異世界との扉が閉じたせいで、バディモンスターが帰ってから、ろくにファイトしてなかったYO。2年はやってなかったのか。うん、受験もあったし、アスモダイの……分身がさ、まだこの世界にいるだけで、問題になっちゃうから。
バナナケーキを切って口に運ぶ。俺はコーヒーを傾けた。互いに目を配って、手を拭いてから、カードをシャッフルする。久方ぶりに触れたカードは、それでも手に馴染んでいて、充分切ってから、互いにデッキを返す。ゲージ、フラッグ、手札。そして、バディモンスターを置く。ファイティングステージに立たなくなってからもう、1年だ。扉が完全に閉ざされ、異世界のモンスターがこの世界を訪れなくなってから、各地のファイティングステージが撤廃されたのがそのくらいからだった。
悪魔だからなんて言い訳をしても、相棒は分身だ。テツヤは寂しそうな顔で手札を見つめた。
「オープンザフラッグ、マジックワールド。」
「デンジャーワールド。」
もう懐かしい響き。
「俺が先行だね、チャージアンドドロー……先輩、戦国学園でのあのファイトのこと覚えてる?……センターに怒りの堕天使ペレトをコール、アタック。」
「ドロー、チャージアンドドロー。あぁ、二度目に対峙した時か。アーマナイト・イーグルをセンターにコール。レフトにアーマナイト・デーモン。ゲージを払いイーグルをドロップ。装備、滅槍岩抉り。デーモンでペレトにアタック。2回攻撃だ。」
テツヤの手が机上のカードを動かす。昔のように子どもらしい手はなく、少しゴツゴツした男の手だった。そうか、やっぱり時は経っている。
戦国学園でのあのファイト。二度目に対峙した俺とテツヤは、ワンターンキルなんて大それた事をお互いにかましあった。結果勝者は俺、テツヤは逆にワンターンキルされてしまった。けれど、テツヤにはその勝敗がどうこうっていうのは関係なかったらしい。ただ、俺に名を覚えて欲しかったと、確かにそう言っていた。
「キャスト、ソロモンの盾、岩抉りのアタックは無効だYO。」
「あぁ、なら、ターンユアムーブだ。」
今のファイトは何になる。お互いに素性の知れた仲で、名も呼び合える、俺たちは向かい合えばちゃんと話せるし、目標はない。
「ドロー、…チャージアンドドロー、」
テツヤは、ソロモンの鍵上巻と、ソロモン大結界を発動し、サイズ2モンスターを並べた。
「懐かしいな、その戦い方。」
「うん……、」
テツヤの寂しげな表情をうまく汲み取れない。打点は合計6。一撃防いで、ダメージは4、残りライフは3。豪胆逆怒で、ゲージを増やす。俺は、テツヤのファイナルフェイズを思い起こした。けれどゲージは、2。
「ハーコーオブマインド、ごめんね、先輩。」キャスト、ディアボリガルハーコー。とテツヤが言ったところで、すかさず俺もキャストした。
「鳳凰壁だ。まだまだだな、テツヤ。」
「うっ、……荒神先輩には敵いっこないYO。」
フェイズが変わり、俺のターン。
「まだファイトは終わってないだろ?ドロー、チャージアンドドローだ。」
盤上はそのまま、デーモンでセンターのザガンを破壊する。
そして、テツヤにデーモンと武器でアタック。テツヤはライフ7が、残すところ2になった。互いにライフは同じ。喉を鳴らす。楽しかった。そうだ、バディファイトは楽しいゲームだ。随分と離れていたせいですっかり忘れていた。
反面、テツヤはそんな俺を見てクスクスと微笑む。
「荒神先輩、」
「…ん?」
「俺も、バディファイトが大好きだYO。バディと隣り合わせで戦って、ファイトの後は仲良くなって、……荒神先輩にも出会えて。」
テツヤは愛おしそうにカードを捲った。瞳の輝きが示すのは、彼のバディの出現だろう。デーモンが破壊されてしまうな、なんて思った。
「ドロー、チャージアンドドロー。マイフェイバリットバディ!魔王アスモダイをセンターにバディコール。バディギフトでライフ回復!手札を一枚捨てて、アーマナイト・デーモンを破壊だYO。」
「ふっ、……懐かしいな。」
「え?」
「お前の戦いは見ていた。テツヤ、お前は一度として俺との戦いでアスモダイを使ってこなかったな。」
「そう、だった……YO。アスモダイも突然二角魔王なんてのになっちゃうし、荒神先輩との戦いでバディを出したこと、なかったね。」
テツヤが慌てる。
いつからか、テツヤの戦い方がまるで昔の俺のようになった。デンジャーワールドの数撃ちゃ当たるな超攻撃型だ。トリッキーで、打点こそ少ないものの、気を抜くと足元をすくわれそうな、それ。俺は、それに憧れていたからこそ、ある時から俺もまたテツヤの……マジックワールドに似た魔法を使う戦い方をするようになった。まるで互いを目指して求め合った。
「だからこそ、今、こうやって戦えて、よかった。」
テツヤの連続攻撃を、闘気四方陣で防ぐ。残りライフ1で踏みとどまった。形勢逆転だ。
「ドロー、……アーマナイト・ケルベロスAをバディコール。」
こうなれば、テツヤも展開がわかってしまっている。テツヤの手札は一枚。……もしも、ソロモンの盾ならば、俺の攻撃は入らない。
「ケルベロスAを武器のソウルへ。効果で、岩手抉りの打撃は5だ。……テツヤ、」
「うん。」
「俺も、お前とここで戦えて嬉しい。」
「……知ってた。」
「ファイナルフェイズ、キャスト!ドリルバンカー。」
テツヤのライフはゼロ。防ぎ手がなかったらしい。テツヤはカードを手放すと、ふふ、と微笑んだ。
「やっぱりつええYO、荒神先輩。」
「お前も、なかなかだぞ。」
ほんと、なんてバカ正直に受け取る、そんなテツヤが可愛らしかった。カードを纏めて机上を整える。
勝ってしまった。……そうだ、この勝負に勝ったら、テツヤと。とたん、理解して思わず顔を赤らめそうになる。顔を押さえて、呼吸を整えた。
「テツヤ……、」
「あ、え、と……えーと、」
慌てた風なテツヤに、ため息をつく。頬杖をついて涼しい顔をすれば、テツヤは俺の様子に、少しずつ冷静さを取り戻したらしい。水を飲んで、思い切り立ち上がった。
「これ、片付けてくる、YO、」
「俺は同伴なんて望んでいない。」
「……ぅ…」
「何を悲しそうな顔をしてるんだ……、」
俺の言葉に、テツヤは寂しげに答える。
「デートなんかじゃなくても、一度でいいから、荒神先輩と二人、歩いてみたかったな、って思ったんだYO。」
声はわずかに涙で掠れていた。俺は居ても立っても居られなくなって、テツヤの手を取り、店のドアを手をかけた。
「こいつ借りるぞ!アスモダイ!!」
「ちゃんと返してくれなー。」
「はぁ、はぁ……。」
目の前に聳えるのは相棒学園。幸か不幸か、ここに辿り着いてしまう。俺たちの始まりの場所だ。テツヤははぁはぁ息を吐きながら、懐かしそうに相棒学園を見上げた。
「……荒神、先輩。」
疑問系の言葉だ。俺は立ち止まり、テツヤを見つめる。
「やはりここからは逃れられないのか。」
テツヤは制服にエプロンのままで、少し恥ずかしそうにエプロンを掴んだ。
「テツヤ、よかったら、俺の気持ち聞かないか。」
「荒神先輩の、気持ち。」
見上げた瞳には、俺だけ。ごくり、と唾を飲む。
手続きを踏まずに、屋上に駆け上がった。生徒の疎らなそこは、誰も見ていない二人きりの場所でもある。走り過ぎたのかベンチに座ってしまったテツヤに、俺は何も言えず、ただ目の前に立った。
「俺、ね。」
突然の言葉は、あまりにも悲痛で、何か胸騒ぎがする。
「ずっと、荒神先輩はキリが好きだと思ってたんだ。」
上げた顔は泣いていた。
「小学生の時にもう失恋してるんだYO。諦めて、目を背けたんだ。本当は手を伸ばしたかったけど、できなかった、あんなにも好きだったのに。きっと、先輩は俺を見てないって。」
引きつり笑いを見るのが辛い。それ以上に、幼い俺の行動が、こんなにもテツヤを苦しめてたなんて知らなかった。本当はそばにいたかったのに。そばにいられなかったんだ。
「俺ね、先輩に何を言われても平気だ「好きだ。」
思わず、テツヤをベンチに押し付けた。
「すきだ、あの時から……あぁ、本当は見かけた時から、ずっとお前が気になっていた。」
それは、相棒学園に入学したての時。三年の俺は、一年でランドセルを抱えた金髪のテツヤを見た瞬間、心臓が跳ねたんだ。そして、見えているのか、いないのか、あの時のあどけない笑顔が、ずっと頭から離れなかった。
「ほん、と。」
「嘘を言って何になる、」
「あ、……荒神先輩、!」
「行動で示せば満足か?」
そう言って、テツヤに口付けた。
夕暮れに目が霞む。瞑った目を開くと、夕焼けのせいだけでないくらい赤面したテツヤが、涙目で俺を見つめていた。まさか、母校で告白して、元後輩とこんな関係になるなんて。含み笑いで、テツヤを抱き締めた。
「お、俺も!大好きぃ…!」
低くなったが、相変わらず可愛らしい声の応答を聞けたのが、客と店員という立場になってからなんて。……もっと早くに互いを見ていればよかったのに。腕の中でテツヤの嗚咽が収まるのを、幸せに満たされながら待った。
太陽はもう沈もうとしていた。