出会う前の嘘つき達。
桜も満開で、新学期をもう目の前にしているある春の日のことだ。街でも、一、二を争う桜並木から外れた穴場にさえ、人は多く、皆が皆日本人の嗜みだと花見に興じていた。だからか、久方ぶりに訪れたカードショップも、今日ばかりは春休みだというのに人が少なく、少年は安堵の息をもらした。
相棒学園初等部に籍を置いて、今年で6年目、つまり初等部最高学年となる。この学校は小中一貫なので、そこまで大きな責任を抱えることはない。また、バディファイトと呼ばれるカードゲームの教育を専門に受けるコースがあるのも大きな特徴の一つ。少年は、そんなバディファイト専門コースで、伸びない実力に燻っていた。そのために今日、気まぐれだがカードでも買おうと訪れたのだ。
「え、と。マジックワールドは。」
自分のバディはマジックワールドの住民だ。そのため、少年はマジックワールドのパックを探す。と、突然傍に現れた背の高い上級生にぶつかりそうになって、慌てて肩をすくめた。褐色の肌に白い髪、ギロリと睨むような青い瞳、覚えがあるようで、名は思い出せない。
「わるい。」
その上級生も、身を引き、互いに変な空気が流れる。上級生の肩には、不似合いな鳥のバディモンスター。その愛くるしさに、少年はちょっと、触ってみたいなと思った。言えるはずがないが。
「…お前、バディファイターだな。」
「ぇ、あ…そうだYO。」
「それで、マジックワールドか。」
「なんか、文句あるのかYO…」
別に、と退屈そうに上級生が少年を見つめる。少年の奇妙な語尾も、風体もさして気にならないようだ。この人は自分を見ていないのかと、少年は思いはしたが、自分もこの人を思い出せていないので、おあいこだろうと視線を外す。バディモンスターと目が合った。
「バナナ、」
「ぇ、」
「おい、イーグル。ちょっかい出すな。」
「だすなだすな!」
「っぷ、ははっ!」
思わず少年も笑い出した。上級生とイーグルがギョッと少年を見つめると、見られてることに漸く気がついた少年は、バツの悪そうな顔をした。
「お前、バディファイトの腕に自信があるようだな」
「お、怒らないでYO。それに俺、バディファイトは…その。」
怖がらせるつもりは毛頭なかった上級生の彼は、しかし少年の消極的な様がしゃくに触ったようだ。
「相棒学園バディファイト専門コースにいながらなんだその腑抜けた様は。付いて来い、強さとは何か教えてやる。」
「ま、待ってYO…えと、先輩!俺、」
「気になる!気になる!」
だまれ、イーグルと上級生が肩にいるバディモンスターを嗜めると、立ち上がる。少年はぽかんと口を開き、状況を飲み込めていないようだった。そして、引っ張られるがまま、言われるがまま。少年は、手を引かれ、ファイティングテーブルに座ることを余儀なくされた。ステージでないだけまだマシかと、すこし安心したのも束の間、有無を言わせずデッキを見せろと上級生が手を出してきた。
少年のデッキケースを見たとき、ふんと、退屈そうだけど嬉しそうな反応を示した。少年が手渡したのは、コアガジェット。それは、バディモンスターを持つバディファイターだけが、持つことを許されるものだったからだ。弱そうで、ファイトもよく分かっていなさそうな少年が、モンスターを所持してることに驚いたのと、それから自分と同じフィールドで戦うにふさわしいなと、未来の好敵手の出現に歓喜したのだ。
「お前、あの魔王アスモダイのバディか。最近よくメディア露出してるとは思っていたが、まさかお前みたいな奴だとはな。」
「なんだYO!その言い方、まるで…やっぱ、俺、アスモダイのバディに向いてないのかな…」
「そんなことは言ってない。」
上級生がキッパリとそう言っても、少年は顔を上げずに、しょんぼりしていた。
「ただ、もう少しデッキを改良したほうがいいな。戦う気が無さ過ぎる。勝つつもりや負けるつもりが無かったとしても、しっかり戦う意思を相手に示すべきだ。こんなデッキじゃ、たとえ勝っても相手が気分を害するだけだろう。」
上級生は、数枚のモンスターをデッキから外し、その分魔法を数枚増やすように指示をした。持ち合わせのカードがないと少年が言うと、なら書いてやると甲斐甲斐しくルーズリーフの切れ端に、デッキに必要な魔法を書き出した。
へぇー、とまるで見たことのないものを見るかのように少年は喜ぶ。書いているのもは、教科書ないし授業を受けてさえいれば知っているはずの、基本的なものばかりで、特別珍しいものではない。上級生が気が付いたように、少年の顔を見る。金の髪、緑の瞳にあどけなさの残る少年は、たしか中等部の生徒会長が教師とのグチの言い合いで、よく出ている初等部のサボり魔の特徴と完全に一致していた。なるほど、と納得して、苛ついた。バディモンスターを手にしていながら、真面目にバディファイトに取り組まない。そんな少年は、彼の人生の中でも完全にありえない人種だ。どうせなら、このまま自分の手で改造してやりたいとそう思ってしまうほどに、今の少年の態度には嫌気を覚えた。
そんな思惑とはつゆ知らず、少年は手を加えられていく自分のデッキを見て、素直に感嘆を覚えた。サボり、ルール程度でなきゃ空で言えない少年には、自分の範囲外のカードを、的確に表す上級生が、まさしく先輩だと思うのだ。
「で、ディアボリガルハーコーは決め手にはならないから、数を減らしたほうが動きがいいだろう…どうだ。」
「す、すげぇYO…」
「今すぐにでも相手が欲しいって顔だな。」
少年は目を輝かせ、上級生の誘いに頷く。あまりにも素直で、思わず彼も笑ってしまった。いくら同じ学校でも、普通はカードショップでたまたま会った面識のない先輩に、デッキを託すだろうか。答えは否だろう。少年はあまりにも素直すぎる。それが、おかしくってたまらない。
上級生は、バディがいないだろうと笑い言った。生放送にアスモダイが出ているのだ。少年は思い出して、そうだったと笑う。ファイトはお預けだが、二人の関係は細々と繋がるだろう。
少年は、学校でこの先輩に会う日があれば、名前を聞いて、またファイトの指南を受けようと心に決め、そしてそれは、上級生の彼も思っていた。マジックワールドと、あまりファイトすることがなく、カードの種類を覚えるのにも、ちょうどいいからだ。
嘘みたいだが、ここからよい交友関係が始まると思っていた。
「ウルフ、」
「…ソフィア・サハロフ、それにキョウヤか。」
上級生は、ウルフと呼ばれ振り返る。そこには、ウルフと同い年くらいの男女が立っていて、ウルフを手招いていた。少年は、首を傾げそちらを向こうとしたが、キョウヤ、と呼ばれた少年の、言い知れぬ怖さにさっと、目をそらした。
「…その子は?」
「アスモダイのバディだ。」
「…そう。」
キョウヤが、スタスタと少年の方に近付く。自分に興味が向いたのが、信じられなかったのか、少年は顔を上げ、口を開いた。キョウヤは、楽しげに笑みを弾ませていたが、それすら少年には怖くて仕方ない。
「ふぅん、まさかロウガがこんな子に興味を持つなんてね。アスモダイのバディかぁ…。僕のトモダチには、相応しくないなぁ。ソフィア、この子で試してみようか、君のディザスターフォースの力を。」
「…!!キョウヤ、何をするつもりだ!一般人に、ディザスターフォースを使って何になる。」
「ぇ、な、何だYO」
たじろぐ少年の目前には、さきほどソフィアと呼ばれた少女がいた。ソフィアは、その手にコアガジェットに酷似した禍々しい闇色のデッキケースを持って、少年に突きつける。ソフィアを止めようと、ウルフ、いやロウガは、前に出ようとする。
「危害を加えるなら、俺は歯向かうぞ。」
「消すだけさ、記憶を。」
「記憶って、どういうことだYO!」
少年がすかさずソフィアを押し抜き、キョウヤに叫ぶ。ロウガはその隙に、ソフィアと少年の隙間に入り込み、2人と距離をとった。
「先輩…、」
「逃げろ、早く。あいつらがなにをしでかすかわからん。」
「けど、」
もたつく少年に、しびれを切らしたロウガは、少年の背を思い切り押して、無理やり走らせる。
「あ、荒神先輩!」
このタイミングで、少年は思い出した。この人は中等部学年ランキング1位の、荒神ロウガだ。ロウガは目を開き、呆れたように笑う。そして、早く逃げろとただそれだけを言うと、少年を守るように立ち塞がる。
「俺、黒岳テツヤ!テツヤだYO!また、会えたら、名前、呼んでYO」
名を告げると、テツヤは背を向けて走り始める。名前を言えたし、知れたのだ。きっと、きっとまた会えるとそう信じて。
ロウガも安心したように息を吐く。安心したからだろうか、隙があった。気がつくと、懐にソフィアが潜り込んでいる。あぁ、と言う暇さえなかった。
「ディザスターフォース、発動。」
ロウガは、その場に立ち尽くす。アーマナイト・イーグルは、うるさい位に騒いでいたが、それを咎めるものはもうこの場にはいなかった。
テツヤは、振り切ったかと後ろを向いて、追っ手がないのに安心して、その場に座り込む。桜のない公園は、夕暮れも相まって人はいなく、ようやく座ることができた。
思えば今日1日で、たくさんのことがあった。ロウガとの出会いは、1番だ。今日絵日記の宿題があったなら、テツヤは今までで一番頑張って書くことだろう。ロウガに渡された入れるべきカードの表を眺めて、テツヤは嬉しそうに笑った。きっとバランスの良いデッキで、使いやすくて、もう相手にお前とのファイトつまらないなんて言われないんだろう。
じっと、手の内にあるコアガジェットを見つめた。そうだ、あの女の子が持っていた闇色のデッキケースは、なんだったのだろう。あれを使うと、ディザスターフォースっていうのを使えるようになるのかな。と、どこかそう思った。
「教えてあげましょうか。」
「…お、まえ…さっきの。」
ソフィアは、冷たく笑う。
「記憶を消すなんて嫌だYO!なんでそんなこと、」
「全てを消すわけじゃない、荒神ロウガと会ったこと。それだけ、消す。」
「ますます嫌だYO!なんで、ただ荒神先輩と話してただけだYO!」
「あの方の指令なの、いいから、受け入れなさい。ディザスターフォース、発動。」
テツヤの体が猫のようにしなる。たったあれだけの時間なのに、偶然でしかない出会いなのに、テツヤの目に涙がたまる。嘘みたいだけど、本当の気持ち。忘れたくないのに。
テツヤが膝から崩れ落ちる。ソフィアは、そんなテツヤを一瞥すると、キョウヤのもとに帰ろうと踵を返した。
「おい、そこの嬢ちゃん。」
「魔王アスモダイ、」
「なにをした、この少年に。」
すぅ、と眠りこけるテツヤを指差して、アスモダイがソフィアを睨む。
「…」
「まぁいい。」
アスモダイは、テツヤを抱き上げて、その場から去った。ソフィアは残され、不機嫌な顔をますます強張らせる。
「まだ、完璧じゃない。」
完璧ではない故に、少しだけ残されたテツヤとロウガの、消えない記憶。出会えば少しは、戻るだろか、戻らないだろうか。それは、当人にしかわからないだろう。
「この嘘なんなんだYO!」
「フラグを回収したまでだ、テツヤ。」
カラカラとアスモダイが笑う。絶対こんなのありえない。6年になる前に、荒神先輩に会ってたなんてそんなの嘘に決まってるもん!たしかに、気が付いたらすげぇ使いやすいデッキレシピが手に握られたことはあったけど、けど…
「おい、黒岳テツヤ。」
荒神先輩に呼ばれ顔を上げる。
「嘘じゃなかったらどうする。」
「えっ?」
真剣で、嘘じゃないみたいな顔。まって、嘘だろ。荒神先輩まで、こんな行事に乗るのかYO…。
「…冗談だ。」
「はっはっは、テツヤ、まだまだだな。」
「ふ、二人とも酷いYO!」
だよね、そんなことあるわけない。
「ま、今のお前を、アスモダイのバディに相応しくないと言う奴はもういないだろうがな。」
「荒神先輩それって。」
アスモダイにあったばっかの頃、そう悩んでた。その時、誰かに悩みを打ち明けた気がしなくもない。でも、全然思い出せない。
俺は、とんと頭を撫でられ、顔を上げる。
「嘘みたいだYO。」
桜舞う中、午前中だけ許される、嘘の話。