新しい車を買おうかと思ったのは今から1年くらい前の春。
ちょうど点検の時期で、不具合も増えてきたしエンジン音もうるさくなってきたし、修理をすると結構な金額がかかる。
1年後にはまた車検がくるから、ちょうどいいタイミングなのかもしれない。
コレクターとか愛好家でもない自分にとって車は所詮消耗品、いつかは買い替えなきゃいけない。
生活の足として、性能のいい車は必需品なのだ。

でもまだ乗れる。まだ動く。まだ走れる。
他に欲しい車もない。
どうしようか、結局踏ん切りはつかなかった。


それでもやっぱり新しい車に乗り換えた方がいいのかもしれない、少しずつ少しずつそんな思いに駆られるようになって。
夏に色んなメーカーの車に試乗してみた。
どれも今の車とは比べ物にならないくらい新しくて、高性能で、音も静かだし魅力的。
どうしようかな。
どうしようかな。
もう少ししたら決めよう、
秋までには決めよう、

伸ばし伸ばしにしてついに去年の初冬、
ディーラーさんに「買い替えようかな」って言ってみた。


いったん口にしてみたらストンと何かが抜けたような感じがして、
そこからはあれよあれよという間に決まった。
どの車にするか?
グレードは?
色は?
オプションは?
色々喋った気がする。けどあんまり記憶がない。
今の車を買った時のことは、こんなにも鮮明に覚えているのに。




今の車を買ったのは9年前、ちょうど仕事に就いた時。
それまでは学生の時分に親に中古で買ってもらった、小さな軽自動車に乗っていた。
職場まで毎日車で通勤するなら、ちゃんとした車に乗った方がいい。
親に連れられて初めて試乗をして、
自分で「この車がいい!」って選んだ。
個性的なフロント。
野暮ったいリア。
天井の高さとベンチシート、車内空間の広さはものすごく気に入った。
担当の営業マンはタメ口で話しかけてくるようなチャラいお兄さんだったけど、
試乗車がなかったからって、わざわざ社員が乗ってる私物を用意して乗せてくれるような熱い人だった。
よし、この車にしよう。
その時の自分にとっては少し高い車だった。
社会人になったばかりの自分は親にお金を借りるしかなくて、グレードは一番下のにした。
色は「これだ!」って名前だけで選んだけど、今考えたら変な色を選んだな〜って思う。
少しでも安いほうがいいな〜と思って、ナンバープレートのフレームは無くした。
(買ってすぐにぶつけてナンバーを凹ませたのでこれは後悔してる)
ナビも純正のより安いものを紹介してもらった。
そのナビを取り付けてくれた人が、まさかるい姉さんのパパだとは夢にも思わなかったけど。

何もかもが自分で決めた初めてのことで、すごく緊張しながら手続きをした。
納車の日が待ちきれなくて、こっそり店の前を通りながら「あの車かな?」なんてチェックしていた。
届いてからは自分で買った車が嬉しくて、天気のいい日にはワックスがけをした。
皆に自慢したかった。

「この車は私が買ったんだよ、どう?かっこいいでしょ!」


雨の日も、風の日も、もちろん大雪の日も。
ずっとずっと一緒に走った。
大声で歌いながら、毎日往復40キロの距離を職場に向かった。
ナビにはドラマCD入れて、飽きもせずに繰り返し聞いた。
大雪の日に除雪されていない道路を走ったら進めなくなって、高校生に押してもらった。
片道500キロの福井まで、車中泊しながら友人の結婚式に向かった。
頭文字Dにあこがれて、妹と一緒に群馬の峠をドライブした。
車の中に入ってきたクモを追い出そうとしたら、電柱にサイドミラーをぶつけた。

思い出なんて数え上げたらきりがない。
自分の手足のように思い通りに走ってくれる相棒、大好きな車。
あちこちぶつけたし、傷だらけ。
扱いも運転も雑になっていって、車の中も荷物がどんどん増えていって。
それでもこの車があれば、どこまでだって行ける。
本当に良く走ってくれる、最高の車だった。


でもどんな車にも、衰えがやって来る。
歪みやガタつきのせいでエンジン音がうるさくなった。
乗っている時の振動も気になるようになった。
音楽を流してくれたナビはディスクを読み込まなくなることが増えて、毎日テレビを流してた。
もともと二駆で冬に弱い車だったけど、買った時よりもリア側が異様に滑るようになった。
ボトルホルダーは片方取れて、カップはひとつしか置けない。
不便だな、そう思うことが増えていった。



“買い替え時かもしれない”



新しい車を買うと決めてから、どこか気持ちが重かった。
納車は3月。
できるだけ遅く、車検ギリギリまで伸ばしてもらった。
今の車にずっと乗っていたい。
でも乗るたびに「ああ、古くなったなあ…」って実感するのがつらかった。
最後にどこか遠出したい、そう思って岩手まで車中泊しながらドライブに行った。
納車の日が決まってからは、「職場にこの車で来るのはあと何回」なんてカウントダウンした。


そしてついに今日。

今日は朝から雪模様。フロントガラスの上には薄く雪が積もっていた。
午前中のうちに車の中の荷物を全部出して、貯めに貯めた小銭も全部回収。
雪で滑って危ないって言われたけど、一度やってみたかった“車の上に乗る”という夢を叶える。
(天井に乗ったらベコッて音がして恐かった…)
なんだか落ち着かなくて、最後に1000円だけガソリン入れて町中をドライブ。
最後の最後に不調のスピーカーが不調っぷりを見せつけてくれて苦笑。
家の前で記念写真を撮ったら、曇天が空一杯に広がってた。


車は営業マンのお兄さんが引き取ってくれることになっている。
買い取り価格8万円って言われて、「そんなもんか」っていう感傷的な自分と、「この車にも値段つくんだな」っていう冷静な自分が交互に現れる。
あんまり人気のない車種だから予想はしてたけど、今の車は引き取られた後に廃車になるらしい。
パーツを取るって言ってたから、きっとバラバラになるんだろう。
まだ走れるのに。
まだ動くのに。
どうして買い替えたりしたんだろう。
複雑な気持ちでナビのデータを消去していく。


別れが惜しくって、少しだけ遠回りした。
走りながら、まるで火葬場に向かう車みたいだな、なんてボンヤリ考えてた。

ふと、ワンピースのあのシーンが思い浮かぶ。
一味とメリー号との別れ。
ウソップがメリーと別れたくない、そう言った気持ちが今ならものすごくよくわかる。
ずっとずっと一緒に冒険してきたのに。
まだまだ一緒にいたいのに。
メリーだって悔しかったんだろう。
この車もそう思ってるのかな・・・。

メリーと一味が別れた時にはまるでメリーの涙みたいに、空からは雪が降っていた。
けれど、この曇天色の車に一番よく似合うのは、晴れた青い空。
幸いなことに販売店に向かう途中で空は晴れてきて、最後のドライブは春らしい気持ちいいドライブになった。

総走行距離145,894キロメートル。
軽く地球3周を超える距離。
本当によく走ってくれた。
最後に鍵からキーホルダーを外す。
ありがとう。
ありがとう。
じゃあね、お別れするね。

バタン。
見慣れた車を置いて、新しい車に乗り込む。
ピカピカな新しい車。
あの車を買った時ほど新鮮で鮮烈な気持ちにはなれない。
“初めて自分で買った車”はやっぱり特別なものだったから。
でも、メリー号の勇敢な魂を継いだサニー号のように、新しい車もいずれは私の中の一部になっていくんだろう。

これから新しい車に乗って、また色んな思い出を作っていこう。
たくさん走って、走って、走って、どこまで行こうか。
今日からどうぞよろしくね。
そう思いながら販売店をあとにした。





2017.3.25