シトロ村では毎年、収穫が終わる頃に祭が行われる。その年の収穫を祝い、来年の豊作を祈る祭だ。
そしてその祭では、村の若い娘の中から選ばれた『姫』と呼ばれる存在が大きな役割を持っていた。
「えーと、まずは舞台に上がって一礼、それから次はー…歌だっけ」
「違うって。一礼の次は祝詞」
あっさりとリウに指摘され、大きな姿見の鏡の前に立ったマリカは、盛大にため息を吐いて肩を落とした。
「も〜…なんでこんな煩雑かなぁ…」
思わずぼやきが漏れる。それを聞いたリウが、おいおいと呆れたような声を上げた。
「祭は3日後だけど、そんな事言ってて大丈夫なのかなぁ、『姫』は」
祭における『姫』とは、天に感謝と祈りを捧げる巫女の事を差し、舞台に上がって舞を捧げたり、歌を奉納したりする、祭の主役的存在だ。
その『姫』を、今年はマリカが担当する。
しかし当のマリカのテンションは異様な程低い。
手先の器用さを買われて衣装担当になったリウは、マリカが試着した衣装の裾の解れを直しながら、大きく息を吐き出した。
「まさかとは思うけど、祝詞覚えてないとか言わないよね」
「………」
問われた…と言うか、ニュアンスは確認のそれだったが…マリカは返す言葉が見つからなかった。
その沈黙で、察したらしいリウはまた盛大にため息を吐いた。
「あのさぁ…重ねて言うけど、祭は3日後だよ?」
「分かってるわよ。けど覚えられないんだから仕方ないじゃない」
マリカだとて、何もしなかった訳ではない。
『姫』に選ばれてから今日まで、何度も何度も原稿を読み、経験者である姉にもコツを聞いて(もっともこれは聞いた当人が当時の事を忘れていてなんの参考にもならなかった)、何とか覚えようと努力はしたのだ。
ただその努力が、結果として現れてこなかったと言うだけで。
「まぁ、普段使うどころか聞く事もない言葉だから、無理ないけど…」
そんなマリカの努力を知っているリウは、苦笑しながら、鏡近くのテーブルに置かれた、よれた紙を取り上げる。
「『ラ・ジェルアーノヴァ・レスティオ』…豊かなる恵みに感謝を、って感じかな…」
澱み無くリウの口から零れ出た祝詞の一節に、マリカは目を見張る。
「リウ…アンタ…」
「ああ、いや、別に、意味が分かるとかじゃ無いよ?何となく、そんな感じかなって思っただけでさ」
遥か昔に失われた古代語の祝詞。それが解る知識をリウは持っていたけれど、敢えてその事を話すつもりは無かった。
慌てて取り繕ったリウの心配をよそに、マリカは真剣な顔でとんでもない提案を口にした。
「私の代わりに、『姫』役やってくんない?」
「…はぁ?」
リウの口から、間の抜けた声が上がる。しかしマリカはそれには一切構わずに、力強くリウの手を取った。
「初めてでそれだけスラスラ読めたら楽勝よ。大丈夫、リウなら絶対に出来る!」
「や、出来ないから!一番最初のハードルで引っ掛かってるからね!」
俺は男だから!、と、リウが力説した所で、ドアを二度、ノックする音が響く。
半ばやけくそ気味にリウがどうぞ!と応じると、広場で舞台やテントの設営を手伝っていたジェイルとコウイチが入って来た。
「楽しそうだな」
やり取りが聞こえていたのだろう。
ジェイルが笑いを堪えながらそんな事を言う。
「「他人事だと思って…」」
声を揃えてジェイルを睨むリウとマリカだったが、次の瞬間に響いたコウイチの声に、完全に毒気を抜かれた。
「おおっそれが『姫』の衣装かー!」
間近で見る初めての衣装に、その灰色の瞳はキラキラと輝いている。
「なっ…何よ」
そんなコウイチの視線にいたたまれなくなって、マリカは語尾を上げ、半歩後退してコウイチから離れる。
「どうせ、似合わないとか言うんでしょ?」
今日、鏡に映る自分を見て、ずっと思っていた事だ。
長い裾のスカートも、頭から腰まである薄織のヴェールも、何一つ、鏡の中にいる『マリカ』には似合わない。
やっぱり『姫』なんか引き受けるんじゃ無かった。
マリカがそんな事を言おうとした矢先。
コウイチが、口を開いた。
「何言ってんだよ」
そして、ふわりと。コウイチは笑う。
幼い頃から一緒に居るマリカでさえ、初めて見る、笑顔。
知らない誰かのようだと思った瞬間に、視線を逸らす事が出来なくなる。そして、マリカの胸が大きく脈打つ。
「よく似合ってる。すげー綺麗だ」
柔らかな微笑と共に、さらりと告げられた言葉。
「っ………」
マリカは言葉を返すことさえ出来ない。
何を言われたのかをマリカの脳が認識する間に、コウイチは「お前の歌、楽しみにしてる!」と言いおいて、また広場へと戻って行く。
後にはただ、ドクドクと五月蝿い心臓を抑えるマリカと、そんなマリカを見ながらやれやれと溜め息を吐くリウだけが残された。
「楽しみにしてるってさ。どうする?…『姫』」
リウが訊ねると、首まで赤くなったマリカが拳を振り上げて言った。
「…やってやるに決まってんじゃない!見てなさい、絶対にアイツの目を釘付けにしてみせるっ!」
(…負けてたまるか!)
言外のそんな意気込みが聞こえて、リウは密かにやれやれと肩をすくめた。
『その、柔らかな笑顔に高鳴る胸が悔しい!』
シトロ組最後はマリカです。
主人公は基本受けなんですが、基本的に男前でもあります。男前ってか、天然無自覚のタラシ…?いやいやいやいやいや綺麗なものを綺麗って言える素直さを持っているだけですウチの団長は(°∇°;)