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どうしてだろう

たまに 不安になるのです、


信じていないわけではない。

自分も、

相手も。



でも たまに 、

私がこんなに好きで、

好きだと言って、


もしそれが

嘘になってしまう日が

きてしまったらと。



私は 好きです。


でも

いま好きなだけでは

だめなことを

私はしっている。



裏切られたひとを

見てきたから。


全部がいきなり

嘘になることを

見てきたから。



絶対に 絶対に

ずっと好きでいてくれる、

ずっといちばんで、

ずっと一緒にいてくれる。


ほんとうに

そうであってくれるのか、


15年後は

どういう人間ですか?



未来には

確証がないから



不安になる。



自分が痛がりたくなくて。

あんな裏切られた

人にはなりたくなくて。



いや違う。

好きすぎて離れられるのが

いやなだけだ。


もう

きみだけだから、

ほんとうに 好きだから

ずっと一緒にいてほしい。


おねがいします、

こんなにんげんだけど、

どうか 、 私を。

 
僕はひとを
傷付ける方法をしらない。

僕はひとを
傷付けない方法をしらない。

分からない。

僕はそのどちらも、
しないで生きてきた。

生きてきた、つもりだ。




そしてふたつめに、
僕はいま

確実に
あのひとをなぞらって
生きはじめている、
ということ。

いいよ、
それでもいいよ、

僕は知りたいんだ、
本心であのひとの気持を。

たとえそれで
友達が減ろうが
否定されようが

構わない、


そして
あのひとみたいになれば

あの人が振り向いて
くれるのではと、

否、あのひとみたいに
なれるのではと。


愚かしいか、
愚かしいよ。


ほんとうなら
僕はたくさんのものを
大切にできるはずなのに
こちらの道を
選んでいるのだから。

幸せにもなれないのに、
選んでいるのだから。


(あの人≠あのひと)





これが
私のいまのあたまのなか、

の 半分くらい。


もうこれは自傷癖のひとつなんだろうか、自分がなくしたくないものを自分から破壊してしまうという、そういうのも自傷癖なんじゃないだろうか。

だからひととは浅くしか接していないのだ。こんなことになっても自分はあまり後悔しないように。


誰からも愛されないひとは、みんなから愛されているふりをしなくちゃならないのよ、というス/ヌーピーの名言がある、今日はそれを見て、気持ちが落ち込んでいたのもあるが、

でも、今日のは私、間違ってただろうか。わがままだったろうか。

もうこれいじょう嫌だった、見たくなかった、被害妄想かもしれないが色んな思惑がありそうなあの目を見てきちんと話をする自信がなかった。怖かった、自分がそう思ってしまうことも怖かった。

でも日を置けば、時間がたてば私の勘違いだったと思えて、大丈夫になるって思って、だからなのに、私はまちがえたのだろうか?

分からない、接し方がわからない。元から人との接し方をさぐりさぐりなのだ、こんなイレギュラーな場合に私は対応しきれない。

でもいまこの段階で、みんなと仲たがいしたままは嫌だと思えるくらいには、みんなをじつは慕っていたのだなと思うと、考えられないくらい自分が人間くさいなとおもう。


どうすればいいのかわからない。

出来たら仲良くしたい、でも無理だろうか、いつもみたいに、無理だろうか。いやもう嫌われても仕方ないのかもしれない。

でもやだ
でもどうすればいいのかわかんない私じゃもうわかんない

 
私のはなしを、聞いてくれるだろうか。私は自分がなにを話したいのかがまだ分からない。

そしてたぶん、あなたはきっとただ優しい言葉をかけることしかしないでしょう。

私は最低な奴になりたいと思っている。私は無意識にそう思っている。私がさみしくならないように。

ねえだから、恋愛なんてものを噫にも出せない。出せないんだ。それが最低なものだとしっているから。

私が弱みをだす。それがもしかしたら私が最低な奴になるための無意識な仕掛けだとしたら、相手を傷つけるかもしれない。だから私は強くなくてはいけない。

私が感情を揺らすことがあるいは罪かもしれない。だから私は相手を見て、相手に賛同し、私は私の意見をつくらない。


でも私はそんなの間違っているとおもう。

でも私の憧れたひとがそんなひとだったから、それに気づいたとしても、私ももうそれを目指すしかないから。


でもどうか、
きらいにはならないでほしい。

 
さみしい、のだろうか。

例えば私は恋をしていなくて、それがたまに、むしょうに悲しいことなのではと不安になる。

にんげんの本能なんじゃなかったかしらと、不安になる。ちゃんとにんげんなんだろうかと、不安になる。

でも、例えば自分がだれかに寄り添う姿を想像すると、それも怖くて怖くてしかたない。

私はどういうつもりでそのひとに寄り添うんだろうか、それがわからない。

そういえば以前は私だってすきなひとのひとりやふたり、居た、はず。この日記のログにだってあるもの。

でも私が恋をしたことがないって面と向かって指摘されてから、それがどういったものなのか、まったくわからなくなってしまったの。

なんだっけ?

そもそも、なんだっけと言えるほど、脳に恋というものの意味が埋めつけられていたのかすら不明瞭かと。

でも、なんかそういう、恋人とか、そういうのに憧れてるのは、きっとクリスマスが近いからだということにしておこう。そう思えば、こんな私でもすこしはにんげんっぽいかなって。
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