小学2年生の時、学校の机に殺害予告の手紙が入っていた。迷うことなく、破り捨てた。忘れ去っていた自分史上で、一番痺れたエピソード。

私が手紙に気づいたとき、手紙に目を通したとき、ごみ箱へと手紙を破り捨てたその時、横には友達がいた。果たして一緒に手紙を読んだのか、私が一人で読んで、何も言わずにごみ箱へ向かったのか。記憶は定かでない。
手紙には、まだ習っていないアルファベットと、私を殺す予定時刻と、まるでラブレターのような悪口が綴られていた。付録にクラスの気持ち悪い奴ランキングもあったはずだ。
手紙の差出人の不器用さが、子供ながらにも感じられた。というのも、その手紙を書いた人物が私を羨んでいると周りの大人が言ったからだ。大人がなぜ登場したのか、手紙の存在が明るみに出たからだ。破り捨てた手紙であったが、一緒だった友達が騒ぎ担任に訴えたのだった。担任教師を巻き込んで、私たちは、ごみ箱からちぎれた紙をあさってセロテープで繋いだ。この時、私は不要だから捨てたのに、騒がれたくないから破いたのに、心で呟き続けていた。
結局は、学級問題となった。

もちろん、私は殺されなかった。小学2年生の戯れだ。手紙の差出人は、どのような気持ちで文字を連ねたのか、どのような期待で封をしたのか。安易で、物騒なラブレターが学級問題になるなんて思っていなかったのか。それとも自己肯定感をもて余した私がひっそりとそれを処理し、悩みとして自分に話すとでも思ったのか。
結果的に、差出人は名乗らなかった。私は今も誰が差出人だったのか、知らずにいる。ひそかな疑いを持つのみだ。