お久しぶりです、こんばんは。
前回の投稿からまたしても空いてしまいました。
今回は前回の北海道帰省での出来事を追想してみようかとやっとパソコンと向き合いました。
もちろんとても楽しい滞在にはなったのですが、今年の帰省はそれでも少し、複雑というか悲しいというか、そんなものになりました。
なかなか会えないのに学生生活にかまけて、会ったのは3年ぶりでした。
ロビーに到着して、顔を見た瞬間に衝撃で言葉が出てこないというのを初めて体感しました。祖母の顔は随分、歳をとっていました。一瞬、本当に一瞬、息が詰まって言葉がでませんでした。ひゅっと喉が鳴るというのはこういうことかと。次の瞬間には笑顔で久しぶりとハグをしましたが、その一瞬の衝撃が未だに忘れられずにいます。
80も越えれば顔が歳をとるのも当然なのでしょうね。むしろ元気すぎるくらいなのだと思います。
でも、元気だったからこそ、信じられない思いがしました。
祖母は今、認知症の初期の段階にあるようです。
少し前のことを忘れてしまうのですね。
ついさっきご飯をあげたばかりの犬にご飯をあげただろうかとか、やたら果物ばかり家にあったりとか。
あとは感情が、特に怒りが、抑制できないようです。ちょっとしたことで祖父にかみついてしまったり。私たちの前では祖父も受け流してすぐに空気は戻るのですが、普段はそのまま口論になるようです。それで、そのあとに、怒ってしまったことをとても後悔するのだとか。
それからお金をすごくすごく使いたがったり…という小さな違和感がいくつもいくつもありました。
普段の話は、祖母からではなく全て、祖父から聞きました。
幸いなのかは分かりませんが、祖母は自分の症状には気づいていないのですね。
医者に見せれば薬などで進行を遅らせることもできるそうです。
でも、それができるかと言えば否。
祖母は若い時にはとてもきれいな人でした。歳をとってからも教会の婦人会やらボランティアやら、介護施設での朗読やら。むしろ自分が世話になるような歳になってさえ、社会に出て多くの人とふれあって、華やかに生きてきた人です。
自分の現状を知らせてしまったらとても立ち直れないのではないかと思うと、なんともできません。
ただでさえも最近は、あの華やかな祖母が外に出たがらないというのに、です。
ああ、世代が交代しようとしていると漠然と思いました。
当然のことです。姉も私も成人しました。姉などはもはや社会に出て、結婚して家庭を築いても、もう何の不思議もない歳です。
この場で明確な言葉にするのは、それが現実になってしまうことが怖くてできません。
でもこれから現実になるであろうその予感は、恐ろしいと思いながらもなぜだか残酷なほど冷静に私の中に浮かび上がりました。ただ、当然なこととして。
おそらくは受け入れがたいのは母の方なのでしょう。
孫の私から見れば、悲しさはあるけれど、それでも当たり前の世代の交代。
でも娘からしてみれば、親はいつまでも親です。歳をとっても「おばあちゃん」のにはなりえません。
始めから、ある程度は歳をとった姿しか見ていない私たち孫の世代とは違います。
短い滞在の後に、母は別れの空港で泣きました。
別れてからの飛行機の中で、空港からの帰りのバスの中で。
振り返って話をするたびに涙を流しました。
いつまでも若いわけがないのに、元気でいてくれるからって忘れていたと。
そばに居てやることもできない、親不孝をしてしまったと、困ったように笑いながら泣きました。
それでもきっと、まだもっと決定的な現実は想定していないのでしょう。
だって、母にとっては親です。今までもこれからも当然に存在しているはずなのです。
私が母がそうであると思い込んでいるのと同じように。
だから、今回の帰省でひとつ決めたことがあります。
私は覚悟をしておきます。
いつ、それが現実になってもいいように。
その時にきちんと、母を支えることができるように。
きっとそれは、私にしかできないことだと思うから。
他の誰でもなく、私のすべきことだと思うから。
もちろんまだまだ先のことであるようにと願います、祈ります。
まだ。もっと。ずっと。ずっとずっと。
本当にそう願うけれど、いつかは必ずやってくる現実です。
だから、失礼を理解した上で。
帰省してから何度も何度も考えることがあります。
いつからだっただろうかと。
祖母が電話を切るときにときどきひっそりと
「お母さんのことを支えてあげてね」と私にいうようになったのはいつからだっただろうか。
どうしてだか、母に伝えてはいけない祖母からの母への愛なのだと、ひっそりと胸にとどめるようになったのはいつからだったろうか。
それはきっとこれからも、祖母と私との秘密の約束です。
親子の絆って、特別なものだと思うのです。
その中でも、母娘って何か特別な絆があるように思うのは私の家庭環境のせいなのでしょうか。
今日のこの記事の最後に。
心から、どうか祖父と祖母が共に、永く永く平穏な時を過ごすことができますように。
どうかどうか、二人をあたたかくお守りくださいますように。
そして来たる時、残されるものが強くあることができますように。