最新の私が思うこととしては。
例えば、よく、ありふれた人生なんていいますよね。
例えば、ある物語のプロローグ。
俺は○○×男。ごく普通の高校、そこそこの大学を出て、そこそこの企業に就職。なんてことはないサラリーマン。彼女はいてそろそろ結婚を考えていて、特にこれといったことはないありふれた人生。
例えばあいつ。
中学でいじめられ高校でぐれて不良になりギターをはじめ、なんとか更生し大学を卒業。アーティストを目指してそこそこの地位にいくがデビュー叶わず適当なスーパーの正社員。
例えばこの私。
適当な高校。金がなくて進学は断念。就職氷河期にモロアタリで就職は出来ずフリーター。飲食店で将来なんて何にも考えていていない馬鹿で浅はかな18才。なんてありふれた人生。
こんな感じでよく人はありふれた人生を語るよね。
ありふれてる、ありふれた、どこにでもある陳腐な人生。
でも誰しもが初めて生まれて初めて歩む人生にありふれたもくそもないと思うことはおかしいでしょうか。
第三者の、自分が他人を見たときの、その時の自分と他人の、自分とその他大勢の比較。確かにありふれているのかもしれないけれど。
誰しもが初めての人生にありふれているも何もないと、思いたいのは、私の人生ありふれたものなんて、そんな風には思いたくないからなんだろうか。
浅はかだと、結局自分の意志より第三者やその他大勢の視線や概念何だろうか、自分の人生と言うものは。
ありふれたってなんなんでしょうか。ね。