* 114
世の中には自分に似ている人が三人はいるという。という話をどこかの本で読んだことがある。それがこちらの世界の話だったか、向こうの世界だったかもう忘れてしまったけれど。
そんな話が一瞬にして頭に蘇ったのは、今まさに目の前にいるメルにそっくりな小さな男の子供を見ているからだと思う。メルに…そっくりな…
「…に…似てる…」
事の発端は、本日の私の業務である侍女の仕事を終え、今日は音楽家としての練習もあるが、それまでまだ時間があったので、ラビとルカの執務室近くの廊下の窓でも拭こうと思い至ったことだった。
一応ルカには確認をとり、助かりますといってくれたルカの言葉に頷いて私はせっせと廊下の窓ふきをしていたのだ。そのうちのひとつを拭き終わり、掃除終わりまでの換気のつもりで窓を開けたところだった。
唐突ににゅっと窓の下から現れた小さな頭に思わずびっくりして声をあげると、その物体はそのまま小さな顔をのぞかせ、そして今私の目の前に私と同じようにぽかんとした顔を晒していた。小さな、子供だった。
紫紺の髪と、紅緋の瞳。その特徴だけみればメルにそっくりで、けれどもちろんメルがこんなに小さな子供なはずもなく。思わずじっとその姿を見つめる私に、相手もじっと私を見たまま動かずに声すらも発しない。
そんな状況が数分と続いて、漸くハッと我に返った私は普通なら窓の外からここに上ってくるなんて芸当が子供に出来るわけもないなんてことすら思い及ばず「…あの、」と小さくその子に声をかけた。
「……えーっと…、」
「…、」
声を発したものの、なんと声をかけたものかと、言いよどんだ私の反応に、一瞬目を伏せて、眉間にしわを寄せたその子はきょろきょろと視線を足下で彷徨わせた。
というか、子供。こんなところに。この王宮は子供同伴で仕事、出来たっけ?いやでもそもそもこの王宮の中の誰かの知り合いじゃなければ、きっとここには入ってこられないだろう。
ついこの間結界の話とやらをきいたのだから、多分間違いない。だとすればこの子は誰かの知り合いの子で、きっと害はないはず。だったら、そうだ。
「…誰かの、お子さんですか?」
「………」
「えっと…お話、出来る?」
「………」
とりあえず親御さんを捜索しなくてはならない。
そう思って声をかけると、パッと顔を上げたその子はもう一度私を見つめて、何やらもの言いたげな顔をしたが、結局その口が開かれる事はなかった。
「言葉、わかる?」
「…。」
「お話は?」
「…、」
「じゃあ、えっと、…お母さんとかは?」
「…、」
「えっ」
言葉は、わかる。話は出来ない。お母さんは、いない。頷く、首を振るだけでなされた会話の終着点に思わず小さく声を上げると、どこか居づらそうに視線をさまよわせるその子はそれ以上何を言うでもなく、ずっと窓の外側にあった身体をそこでついに窓枠にのせるように持ち上げた。
そういえばそうだった。てかあれ?そっちがわ、人が立てるスペースなんてあったっけ?
「あ、そうだよね。危ないよね。ちょっとごめんね」
「………」
「えっと、お母さんはいなくて、お父さんは?」
「…、」
「…そっかあ。知り合いは、いる?」
「…、…。」
窓からとりあえず廊下に入ろうとしたその子をひょいっと抱え上げる。想像よりもずっと小さかったので、私でも軽々持ち上げる事が出来た。そのまま腕の中におさめて質問を再会すると、一瞬居心地悪そうな顔をしたその子は、お父さんもいないと回答したが、知り合いについては悩んだ末に居ると頷いた。
しかし言葉が話せないらしいのだ。それが誰かと言うこともできないのだろう。なんとも不思議な子が迷い込んでしまった。そして今近くにある執務室に、ラビとルカはいないのだ。大変困った。
「うーんと、ひとりじゃ危ないから、誰か知ってる人がいるところまで一緒にいってもいいかな?」
「……」
「今この近くには人がいないからね…多分この場所で一番ここに詳しい人に一緒に逢いに行こう?」
そしたら貴方の知り合いが見つかるかも、と小さく笑いかける。どこか緊張した面持ちでさっきからずっと視線を彷徨わせている相手に、私はそっと頭を撫でるように手を置いた。
それに一瞬びっくりした顔をした相手は、すぐに大人しくされるがままになり、ほんの少し気持ち良さそうに目を細めてみせた。
……なんだろう。この気持ち。
「……かわいい……」
小さいメルだと思ったら尚の事可愛い。おもったよりもふわふわした髪質は撫でるたびに指にからんで気持ちがいい。うっすらと細められた目は、やっぱり綺麗な赤い色。きゅっと結ばれた口から声は発されないけれど、無口なところもメルに似てる。
撫でる私の手をその小さな手がぎゅっと握ったところで私はようやく我に返って、不安なのかなあと思いつつその手をつなぎ直す。そしてもう一度笑いかけると「それじゃあいこうか」とゆっくり廊下を進み始めた。
ルカはリーサのところに行くと言っていた。ラビは今文官さんたちの部屋だ。打ち合わせがあるといっていたから。とりあえずはルカを目指そう。リーサの部屋に向かえば逢えるし、途中で誰か知ってそうな人に会えればもっといいけれど。とりあえずルカに聞けば全て解決するだろう、とその足をすすめる。
「君は、何歳?」
「…、」
「わからないのかあ…。お名前は?」
「……」
「あ、そうだよね、話せないんだよね。文字はかける?」
「…。」
「じゃあこれから行くところについたら教えてね。私はシノ。よろしくね」
「…。」
「ここにはよく来るの?」
「……、…。」
「知り合いの人は、貴方が来る事知ってる?」
「…。」
「そっか、じゃあきっとすぐに見つかるね」
一方的に話しかけながらリーサの元を目指す。その間も私の首元に捕まりながら抱えられて移動しているその子はとくに周りを見るでもなく落ち着いている。メルに子供が居たらこんな感じかなあ、と思いながら思わず小さく笑ってしまう。それくらい似てるのだ。
「今探してる人はね、ルカっていうんだけど…わかるかな」
「………………、」
「…どうしたの?」
ルカ、と名前を出した瞬間、一瞬ぴくりと動いた指先が、ぎゅうっと私の服を掴む力を強くする。その反応は多分知っている反応なのだろうが、あまり好きじゃないのだろうか。
黙って大人しく抱えられていたその子は、一瞬視線をさまよわせた後、迷った末に、私の首にぎゅうっと抱きつくようにして顔を隠した。え?あれ?
「えっ、もしかして――」
ルカに逢いたくないの?とそう問いかけようと思った。思ったところで「シノ?」と聞こえたのは、今まさに私が探していた人物で、その声の方に顔を向けると、廊下の先にいつものルカの姿を見つける。
「何をやって……それは?」
「あ。…えーっと、」
それは?といいながら示されたのは、まさしく子供。今は私の肩に顔を埋めて微動だにしないその子に一瞬視線を向けた私はなんと説明するべきかと一瞬まよって「窓から…」と口を開いた。
「…入って来て…なんか話が出来ないみたいだったから」
「はあ…?」
「今ルカを探してたんだけど。この子って」
「いつまでそうしてるつもりですか、メルセデス」
「……うん?」
メルセデス?メルセデスとはメルの名前だ。私の言葉を遮るようにいつもより低い声でそう言い放ったルカに思わず私は自分の後ろを振り返る。いや、いない。それじゃあ何だ?ルカはこの子に向かっていったのか?いやいや、確かに似てるけどね。メルはこんな子供では…
「何やってんですかアンタは」
「…痛いですルカさん」
ここにメルはいないよとルカに言おうとしたまさにその瞬間、スパーンと小気味のいい音を立てて子供の頭を手にしていた書類で叩いたルカに私は思わず目を見開いた。そして更に続けて肩口から聞こえた紛う事無いメルの声に更に目を見開いた。私の目がおっこちそうだ。
「!?」
「…すみませんシノ、悪ふざけが過ぎました。おります」
「!?!?」
パッと肩から顔を離して、驚愕する私をみてそう言ったその小さな子は、メルの声とメルにそっくりな顔で、メルの口調でそう言い放った。てか話せてるじゃん!!なんだと!?
「…どういう状況で?」
「近道して報告行こうと思って上った先にシノがいたんですけど、この姿見せるの初めてだし、全然気付かないし、挙げ句子供扱いなんで…なんか今更俺だっていうのも気が引けて、知り合いを捜すことに」
「意味がわからん」
「あまりにも気付かないからなんか…申し訳なくなったというか。でもまさか初っ端ルカさんに逢わされるとは思わなくて」
「だからってあの隠れ方じゃバレバレな上に隠れる意味もないでしょうが」
「ああああの、ルカ、」
ちょっと待って、と勝手に話を進めているルカとその小さな子。ちなみにまだ見た目は小さな子供だが、どうやらこの子があのメルらしい。いや、待って?そんなことってある?ないよね?え?
「…メル…なの?」
「そうですよ。…そろそろ戻ってあげたらどうですか?」
「あー…なんか……ホントは見られたくなかったんですけど…」
「今更でしょう。見られたもんはしょうがないですよ」
「…そっすね」
溜め息まじりにそう言うなり、一瞬その子の足下が光る。薄く浮かび上がった魔法陣が消えるころには、光に包まれたその小さな身体が、今度は見上げなければいけない大きなものへと一変する。
唖然とそれを見上げて、今度こそそこに現れた見知った人物に私は思わず「え!?」と大きな声を上げた。
「…お騒がせしました」
「貴方もしかして私に会わなかったらこのままシノに告げないつもりだったんですか?」
「…まあ、」
「なんで」
「なんか…やだったから…」
歯切れ悪くそう言ったメルには申し訳ないがその様がまさしくさっきの子供と重なって思わず笑みが零れてしまう。ていうか、似てる似てるって言ってたけどまさか本人とは。なんということだろう。
「…えっと、…まほう?」
「そうですね」
「メルは変身魔法が得意な種族なんですよ。…まあメルはちょっと特殊で今見たように小さくなるのが限界で、姿形を別物に変えるってのが出来ないんですけどね」
「…え、と…種族としては得意だけど、メルは苦手ってこと?」
「維持するのは得意です」
「あ、そうなんだ」
ていうか変身魔法を使うとメルは小さくなれるのか。ていうかだったら最初にあった時にそう言ってくれればよかったのに!そしたらあんな…知らない子に話しかけて世話を焼く近所のおばさんみたいなことしなかったのに!なんだか私の方が恥ずかしいじゃないか。
「っていうかメル本人だったのに…!なんか…あんな子供にするみたいにしてごめんね…!」
「…いや…俺も言わなかったのが悪いんで…」
「でもすごいねえ…魔法で小さくなれるんだねえ」
「…」
「今度また小さくなってくれる?」
「……なんで…」
「かわいかったから!」
小さいメル連れて外でお弁当とか食べたい。ピクニック!楽しそう!そしてきっとかわいんだろうなあ。イノリさんも一緒だったらもっと可愛いだろうなあ。やりたいなあ。
そんな事を思いながらニコニコ笑ってメルを見上げると、心底嫌そうな顔をして視線をそらしたメルは「嫌です」と小さく言葉を呟いた。
「えっなんで!」
「いや…なんでもなにも…」
「かわいかったのに…」
「それ嬉しくないし…そもそもシノにだってあの姿見せるつもりじゃなかったし…」
「見られたら嫌ってこと?じゃあ誰も見てないところならいいの?」
「いや…そういう…」
ことではなくて…と視線を彷徨わせるメルは最終的に事の成り行きを見守っていたルカを見て「ルカさん…」と助けを求めるように声を発した。
「自業自得じゃないですか」
「…実はさっきの奴根に持ってますよね?」
「さてなんのことでしょう。シノ、ピクニックに行く時は是非私もさそってくださいね」
「!…やった!わかった!」
「ちょ、」
「ではメルそのときはよろしく。仕事に戻りましょうか」
にっこりと笑ってそういったルカに許可を貰えた私は喜んでメルの腕を掴んで「よろしくね!」とぶんぶん上下に振ってみせる。それを見てあからさまに顔を顰めたメルは、暫くして小さく溜め息をつくと「…いつかね」と疲れたように言葉を吐き出して歩き出したルカの後を私の手を引いてついて行った。
「どうでもいいけどいつも抱えてる人間に抱えられるって不思議な感じでした」
「え?あ、メルって小さくなると体重も軽くなるんだね」
「そりゃあ…」
「ちなみにイノリも小さくなれますよ」
「えっ」
「メルと行動するときはリーサくらいのサイズで居ることが多いですよね。魔力貯蔵とかの目的で」
「そうですね」
「…み、みたい…!」
あの容姿で小さい子なんて…天使でしかない!
思わずキラキラ目を輝かせる私にメルは一瞬視線をおとして、すぐにすっと私の身体を持ち上げると、いつものように私を片腕にのせるようにしてから相変わらずの無表情で首をかしげた。
「シノ、子供好きなんですね」
「うん!」
「……俺もシノの子なら見てみたいです」
「……うん?」
これとあれの子なら多分見た目はすげえかわいいんだろうな、と。ボソッと呟いたメルの発言に前を歩いていたルカが突然ぐりんと振り返って「無駄口!!」と何故か若干怒ったような焦ったような声で怒鳴ったことにびっくりして私はメルとルカを交互に見た。ていうか、子供?私の?それでなんでルカは怒ってるんだろう。
「叩かれた仕返しです」
「言うようになりましたねメルセデス…」
「…でも見てみたいのもホントです」
「……はあ…、ホントどいつもこいつも…人の事言えないくらい全員シノに絆されてるな」
「否定はしないっす」
何故かはああ、と深い溜め息をついたルカはそれ以上何も言わず、ずんずん廊下を進んで行く。その背中を見て、思わずメルと顔を見合わせると「みんなシノが好きですねって話ですよ」とメルは真顔でとんでもないことを言って退けた、が。
でも、私もみんなが好きだ。思わず嬉しくなって笑うと、小さかったときにそうしていたようにメルが目を細めて口角をあげたのがわかった。いいなあ。メル、もっと笑えばいいのにな。なんて。
あまりにのほほんとした空気になんでメルがあの時子供だったのかとか、仕事に戻るって、メルとルカの仕事とはなんだったのかとか、私の頭からすっかり抜け落ちていたのだ。
この後ちょっとした事件が起こるまでは。
cm:0
pre :top: nex