大根自体は好物じゃないけど、大根の味噌汁は好物です。
柏子切りした大根の味噌汁が好きです。
でも家の人は銀杏切りした大根の方が好きで…好みがあいません。
おかげで家では大根のお味噌汁は作らないようになりました。
銀杏切りはあまりに抵抗があって…。
悲しい!
それでもって、やっぱり頭痛発生…。
着物で配膳なんで、動いているうちに暑くなり更にはのぼせてしまう。
着物ってキツいとか苦しいという印象あるけど、結構そんなことないんですよ。
紐で縛る場所が骨の近くで内蔵圧迫しないようにするんで。
玄人さんなんかは汗を出さない締め方するとか聞いたことあります。
で、何故具合悪くなるかというと、単に暑さに弱いだけで。
まあ、あと体力的についていけてないと。
たまに疲れすぎてると、仕事した実感がなくて、今日働いたよね?なんて思うこともしばしば。
でもここ二回のバイトには少し感謝した。
体力的にはもちろんキツかったけど、友人のこと忘れられてたし、考えすぎておかしくなる暇与えてくれなかったし。
友人のことは、とりあえず暇が出来たら文句を吐いてやります。
それで終わり。
理屈と感情が仲良く出来なくて、色々ぐるぐる。
友人のことは仕方ないと思わないといけないと思いつつも、勝手だと思う気持ちもある。
素直に怒ればいいのに、素直に感じることすら出来ない。
本当に突然だったからな〜。
それまでの瞬間が嘘のように否定されたんだから。というか今までの関係は私の幻想だったんじゃないかってくらい思うしかないくらいの、友人からの責めがきたからね。
不意打ちってかなり衝撃強いよね。
今頃友人も具合悪いのかもしれないけど、突然衝撃喰らわされて鬱に陥れられた私としては同情はしない。
友人は相手の病気を気にして怒るタイプじゃなかったし、言葉遣いが丁寧なようで実はオブラートにくるめない人だったから、今までにもいきなりどん底に落とされた精神病の方々たくさんいたんだろうな。
そして友人は一回として気づきもしなかったんだろうな。
結局、私は混乱して頭痛がひどくなり、周囲への認識がまた曖昧に。理解できない衝動がそのまま胃の消化不良へ連結。
自分の行動への罪悪が募り何もやる気がしない。
お互いが、その関係を無意味にしていったのなら受け入れたかもしれない。
だけど、理不尽な理由で一方的に無意味にされたのだけは許せない。
全て私が招いた事実であるようにして、元凶である私を排除しようというやり方は、
一人の人として気持ちを持った私には苦しいよ…。
理屈がわかったところで、私の鬱は消えませんけどね。
理不尽さに怒ればいいんでしょうけど、うつ病のよくある傾向で、“自分が悪かったんじゃ…”という思考がループ真っ最中なんで。
相手の非を咎められず、その理由を知ることで納得し、責める行為から回避するのは私の弱さです。
たまにあまりにひどいと怒りますが、大抵は宥めてフォローいれます。
ああ〜、自分さえ馬鹿馬鹿しい。
絶縁や、もしくはずっと続く関係ではない可能性も実はいつだってあったんだろう。
友人は、既に手一杯の罪悪感や自責の気持ちを抱えていたから、それ以上の“自分が悪い”という感情や考えを負うのが苦手で、それを常に回避させる人だった。
だから周囲と関係が悪くならないように愛想良くしたり面倒見良くしたり…だけど病気の人がそんなこと完璧に出来るはずもなく。
“実は嫌なんだ。苦手なんだ。耐えられないんだ”と、愚痴を聞くことは毎回のようにあった。
そしてあまりに耐えられなくなると相手を責めたり具合が悪くなったり。
普段聞き分けが良い人を演じているだけに、友人の態度の変化や言葉に傷つく人もいた。
実際耐えきれなくなる前の友人と周囲の関係は明らかに仲の良い人で、そんな展開になるなんて想像さえしなかっただろう。
まあ、自分も実際そうだったし。
だけど友人は悪い人ではなかった。自分勝手な人でもなく。
むしろ優しい人で優しさ自身は嘘ではなかった。
ただ、自分の許容量を知らない人だった。
自分の許容量を超えて耐えられなくなったのを他人のせいにして、自分を守ろうとしてしまう人だった。
人を優先したくてしていたことが、耐えられなくなってくると“相手が振り回している”と思い込みたくなるのだろう。
今回のこともそうだったのだろう。
私が面会に行かなければ、看護師に注意されることもなかった。面会時間が長引いてしまった、自分が引き留める状況というのも作らずにすんだ。
実は帰ってほしいと言えなかった自分が整理出来なくなることもなかった。
自己防衛本能がこのタイミングで働いただけ。
友人が望んだとかそういうことは関係なく、悪い立場になってしまった自分を擁護する材料が、“私が振り回した”という事実に置き換えること。
そして、自分が罪悪感を感じないように、“今回だけでなく今までも迷惑していた”という理由を付けること。
本質を見つめるのではなく、手っ取り早い排除という方法を友人は選んだ。
きっと友人はこれからも、自分の本当の優しさや弱さに立ち向かうこともなく、いっぱいいっぱいなままで暮らしていくんだろう。
それが一番やるせない。