/東京カランコロン
最強になったり、どうしようもなく悲しくなったり、あーもうそんな不安定なところも大好き。悩んで弱くなって、吹っ切れて無敵になって、本当に自分、どうしようもないなあ!
恋愛なんて、人生の要素でしかないんだ!
この前、ぐわんぐわんに振り幅がふれて、悲しくて虚しくて泣いちゃった。
でもその幾日かあとに、人間がやっぱり大好きで出会いが嬉しくて、全部全部、大切なんだって、嬉しくて嬉しくて泣いてた。
本当に泣いてた。
出会いが僕の伏線だった!出会いが人を変えるんだ!出会いに影響を受けた人の話をきいて影響を受けちゃうんだ!
すごいよ、人間って。生まれるべくして生まれたんだって思った。進化の過程だとしても、神様の気まぐれだとしても、なんであれ、良くも悪くも地球に人間が誕生したのは必然だったんだな!
僕は何にもすごくないし、どこにでもいる女子大生なんだって実感した!そしてすごいのは、僕じゃなくて、僕の周りにいる人達なんだ!
そんな人達に会えて、音楽とか文化とか、好きなものに会えて、僕はもうね、涙が溢れちゃったよ〜嬉しくて嬉しくて。
なんだろうなあ!そんな出会いを噛み締めて、幸せだなって思えること、そうなんだよね!出会いについて考えてみて、もっと色んなものに出会いたいし、体感したいし、噛み締めたいって思った。
さよならこそが人生だ
漢詩 歓酒の一文を、井伏鱒二はこう訳した。これは、人の一生には別れは五万とあるからくよくよせずに杯を交わそうっていう詩なんだけど、私はこの一文にすごく感銘を受けた。
別れっていうのは、出会いと表裏一体なんだから、さよならこそが人生だというのは、つまり出会いこそが人生なんじゃないかと!
出会わなければ別れることなどあり得ないのだ。別れにくよくよするな、新しい出会いがあるのだ。そしてまた別れるのだ。その出会いに気付けって言われた気がして、どきどきした。
嫌な感情も、忘れられない記憶も、全部出会いなのだ。意味があろうがなかろうが。むしろ、そこに意味づけができるのは、人間だからなのだ。無意味なものなんてないのは、僕らが自分で意味をくっつけられるからなんだ!
高校生のときの僕は、自分も含めて人間なんて大嫌いで、みんな死ねばいいって思ってた。みんな死ねば地球は汚れないし、生きているのは死ねないからってだけだと思ってた。
違うんだよね、違わないけど。
生きているのは、生きたいって思うからで。生きたいって思うのは、見たいもの聞きたいもの、触れたいものが溢れているからなんだよね。あくまで、僕の場合なんだけど。
違うなあ。生きたいって思うわけじゃない。あれも見たい、これも知りたい、もっと一緒にいたい、だから生きなきゃ、死んだらなにも感じられない、生きなきゃ!っていうのがしっくりくる。
生きたいからじゃない。これがしたい、だから生きるんだ。
毎日が楽しいのは、自分が大好きで、出会うことが大好きで、好きなものがたくさんあって、お酒がのめて、ライブにいけるから。
健康がなによりだよ。
僕等は一人一人が他人で、血のつながりも、吹っ飛ばすくらいの他人で、皆が一人一人生きていて、その人の人生があるんだから、思い通りにいくほうがおかしいんだよね。
だから、僕は僕自身のために生きてるし、自己満足だし、誰かのために生きていける自信なんてないけど、それでも、誰かと関わるのは楽しくて、やってられないくらいむかついて、でも、それでも。
僕は一人で幸せになるんだなってつくづく思う。その幸せのかたちや、方向が誰かと似ていたら、嬉しい。
一人で幸せにならなきゃ、誰も幸せになれないよなあ
二人で幸せになるっていうのは私にとってありえなくて、二人のそれぞれの幸せのかたちが似てるってだけだと思うの。
自分のこと以上に誰かを大切にするのは、それはそれで素敵なことだと思うけど、僕には到底無理な話なのです。
自分が何より可愛くて、大事で、その自分のために誰かを大切にしてるんだなって思います。
わからないけど、僕はあの日から毎日が楽しくて、ちがう、楽しいことばっかり追いかけて好きなことばっかり追いかけてる。楽しいこと追いかけて楽しくて、毎日が楽しいんだと思います。
苦しいくらいまた、悩むんだろうなあ。
でもきっと僕はまた幸せになるんだろうなあ!すごい!
明日はテナーとスペアザのライブ!うぎゃあ、楽しみだ、、