読まなくていい

僕の人生はあまり薄くないと思う。
ほどほどに、あんまり、ふつうのひと(ふつうのひとってなんだというのはさておき)は体験してないと思うことがいくつかある。いやでも実際問題、皆さんそれぞれにもそういうこといくつかあると思うけど。じゃあ僕も普通かもしれないけど。

悲劇というほどではないが、忘れられないつらいこともいくつかある。
前回の記事から、そういう思い出を出力していきたいと思っていた。
というのも、最近、老化だと思うのだけど、過去の記憶があいまいになってきていて、思い出せなくなりそうなこともあるので、残しておきたいとおもった。
しばらくはそういう、過去の話(特につらかったことが多いので楽しくはない)が続くと思う。備忘録です。


さて、僕は僕を含めて4人兄弟です。
2歳年下の妹、4歳年下の妹、9歳年下の弟がいる。
4歳年下の妹が2歳くらいの時のことだ。
僕は6歳くらいだった。小学校にあがってたか上がってなかったか微妙な頃合だった。

夏で、僕と、4歳の妹はアイスを食べることにした。
2歳の妹はまだ食べられない。食べてたのかな。わからないが、ひとつ分まるまる全部は食べなかったと思う。
これは忘れずに覚えている。スーパーカップのバニラ味のアイスだった。僕は先に母からアイスを受け取り、ベランダに持っていった。
実家のベランダは広く、ガラスでできた一本足の、テラス用のオシャレな丸テーブルがあった。6歳の僕の胸より少し上くらいの高さがあった。イスもオシャレな背の高いイスだった。6歳の僕が「よいしょ」とよじ登るように座る感じの高さだった。

台所では4歳の妹が母からアイスとスプーンを出してもらっている。
僕は先に、丸テーブルにアイスを置いて、食べ始めていた。
2歳の妹が僕の周りをウロウロしてアイスを食べたいと催促するので、スプーンで取って分けた。2歳の妹の分はアイスが用意されていなかった。
何口か分けたがたくさん譲る気もない。自分の分も確保するように食べていると、また2歳の妹がウロウロした。もっと食べたいとはしゃいで、丸テーブルに手をかけてジャンプする。手をかけてジャンプしても、頭は上に飛び出さないくらい丸テーブルの背の方が高い。僕は妹を無視してアイスを食べていた。
4歳の妹は何やら台所で駄々をこねていた。バニラ味しかないのにチョコ味が良かったと言ったんだったか、その逆だったかはよくわからないが、とにかく違う味がよかったらしい。母と4歳の妹はベランダに来るのが少し遅れた。

僕は丸テーブルにひじをついてアイスを食べていたが、ふと何かが気になって、食べている途中で丸テーブルから体を離して椅子から降りた。

その瞬間、テーブルが倒れた。
2歳の妹がテーブルに手をかけてぶら下がっていたのに、僕がテーブルに乗せていた腕の重みが無くなったからテーブルがひっくり返ったのだった。

妹はテーブルと一緒に倒れた。
テーブルは一本足だったので妹の体は天板と脚のあいだの空間にあってテーブルに潰されることはなかったが、転倒時に手を離すのが遅れて、右手の小指がテーブルと地面の間に挟まった。挟まって、小指が飛んで行った。
血もブシャッって飛んでベランダに一本道を作った。
妹は何が起こったのかわからなかったようで、目を丸くしたままキョトンとしてひっくり返っていた。僕の方が、何かを大声で叫んで泣いていた。

その後の記憶は母と食い違いがある。
僕の当時の記憶上は、「母はベランダに来なかった」。というか、家の中に母はいなかったと記憶されていた。記憶が前述のように修正されたのは20数年経ってからだ。
冷凍庫は冷蔵庫の一番上のスペースにあって、母に取ってもらわないとアイスを取れなかったはずなので母がいたことは確かなのだが、当時〜30代手前くらいの僕は、あのとき家に母はいなかったと思っていた。

僕の記憶では、妹の指が切れた後、僕が妹の指を回収し、小さいビニル袋に入れ、その袋を持って妹もおぶって、隣家の祖母の家に駆け込んだ。
隣家といっても、僕の家はアパートの3階で、祖母の家はアパートの隣の敷地の一軒家だった。6歳の僕は2歳児をおぶってエレベーターのない階段を3階から1階まで降りたことになる。思い返せばそんなはずないのだが、僕は長いことそう思い込んでいた。
母がいないので僕がちゃんとして、妹を助けなければ!と思っていた。しかし救急車の電話番号がわからなかったので、祖母に依頼した(と記憶していた)。

母と4歳の妹は後から買い物から帰ってきて、家の前に救急車が来ていたから驚いていた(と記憶していた)。
母は僕から経緯を聞き、僕は拾っておいた妹の指を渡すと、母は「よく指を見つけてくれた、あって良かった、これで指がくっつく」と言って僕を褒めた(と記憶していた)。
母は2歳の妹と一緒に救急車に乗っていき、僕と4歳の妹は祖母の家で留守番をした。

と記憶していたのだが、大人になってから母にその時の話をした時に怪訝な顔をされた。母は現場にいたとのことだった。母が指を拾い、母が救急車を呼び、僕と4歳の妹を祖母の家に預けたということだ。
母の話の方が妥当性があるが、僕は当時からずっと、母はその場にいなかったと思っていたから不思議である。
2歳の妹より、あんたのほうが泣いてたからあの子は泣かなかったよと母は笑っていた。

結果的に、妹の指はくっついた。今でも曲げづらいらしい。
僕はあれからしばらくは、妹に罪悪感をもっていた。僕のせいでテーブルが倒れたと思っていた。母も母でトラウマになったらしく、ガラスの丸テーブルはすぐに処分された。僕はあれを気に入っていたのでそれは少し残念だった。

衝撃度でいえば未だに人生で一番のできごとで、更新されていない。
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小学一年生の図工

思い出話。

小学一年生のころの担任は、女性で、当時は知らなかったし気にもしなかったが、後から母に聞いた話だと、新任の先生だったらしい。
新任の女性の先生となると優しそうなイメージがあるが、かなり厳しい先生だった。小学校って厳しいところなんだなと思った。でも一年生の俺たちは、“覚悟”をキメてやって来てるわけだから、初めての担任がそんなに厳しくても「これが小学校の普通なんだ!」と思ったからつらくはなかった。

給食は残すことが許されなかった。苦手なものがあり、どうしても食べられなくても、給食時間が終わっても、昼休みになっても、5時間目の授業が始まっても、掃除の時間になっても、放課後になっても、食べきるまで絶対に食器を下げさせてもらえなかった。たびたびその罰に涙したが、それもまだ「小学生ってこうなんだ、頑張らなきゃいけないな」という気持ちがあった。

しかし、完全に心折れてしまった出来事がある。
夏休み前後くらいの、図工の授業だった。
校内にあるものや風景の絵を描こうという授業だった。それまでの図工の授業は何してたんだか思い出せないが、絵の具を使って画用紙に絵を描くことは、小学校に入ってからはこの授業が初めてだった。絵の具や画用紙を使ったお絵描きは幼稚園でもやっていたので初めてではないし、僕は幼稚園児のころはお絵描きが好きだったので嬉しかった。
幼稚園のころは、友達にも親にも絵が上手だねと褒められてきた。園で描いてきた、友達と山みたいなところで直立で立って手を真横に広げている絵を、父は額縁に入れて玄関に飾った。僕はそれが誇らしいことだと思った。

話を戻すと僕はそれほど絵が好きだったし得意だと思っていたので、嬉々としてウサギ小屋のうさぎをスケッチしてきた。

漫画みたいなニコニコ顔ではないが、頭部と体の境界にはハッキリと線が引かれ、脚のあたりも、幼児が描いた動物らしく4つの丸い突起物がモコモコついてる感じの体に描いた。皆さんが思い浮かべる「幼児が描いたうさぎの絵(体つき)」を想像していただけたらそんな感じの絵だったのを、僕の担任は許さなかった。

かなり怖い声で、「ほんとにウサギこんなだった?!」と聞いた。僕は戸惑って、「こんなだった…」と言ったが、「違うでしょ!よく見てきなさい!」とまた外に出された。
何度も下書きのスケッチを書き直しされて、消しゴムのかけすぎでところどころ画用紙が剥げるくらいだった。
他の子はこんなに怒られていないし、やり直しもさせられていない。今思い返しても、他の子の絵もゴリゴリの「幼児が描いた絵」だったのに、なぜ僕だけこんなに突っかかられたのかわからない。
僕はいよいよ号泣して、先生に、本物のうさぎと自分の描いたうさぎの何が違うのかわからないと言った。
そしたらようやく、「本当のうさぎの頭と体はこんなふうに分かれていない、頭部と体はなだらかにつながっている、脚もこんなモコモコではない、口はωじゃない」のようなアドバイスをいただき、先生が、僕にえんぴつを握らせたまま上から手を取ってうさぎの絵を描いた。
こんなの、僕が描いたとは言えない絵だが、確かに「本物のうさぎ」みたいになったので、僕は先生に色塗りの許可をもらえた。

色塗りの時も悶着があった。
僕はうさぎをピンク色に塗ってしまったので、また「本当のうさぎはピンクじゃないでしょ!何色なの!?見てきなさい!」と怒られた。
「白です」と泣いた。「白だけど、白は画用紙の色だから、色塗りができない」みたいなことを言った。そしたら「白い絵の具がなんのためにあるのか、白は白で塗りなさい」とまた怒られた。

水彩絵の具だったが、水を極限に少なくしたらピンク色の上に白色が乗った。下のピンクが透けて、めちゃくちゃ良い感じになった。白はかなり厚く塗らないとピンクの上に乗らなかったので、白の絵の具はこの時に使い切った。
地面は最初黄緑色に塗った。黄緑色はきれいだし、野原にいる感じの方が可愛いと思ったからだが、また先生に、学校のうさぎは野に放してないと怒られ、黄緑の上からウサギ小屋の茶色に塗った。下の黄緑が透けてこれも良い感じにはなった。

この授業のあと、先生はみんなの絵を廊下の壁に貼った。僕の絵がダントツに上手かった。他の子の絵はいかにも幼児が描いたような絵だったが、僕の絵だけ子供が描いた絵みたいじゃなかった。うさぎの形は先生が描いたようなもんだから当然だし、色味も、他の子はカラフルだったのに僕の絵だけ、白と茶色のコントラスト!という感じだったので、逆に目立った。

僕の絵はなんかのコンテストに出された。なんかの賞を取ったが、いちばん良い賞というわけではなかった。佳作程度だったと思う。
賞をとった子供たちの作品は、絵の隅にリボンを貼られて、また別のろうかの壁に貼られた。それは授業参観日まで貼られていて、両親が多分見て、たぶん褒めたと思うけど、僕は、父が玄関に僕の絵を飾った時のような嬉しさを全く感じられなかった。

父は僕の絵や賞状や通知表をケースに入れてずっととっておくタイプの人だったが、このうさぎの絵は、学校から持ち帰った日に捨ててほしいと頼んですぐに捨てた。

あの絵のときからたぶん、憂鬱の陰が落ちている。
しかし僕の家庭環境もちょっと特殊だったし、物心ついた時からセクシャルマイノリティだったので、遅かれ早かれ何かで憂鬱の陰には追いつかれていたと思う。陰気になったのを当時の担任のせいにはしない。
先生元気かなと思う。
新任なのに、初めての担任で、しかも一年生の受け持ちは大変だっただろう。ちゃんとしなきゃ!と思って、指導に力が入ったかもしれない。でも、年々丸くなっていったかな、教師という仕事をずっと続けているかな、と思う。僕は当時の先生の年齢を追い越した今でも、本物のうさぎと自分が最初に描いたうさぎの絵のどこが違うのか、あまりはっきりとは理解出来ていない。

パーソナリティ

横文字はよく分からないけど、なんかたぶん、パーソナリティ的によくないという遊びをしている。
パーソナリティがなんなのかよくわからないけど、たぶんパーソナリティ的にあまりよくない。

なりきりアカウントとかいうやつだ。酔ってる時には余計にやらないほうがいいかもしれない。
でもなんか、アニメキャラクターとかでそういうのやってる人多いけど、どうやって自我たもってるんだろ、僕はちょっとだめそうです。

僕はアニメキャラクターじゃなくて35歳子持ちサラリーマンおじさんという微妙に現実に沿ってるような沿ってないような設定でやってるから余計に自我が混乱するのかもわからないが、元々どこかしこで似たようなことやってるから今更かもしれない。でも誰もが皆ある程度やってるかもしれない、ペルソナの付け替え。それでしかないかもしれない。

キツいよー
三十路になってやるもんじゃないだろー
でもなんかわからないけど、でも僕、なんか、まだ10代くらいなような気もする。ずっと浅瀬でパチャパチャやってたい。
そうはいかないのか。わからないけど。わからない……なにもわからないな。本当に35歳子持ちおじさんかも。どうかな?分からないけど。10代ではないかも。10代ではないのにずっとこんなメンタルなの?早く殺しとけば良かったのにね。わからないけど、もうここまできたら手遅れでしょ。生きても死んでも意味ないよ。ここまで来たら、生きても死んでも意味ないから、早くここまで来い。みんな。そう。

意味がわからなくなったらこうしていたらいいね

ほんとのはなし

今でも思い出す謎のはなし。

中学三年生のころ、国語の担当の先生に校内放送で呼び出された。クラスメイトの女子と一緒に。その女子はいわゆる一軍の陽キャで、嫌な感じの子ではないが性格が違いすぎるのでほとんど会話をしたことがなかった。その子をAさんとする。

校内放送で呼ばれるのは珍しかったが、僕とAさんはあまりに接点が無さすぎたので、なんか頼まれ事があってランダムで僕ら2人が選ばれたんだと思った。僕らは特に友達ではないので別々で職員室に行った。
僕が先で、後からAさんが職員室についたんだった気がする。
2人がそろうと、国語の先生はつい先日受けたテストの回答用紙を2枚、僕らの前に広げて置いた。
名前欄には、2枚とも僕の名前が書かれていた。

先生の話だと、テストの丸つけをしていたら僕の答案用紙が2枚あったと。そして、Aさんの答案用紙が無いとのこと。
不思議なことに、2枚とも、出席番号も氏名も名前の漢字も間違いなく僕のものだった。でも筆跡が全然違う。自分の字は自分でわかるというか、内一枚は明らかにギャルっぽい丸文字だった。先生も、「こっちがAさんのものだと思うが、一応2人に確認してほしい」と言った。

僕以上に驚いていたのはAさんで、答案用紙を見た途端、自分の字で僕の名前を書いていることに気づき、「えっ?!えっ?ええっ?!」と叫んでいた。

自分で言うとアレなんですけど、僕は中学生のころは成績が常に学年上位3位以内に入る優秀さだったので、率直に言うと、先生はカンニングを疑ったようだった。当事者2人同時に呼んで率直に言いすぎだろと今では思う。時代かな。今ではそんな対応はしないと思う。
ただ、僕とAさんの席はそこそこ離れていたし、回答の内容も違っていて、僕もAさんもいつも通りの感じの点数になったらしい。点数が違うので、字面や点数から憶測しないで事実確認のために僕らを呼んだとのこと。

この件に関しては僕は何もしていない。名前を間違えて書いたのはAさんだけだ。僕は何を答えることも、どうすることもできなかった。Aさんは終始隣で、「え、、、えー?」と言っていた。
カンニングでもなく、Aさんの反応から悪意があったわけではないともわかった先生は、急に面白がって「不思議ねぇえ、Aさんあなたなんでやしちさんの名前書いたの」と笑った。Aさんは「え、あたしにもわかりません…」と言った。
Aさんは先生の指示の元、その場で名前を書き直し、僕とAさんは教室に帰ってもよいということになった。

クラスメイトだから同じ教室に戻るのに、道中、僕らは特にこの件に関して何も言わなかった。何も会話せず、歩幅も特に合わせず、バラバラに戻った。

教室に戻ったら、Aさんは陽キャグループの子達にこの件を笑って話すだろうと思った。「こんなことがあってさー」とか言って、仲間内で大笑いして、もしかしたらこっちにも話を振られるかもしれない。嫌だなあと思った。

嫌だなあと思っていたが、Aさんは何ともない顔をしてスンと席に戻って、陽キャグループの子たちもわざわざ「何の用だったの?」とかも聞かなくて、テストの返却の際も、当たり前だけど先生はクラスのみんなの前では「こんなことがあって……」なんて言わなくて、
何事もなく、何事もなく、この件は終わった。

今でもこのことを思い出すのは僕だけなんだろうか。僕の名前を書いた張本人のAさんは、思い出す?何百人もの生徒を見てきた国語の先生は、こんなようなこと他にもあったのかな?

僕はなんだか、これは特別なことだったような気がして、何度も思い出している。

じょうほう

情報を、得るということ。

Twitterを辞めた。
イーロンが買う前からも、もう何千回何万回も「やめるぞ!!!!」て思っていたんだけど、いよいよ踏ん切りがついた。
争いの絶えない地になってしまったと思った。いつも誰かが誰かを叩き、僕がまだ学生の頃くらいまでは、学校だけじゃなくてインターネット上でも「インターネットの画面の向こうには生きたひとがいるんですよ」みたいなことよく言われていたけど、最近はその言葉も聞かないなと思った。学校では今もそう教わるかもしれないけど、僕たちにはインターネットに人が溢れていることが当たり前になりすぎたなと思う。

僕はそんなに善人ではないけれど、それにしても、人が人を裁こうとしすぎだと辟易した。相手が芸能人だからとか政治家だからとか、白人だからとかアジア人だからとか、男だからとか女だからとか、一般人だからとか関係ない。なんなら叩く対象がTwitterをしていなくても(電車内でどうのこうのだとか、ファミレスでどうのこうのだとか)、人が人を裁こうとする。
僕はそれがちょっと、もう嫌だなあと思った。嫌だなあのゲージがちょっとずつ溜まって、「もう無理だな」のラインに達したのでさよならをした。

SNSくらい、何も言わずにやめろとは思うのだ。もう三十路だし……。「Twitterやめちゃうからね!」といちいち宣言するのは女子中学生とか女子高生みたいだなとは思う(これは差別的発言)。でも15年近くやっていると、「SNSなんか」とも言いきれないのである。Twitterをやめれば長年の関係が切れる人もいるという覚悟を持つ必要があった。環境が腐っていても人との出会いはありがたい、別れはつらい。
書いてて、己が老人臭くなったと思った。みんな行き着く先は同じなのかも。それはそうか。バイバイ。

それはそれとして、もう昨日から完全にブルースカイに移行したんですよ。
そしたら全然人がいなくて。笑っちゃうくらいだった。著名なイラストレーターのイラストにも45いいねくらいしかつかない。万バズなんてとんでもない。
タイムラインはずっと止まっている。止まっていてびっくりしたけど、でもなんか、ちょっと前まではTwitterでも、深夜の2時から5時くらいは全然タイムラインが流れなくって、たまにポツリとフォロイーの誰かが呟いて、「あ、起きてる」と少しほっとしたりした。
今は深夜帯でも「おすすめタイムライン」に投稿時間に関わらず未見のツイートがずっとずっと流れてきて、別に嫌なら読まなければいいんだけど、嫌なら見るなと言われても人間ってそこにあれば見ちゃうじゃないですか。そんで、楽しくなろうが不快になろうが結果別にどっちでもいいんだけど、情報が常に流れてくるってこと自体がそれなりに不快だったのかも。と思うなどした。
ブルースカイ、全然タイムライン流れない。流れなくて、さすがに「おーい!誰かいませんか!」て大声出しちゃいそうになるけど、今は別にそれでもいいかって思ってる。暇になったら泣くかもしれないけど。
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こんにちはお日柄も良く、やしちです。
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『部屋の部屋』
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創作散文詩、小説など置いてます。
どうぞよろしき。

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