路地裏から見上げる空が、俺は好きだ。
「…何やってんの、お前」
淀んだ雨の夜空を見上げる俺に、あいつは心底呆れた声で話しかけた。
「あーやっと来た。遅ぇ」
「悪い、今さっき終わった。…じゃなくて、やめろ。目に雨入るだろ」
「いいんだよ。俺はこれが好きなの」
正確には、路地裏で雨の空を見上げるのが。夜だとベスト。
あいつはため息をついて俺に近づいた。
「…ま、この国じゃ晴れた夜の方が珍しいか」
「血を流すために降ってんのかもしれないぜ。…今のお前みたいにさ」
「……ついてたか」
ぐい、と手の甲で頬を擦るあいつは全身真っ黒。この雨の夜、サングラスなんか付けていて視界はあるんだろうか。
俺は空に向けていた視線をあいつに戻す。
「匂いはするよ。血のにおい」
そう言ってくつくつと笑う俺に、あいつも呆れた声を出す。
「はっ…雨の匂いと勘違いしてるんじゃないか、お前」
「勘違いはしてねぇよ。だって、雨と血は一緒じゃんか」
どっちも降ってくる。
あいつは困ったように笑ってサングラスを外した。
「馬鹿。血と雨は別ものだ。この国に『流れて』るって点では一緒だけどさ」
「ほぉら、いっしょ」
俺も、お前もいっしょ。
どこの誰のものなのかも知らない家の玄関の、階段に行儀悪く座り込んだ真っ黒な俺は、笑う。
「…とりあえず立てシャルル。いい加減帰ってボスに報告しないと厄介な迎えが来る」
「えーやだ。めんどくせぇ」
「何がだ。…お前知ってるか、スーツのクリーニング代。馬鹿にならないんだぞ」
いつもいつも誰が出してると思ってるんだよ。
そう言いながら、あいつは俺を乱暴に立たせて濡れた俺の顔を拭う。
俺はへらりと笑った。
「アル。アルベルーノ。それ無駄。すぐ濡れるんだから」
「…それを言うか」
頬をぐっと引っ張られて呻く。俺も仕返しにアルの顔に手を伸ばした。
…血が、残ってる。いや…これは傷なのか。
「ここどうしたの」
「ああ、少し弾が掠ったかな。…止めろ押すな流石に痛い」
「……じゃあ」
顔を寄せて舌を出す。すぐに雨の味が広がる。
そのままべろりとアルの頬にある傷を舐めた。
「これでいい?」
「…ふ、今日はお前からか」
強く首筋を掴まれて引き寄せられる。
髪に潜り込む手。唇を割る意外に熱い舌。
喉を噛まれて上向く。雨が喘いだ口に入り込む。路地裏から見える、淀んで切り取られた俺たちみたいな真っ黒い空。
くぐもった声が俺の意識をこっちに引き戻す。
「シャルル」
「…ん、」
「俺の目が晴れてるうちは、あっちに行くな」
あの空のように、光を無くして濁って…淀んでしまったなら。
そうなったらお前は、俺から離れて。
「……もしそうなっても、俺はどこにも行かないよ」
「…本当か?お前はすぐ嘘をつくからな」
自虐的に笑うアルの背中を抱いて、ゆっくり撫でる。俺よりも背が高いアルの背中は、やっぱり俺よりも広いくせに小さく感じる。
「これだけは、嘘じゃないよ」
この国で俺が見つけた冷たい太陽。俺だけの救いの光。
離すものか、絶対に。
「だから、あんただけは雨になるな。晴れたままでいて」
「…ああ」
スーツのクリーニング代がどうだと言ったのは誰の口だったか。狂った行為は雨空の下で続く。
カラスの羽は、濡れた時に本当の美しさを発露させる。
勿論、俺たちの命然り…だ。
さあ、明日の空は雨に濡れているだろうか。