震災から1年が経ちました。
新しい生活がはじまるところだっただろう、まだ肌寒いこの時期に地震は起きました。
地震だけで済めばまだ良かっただろうのに、高く押し寄せた津波がたくさんのものを飲み込んでいったそうですね…
結局は、こちらの地方にとっては人事でした。
家族があちらに居て、生存してるか心配って方もいましたが、私にとっては、同じ日本でも別の世界のようでした。
自分に出来ることが何かもわからないし、自分のことで精一杯(精一杯ってほど忙しいわけでもなかったけれど…)です。いまも。
だけど誰もが自分のことばかり考えていたら復興なんて到底できないわけで。
他人に手を差し延べてる余裕なんかない人がほとんどなのに、そんな中で助け合ってきたんですよね…
それに比べて、余裕があるし震災の報道を受けてなお何もできないわたし。
震災の影響がないこっちにも出来ることはあるし、何もできないならできないなりに精一杯生きなきゃいけないと思う。
自分がもどかしいし、情けないです。
社会に出る前、必要とされてない人間なんていないって綺麗事語っていたわたしでした。
いまも、誰もが誰かにとって、必要じゃない人間なんていないと思います。
でもわたしは、会社にとって必要ないんじゃないかとか、この社会で生きていくのに向いてないんじゃないかと思うようになりました。
強くならなきゃいけないと思うのに、自分は社会に不適合な人間だからって諦める。
そりゃあ人生に迷いのない人間なんていない。悩まない人なんかいない。
だからっていつまでも後ろ向きでいたら進まないし、流れに身を任せていて自分の望む未来を得るなんて虫のいい話なんだ。
働くことは、わたしが一度決めたことであって、すぐに辞めるのもそれはそれで自分勝手。
不安や不満がある中でも続けていくしかない。
既にたくさん迷惑かけてるけど、もっとかけてしまうのは間違いないけど、そんな中でも「○○(わたし)に任せて大丈夫。れっきとしたわが社、わが部課の一員だ」と言われるようになりたいです。
という綺麗ごとなのでした。
いつかはね。
近いうちにね。
今だって辞めたいけどね。
辞めたいって思ったことあるのかという質問に対して惜しみなく思ったことがあると答えたわたしです。
なんで訊かれたのかも少しは気になるけど。
まあ辞めたい理由も訊かれたけれども。
それをきかれて躊躇なく言えるっていうのは、それなりに信頼出来る人ができたってことなのかな。
それとも、この会社にも人間関係にも、未練がないからもう投げやりに言っちゃえ〜ってことかな?
自分のことなのによくわからないね。
まあ…ある人が苦手でたまらないから、とかそんな理由だけで逃げるなんてわたしとしては、ない!!
まあ人間関係に悩んだこともあった。
でもそれだけでは辞めない。
充分すぎるぐらい優しくしてくれているものね。
訊かれた可能性として、それを探り入れようとしたっていうのもなくはないかもね。
それなりにアドバイスはしてくれるかもしれない。
「○○して欲しいんじゃないかな?」とか「わざわざ冷たくしたくてしてるんじゃないと思うよ」とか。
言わない理由はそういうこと聞きたくないからっていうのもあるかな。
それに、自分の問題で済むことならまだしも、対人関係って相手が悪いかどうかって議論も関わってくるから、それがイヤ。
相手の望むことを言われてしたとこで、相手が完璧に満足するわけじゃないだろうし、こっちがガチガチになっちゃうのもぎこちなくしてしまうのも治そうと思ったからって治せないし、自分でも制御できてないことが多いのです。
わたしのなかでは、会社でのやりがいや必要とされてないんじゃないか、自分はここに居るべきじゃないんじゃないかという考えが辞める理由に繋がっています。
そう告げたら、どうしようもないことじゃなくて、自分のやりようで何とかしようと思えば出来ることだよね、って。
要はなんでも、そういうことなんでしょう。
やればできる!みたいな。
簡単に出来れば誰も苦労しない、すなわち、苦労しろ!あがけ、我慢しろ!ってことだろうか。
ある人はこの会社で、これからなんとか学んでいって欲しいと言ってくれました。
時間がかかってでも、人間関係もモチベーションも、他人に歩調を合わせることとか、気配りとか。
たった一言でも色々違ってくるんだよって教えてくれました。
とても優しいひとです。
この一年でそういった優しいひとたちに出会えたことは喜ぶべきことです。感謝しています。
それだけを会社にとどまる理由にできたらわたしも捨てたもんじゃないかもしれないのに、いろいろなエゴからこの会社を続けている自分も情けないね。
続けるなりに、足掻いてみよう…
そのなかでも夢や目標を持って、人生充実させよう!!
最後になりますが、震災の影響を受けた全ての人々がいち早く復興できますように。
少しでも幸せが訪れますように。