*2024年4月23日 14:53σ(・∀・)ノ


「花摘んでもよかったんだけど、前に自生しない花はやめろって言ったじゃん。そうすると、俺がお前にしてやれることって案外なくってさぁ」
 その日の夜、寮の自室で杉元はそう言った。うーんと唸っている。見事5位以内に入った鯉登へのプレゼントに悩んでいるのだ。鯉登はベッドに腰かけて、杉元は勉強机の椅子に座っている。
 しかし何をもらうか、鯉登はもう決めていた。「私からリクエストするのでもいいか」と聞くと、間の抜けた声で「いいよお」と返ってきた。
 鯉登は声が震えないように気をつけなければならなかった。自分の頼みが普通≠ナはないことはちゃんとわかっていた。
「杉元」
「んあい」
「そこで見ててくれ」
「何を?」
「私のー……その。自慰が、合っているのかを」
 杉元はえっと言い息を飲み込んだ。目を丸くしたのを視界の端に見て、それ以上は見れなくて視線を逸らした。
 鯉登はジャージのズボンを脱いだ。それと一緒に下着もおろす。下半身が露わになる。晩秋である。窓は締め切っているとはいえ、暖房をギリギリまで粘っている室内はうっすら肌寒い。
「貴様がいついなくなるかわからん。いつまでも貴様に頼っている訳にはいかない。一人でできるようにならねばならん」
 ちょうど杉元の視線の先になるように調整して、鯉登は足を開いた。
「……ちゃんと見て、間違っていたら指摘しろ」
 馬鹿なことを言っている。自覚はある。……というか、気がふれたと思われても仕方ない。勉強のしすぎでどうにかなってしまったのではないか、と。
 そういうことでは全くなくて、いわゆる意趣返しがしたかっただけなのだ。なんだかいつも杉元の手に翻弄されてむかっ腹が立つから、余裕ぶる杉元を振り回したい。そもそもは鯉登が「自分のやり方が合っているかわからない」から始まった行為だった。それがいつの間にか、杉元に手伝ってもらうだけになっている。それに対して異を唱えない鯉登も鯉登だが、奉仕し続ける杉元も杉元である。
 ……という以上のこと全部が建前であるということを、鯉登はちゃんとわかっている。
 鯉登は性器に指を這わす。ゆるく頭が擡げている。握り込むとまだやわらかいそれをゆるく握り上下に動かす。茎周りが硬くなっていく。先端にぷくっと先走りが浮く。それも一緒に握り込もうと先端に指をやると、先端への刺激に腰が跳ねた。
「っは……うぅ…、…んん」
 じりじりと己の手で高まっていく。皮膚の下が熱い。
 杉元のことを考える。杉元が触ってくれている時のこと。体温も皮膚の感触もない、無機質な手。あの手で握られて、耳に声をかけられて、それで高まっていくこと。
「ッ、杉元ぉ……」
「うん?」
「合っとる? おいの……」
「うん。大丈夫」
「近く、もっと近く来てっ…」
 杉元は一瞬逡巡した後、鯉登のいるベッドの傍まで来た。手を早くするのも、強めに握ることも、鯉登はできなかった。なんだか一生懸命性を追いかけている感じがして恥ずかしかったからだ。
 近くに来た杉元の顔を見る。……おそらく、興奮している。もどかしそうに眉間に皺が寄っている。
 そう、この顔が見たかったのだ。いつもは至近距離だし、鯉登はギュッと目をつぶってしまうから杉元の顔がよく見れなかったから。鯉登は笑った。悩ましげな杉元の顔は、思ったよりもいい顔だった。
「気持ちいの?」
「ん、っぅん、気持ちい…っ」
「手、遅いんじゃない? もっと早くすると、いっつも喜んでるよ」
「っん、…うぁ、んん」
 鯉登は性器を握る手に力を込めた。上下に振る速度を速める。先走りを練り込む、にちにちという音が聞こえる。死ぬ。恥ずかしい。気持ちいい。
「……かわいい」
 杉元がベッドに乗りあげた。ベッドが軋む。あ、と思った。普段、杉元が乗ってもベッドは軋まない。幽霊の杉元は空気みたいな存在だからだ。軋むということは、そういうことだ。
 杉元は鯉登の肩を押した。鯉登の体幹はぶれ、ベッドに倒れこむ。背中がシーツに着き、小さく跳ねる。
「かわいい」
 鯉登に覆いかぶさるようにのしかかった耳元で杉元が呟いた。性器を握る鯉登の手に、杉元の手が重なった。ぎゅっと握られて性器に与えられる圧が増す。
「ひ」
 ちゅ、と頬に唇を落とされる。それでも何か当たった感触がするだけで、温度も柔らかさもわからない。
 鯉登は泣きたくなった。この男のことを好きだと思った。
 無遠慮な手つきが鯉登の性器を翻弄する。あ、あ、と声が出る。にちにちと精液が捏ねられる。快感から逃げ出したくて身体をよじっても、それも杉元に抑えられてしまう。
「すぎもとっ、あ、あ、…う、ん」
「気持ちい?」
「うんっ、ん、っはぁ、…ッ…杉元の手が、好き……」
 頭がぼうっとしてくる。浮かんだ言葉が次々にぼやけていく。霞がかっていく。代わりに好きが溢れて、脳のキャパシティを超えた。鯉登はもう杉元のことが好きだった。単純接触効果かもしれない。成仏だのなんだのと一緒にいることを余儀なくされて同じ時間を過ごしたせいで、自分の全てを明かしたと思ったからかもしれない。過程も経過もどうでもいい。今杉元のことを好きなだけで十分だった。むしろ十分すぎるくらいで悲しくなる。成仏なんてしなければいい。……最近はずっと、鯉登はそんなことばかり考えていた。
「もう、成仏なんかせんで……ずっとおいの傍におって」
「鯉登」
 その時杉元の手の感触が消えた。3分が過ぎたのだ。性器を握るのは自分一人になる。ごり、と指の輪が先端のくびれをえぐる。びりっと尾骨が焼けるような快感が走り、鯉登は達した。ぴしゃ、ぴしゃ、と腹に精液が吐き出される。
 うっすら開けた目に、杉元の顔が映る。
 ――そんな顔をさせたかった訳じゃないのにな。
 頭がぼわんとする。
 鯉登はゆっくりと瞼が重くなっていくのを自覚した。ここ最近、寝る前に手淫をしてもらって、出したらそのまま寝てしまっていたので、条件反射で眠くなってしまうのだ。
 ただでさえ、今日はかなりイレギュラーだった。
 鯉登はそのまま目を瞑った。これは仮眠だと思いながら意識を手放したが、そのままぐっすり眠ってしまった。
 朝。しっかり閉めたはずのカーテンの隙間から光が差し込んでくる。それが瞼の上をチリチリと焦がし、鯉登は目覚めた。ムクッと状態を起こすと、腹に乾いた精液のぱりぱりした感触を覚えた。最悪だった。シーツには……染みていない。タオルを敷いていて正解だった。鯉登は用意が良いのだ。
 鯉登はゆっくり、辺りを見回した。
 杉元。
 部屋の中はシンと静まり返っていた。遠く、原付のエンジン音がする。
 部屋には人の気配が全くなかった。
 ――いない。
 部屋の中にも、寮の中にも。通学路にも学校にも、武道場にもいなかった。
 夜だったので怖かったが、学校の帰り道に病院に寄った。スマホのライトをつけてあの石碑に向かう。石碑は壊されていなかったし、前に訪れた時と同じように病院の隅で小さく沈黙していた。
 寮に戻る。いない。寮の風呂にもいない。部屋に戻る。全く静かになってしまった部屋の電気を消し、眠る。
 次の日も、杉元の姿はどこにもなかった。
 今まで二日も、杉元が姿を消していたことはない。
 そのまた次の日も、一週間後も、一か月経っても、……杉元は鯉登の前に姿を現さなかった。
 杉元はいなくなった。




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