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地元生活

地元生活




秋めいてくると
なおさら人恋しいのですが。

秋が一番好きだなー。このままどんどん涼しくなればイイや。。

あれから一向に連絡とれず、してちょっと心配な面もありますが。信頼するしかないですな!


今日は昼からリサの家!

シノとリサでヒーローズの続きを見ながらうだうだしておりました。幼なじみって楽だから、ひたすらしょうもない会話ばかりをする昼下がり。笑

夕方からはどんぐりなので、一旦解散!

今日は食べ過ぎて気持ち悪いー。どんぐりは今が一番平穏よね…。これだけ人数いればアフターケアも楽しみだなぁ。嬉しい。。。


どんぐり終わってから、またリサとシノと合流して、今宵はずっと行きたかったワインバーに直撃!




一杯目、リサとシノは白、私はロゼ。ロゼ呑みやすい!好きです。。

舌は肥えてないけど、ドイツ直伝のグルメ家、リサの指導のもと、ワインの味わい方を学ぶ。





リサの作るキッシュ、タルト、ブレッドなど、上手くて羨ましい。。。またドイツもうすぐ行くんだね、、、遠距離本当に偉い。


シノも頑張ります。





似非ソムリエー。笑

結局、ロゼ、赤を戴いて、帰りはコンビニでビールを買いつつ、夜の散歩をして帰宅、の財布に優しいコースなのでした。ほろ酔い。

なんだかんだでくだらない話をして、うだうだしても誰が怒ることもなく、言いたいことを言える存在に感謝。


にしてもヒーローズの続きが気になりすぎる。。。次の鑑賞会は一週間空くので待ち遠しい!


今宵こそ寝るぞ!
あと暴飲暴食をセーブせねば。。私大変なことになりそうです。



星と私じゃ歩幅が違えど

星と私じゃ歩幅が違えど






時間だけが、淡々と過ぎて、日捲りカレンダーが一秒の狂いも無く綺麗に捲られている様を想像して、矛盾だらけの予定表を抱えたまま、成りたい自分に近付けず、唖然として午後怠惰に呑まれると、途方もない不安にかられてて、

その不安の原点がどこにあると言えば、それは時々お金のことであって、あるいは恋愛、人間関係、就職であって、上手くいかない自分への嫌悪であって、想像のつかない終着点への考えであったりするから、その瞬間瞬間に絶望するんやけど、

垣間見える大事な友人の存在だったり、家族あるいは些細な好物の、どっしりと自分にある基盤がそういう不安定な事実を支えて、抱えて成り立つ毎日が愛しいから、私自身が空っぽであっても生きているんやなあ、

で、 それは目にも見えない、地球とかいう名前の、余りにも壮大なものにも共通していて、そんな大きいもんが、数知れない銀河のひとつの、その中のまた数知れな い星のひとつで、いつぞや何個流れてるかも分からん流星が当たる確率も正確に証明できひん、そんなん偉い学者もいい切れへんような星が、途方もない不安を 抱えて回ってて、それでも何億人もの毎日をしっかり安定させているかのように振る舞う、地球というものの核、その基盤から、そういう不安と安堵は産み出さ れてるんちゃうか、と思います。

神様はどうにもこうにも上手い具合に、優しくも厳しくもなく、自分の肉片を散りばめたんですね、

結局、空想した未来にそぐわない自分がいればそれが等身大で、それ自身を愛さなければ何もかもを嫌いになってしまいそうで、しかし自分の周りには素敵な事象もたくさん存在するからこれからも生きていきます。という戯言のようなもの。


とにかく、理想や目標はあるけれど、それが机上の空論にならないような努力が、あるいは達成感が得られるように自分が成長していくべきだという決着、そんなもん前から分かってるはずやのに、上手くは行きません!最早、不器用な生活をそれなりに愛すべき。




今日は二回日記かきます、最近途方も無く人恋しいから、自分に渇を入れねばならぬぞな。自立、自立したい色んな意味で!!


さっきバイト上がりのりゅーちゃんに会って、長岡のマクドで甘味料たっぷりのコーラ片手に色々お喋りしておりました。予定は大きく変われど、満足な充実感が得れたよ有り難うリアルJK!笑


ガールズトーク、って正直、オンナノコで話せば多分何だってガールズトークなんだけど、その可愛い名称に憧憬を抱いている私も、ガールズだと言いたい今日この頃。




静寂への脱走と空虚

静寂への脱走と空虚





暗いところで、
音の振動を身に纏うあの感じですか

その空気が弾かれる一瞬一瞬、瞬きより早い感覚を吸収しようとしても、曖昧な頭では所詮無理であるので、ひたすら身を任して、そのうえ、何も考えないのが 夜の、あの狭い箱の中で紫煙と、アルコールにどっぷりと、幾重にも幾重にも身を浸ける醍醐味というか、楽しみ方なんでしょうか。

毎度のことながらイベント、友人の有り難き存在によって 夜中にいそいそと出掛けたわけで、一斉に息を合わせたように、ひっそりとした夜中の街で、鼓膜を震わす箱の中に飛び込みまして候う。



途中めんちゃんと渇いた喉を撫でながら コンビニでおでんを買いに行きました。今年初おでん。多分。関係ないんだけど、今さらながらに、おでんの語源が気になる。

後に、ちーやんと抜け出した際には、安い缶酎ハイを買い、神社の階段でまいてぃ、うえっちも合流して話をして。してから、また地下に身を埋める。繰り返しながらどっぷりと。



朝方に一人で帰る時の、あの今までに頭を埋め尽くしていた色々な音や声や振動が、一気に抜け落ちたときにやっぱり、やっぱり空っぽになっていつだって、泣きたくなるのです。満たされているのに空虚になる朝はあまり好きじゃ、ない。


帰り際にボンヤリとそんなことを思い浮かべながら、地元のコンビニで、朝御飯にと好物の、たまごかけご飯風味の(ここ最近の、大発明だと思う)おにぎりと、カニカマを買ってビニル袋をフラフラさせながら歩いていると、階段でたむろしていた男集団の一人に声をかけられる。


おーい、辻井やん、と呼ばれるので振り返ると、おや、いっちゃん、君は本当に変わらんのだね、いつだって無垢な笑顔で、おーい、辻井やん、という一字一句、全く変わらぬ台詞を言うのだね。

妻子持ちになっても、焼き鳥屋の店長になっても、夜が明けるのをありとあらゆる場所で待つのだね。

そんなとこずっと居てたらな、風邪ひくねんで、と言うと、それがひかんのだよ、と言っていっちゃんはヒヒヒと企むように笑ってみせた。根拠なき言葉に少しの羨望を。


とりあえず三時間ぐらい、仮眠して今日は昼から子どもたちと大会議。空虚を埋める間も無く、朝。



不自然が連なった電車に乗り

不自然が連なった

電車に乗り






事実や形あるもの、感情なんてものを言葉に表すなんてそれ自体が不自然

素晴らしい
ものとか

こと

悲しいときや
瞬間を

贅沢に、目一杯に吸収しているのに吐き出すことが出来ないのは酷い、

から努力が必要なんだけど上手くいかないものですね

化粧して造ろって人の顔色伺って機嫌とってあることないこと口にして笑うとか、合わせて合わせて詰まらないと厭きられることにはなんていうか、もう慣れてし まって呆れてしまう。どうして生きるのはありのままじゃないんだろう、全てが、我が儘なら、思い遣りとか、愛とかそういうシンプル、かつ陳腐な言葉で締め 括られた壮大で不思議な感情は生まれないのかしらん、


とか考えはじめたら全部が不自然になってきて電車のアナウンスも車内の沈黙も
空調も、

椅子に座った人達の間隔も
となりの人の強い香水も、
首を絞めているネクタイも、
私が向かう場所



全部、窮屈に押し込められた不自然に、なってしまって遭難。つまりはありのまま、なんて存在しないのかもしれないと不時着。


こういうネガティブ側の感覚も、時に爆発しては瞬間、腰をひいて引っ込み隠れてしまうのでさして問題もなくことは進んでいくんだろうな、批判したって伝える媒体が言葉しか残されていないのでせめて、懸命に。


煮えきれないままに化粧で不器用に顔をくるんで、電車に乗って笑って混沌に埋もれるんだわ、の夜。


一秒欠かさず壮大な事象は背後についてまわり

一秒欠かさず

壮大な事象は

背後について

まわり






鞄の中に入っていたコンビニのおにぎりを思い出して泥沼に浸かってきたような身体でかじりつく朝。小雨は止まず。小雨が泥を流せばいいなと思う。朝だというのに河原町から逆流する電車にあまり人は乗っておらず。

自 分の中に流れていく時間をこうして、何回も繰り返して思い出して咀嚼してようやっと、それに見合った自分の思いとか考えを不器用な言葉に表すことが出来て 止めてた息を吐き出した気分になるけど、それじゃいつだって遅いんだ、遅いんだよなあ、でもこうすることでしか整理が出来ない、感情のあるがままを自己表 現出来ないんだから厄介な性格に生まれてきてしまったと思う。

ほんとならその瞬間に、率直に、屈託なんかひとつもないありのままを口にすることが出来ればいいのに。そうあるべきなんだけど。


深夜、大切な人が関を切ったように泣く。

多 分、彼女の心情をどれほど理解しようとも100パーセントなんていうのは到底あり得ないということが解って余計に悲しかった、掛けようとしても出てくる言 葉がどれも彼女の想いに向かい合うには陳腐に思えて、だからこそせめて、そんな勢いの言葉は絶対に掛けまいと思って、ただただハグするしか無かった。「大 丈夫、」と彼女に掛け続けた言葉は唯一、自分はいつだって側にいるよという意思表示しか意味を成さなかったけれどそれが精一杯だった。


何 か言ってあげようなんて考えや立場がそもそも愚かなことだとその時にやっと気付いた。人間自身の問題に立ち向かう時はいつだって一人だし、自分の考えが至 らない、誰かの主観に届かないのは重々に承知なんだから、出来ることなんていうのは本当は無い。だけれど私は価値観や生き様を含めた、自分が知る彼女の全 てを愛してるから、そういうのは、せめて真っ先に伝えないと、といつも思う。


「だってね、人はね、死ぬよ、」

と嗚咽の合間に喉の奥から、絞るように吐き出された、たった一言の言葉に集約されたものが垣間見えて、それは本当に大きくて、圧倒されて、適うはずもなく私は、うん、と情けなく頷いた。


誰もが必死に毎日を生きてるのだから、誰かの毎日を批判したり干渉したり、評価する権限を持てる人間なんて絶対に居ない。自分が歩んできた道や苦労や葛藤は、各々に抱えて身体の一部に取り込む。

そ うして自分が苦労して乗り越えたそれを誰かに啓蒙し、主張したいがために、結果として時折相手を傷つけたり不幸自慢になったりしがちだけれど、本来なら、 そうして吸収した様々な経験は、これからを乗り越える強さと、誰かを想うために存在してるんだと信じているし、人が生きる各々のそれは、他人と比べるよう なものなんかじゃあないんだよ、と覚醒しない頭で考えてみるけれど到底及ばない。だから別に達観した答えを求めているわけじゃない。

もう少し寝る。




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