17年前の1月17日。
私は幼い頃、阪神大震災を経験しました。
最初は、何が起こったのかが全く理解できず、あの時に観た景色や自分の感情は、殆ど覚えていません。
寒いはずなのに、その日は寒かったのかどうかも覚えてない。
ただ覚えているのは、外に出ればガスの臭い。
「家の中に入ったらアカン!」とか「逃げるよ!」とか、ご近所同士のみんなが大きな声で声かけをしてた。
今思い返すと、この時のみんなの連携プレイには、鳥肌がたちます。
その後、緊急避難所へ逃げてからも、何してたのかあまり覚えてない。
ただ、おにぎりをくれたおばちゃんのことは覚えてます。
大きなケースに、おにぎりが入ってて、けどそれはちゃんと並んでじゃなきゃもらえなくて。
私の順番が来たとき、配ってくれてるおばちゃんが「もっと食べたいよね、頑張ろうね」って言って、私に渡してくれました。
何も考えてなかったから、言葉の意味もよくわからなかったけど…
あの時って、一つの家族に配れる食べ物の量が、決められてたんですよね。
おにぎりが入っていたケースも、当時の私には大きく見えたけど、今見たらきっとそんなに大きくない。
だからおばちゃんは、あんなこと言ったんやろなぁ。
ただ私はそんなの気にしてなかった。
なぜなら、ちゃんと食べてた気がするから。
けどそれもきっと、両親が自分たちの分を、私たち子どもにまわしてくれてたんやと思います。
幼かった私は、みんなに「守られてた」んですよね。
大人になり、「守る」べき立場となった今、周りの人たちの行動や言葉が、私にとっての支えだったんだってことがよくわかります。