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小周天 ・2

《最高の坐禅瞑想法:小周天・2、胴体周天/気功の山を歩こう!》


(二)
 〔気のボール〕が空間的な体積を持っていて、それを例えば胸板に押し当て、胸板の皮膚から皮下に現れてくるジワーッとした温かな〔ふぁんそん感覚〕を味わっていると、体の中と掌までの体の外との感覚が融合し、〔気のボール〕が体内に染みこんだような感覚になる。
 この感覚を用いて、下腹から胸板の上の方まででの貫気法の練習をしていると、体の中と外とで一つの円柱的な空間感覚が現れてくる。
 僕はそれを〔エアーエレベーター〕と呼んでいる。
 体の中と外とで空間的な円柱が出来、その中を〔温かな空気が昇降するのだ。
 そして、その感覚のままに、その円柱を額(前頭部)まで上げてみると、何と、顔の形丸ごとが、その円柱の中に入ってしまうではないか。
 額から降ろす場合も、顔は円柱の中にあるのだ。
 ということは、小周天の場合も、督脈、任脈などと経絡の名称は使っているが、それは大雑把なルートを示しているだけで、細井線で通すということではなく、体積を持った空間のエアーエレベーターを細長い楕円形にして、そこで回すということなのだ。
 顔の形にこだわらなければ、舌先を上の歯茎に当てることなどは小周天には関係のない話なのだ。
 こうして僕は、〔気のボール〕から〔エアーエレベーター〕の実感によって小周天を克服したのである。
 勿論、体の後ろ側でも〔エアーエレベーター〕の感覚を練習し、その後ろと前を繋いだのであるが。

小周天

《最高の坐禅瞑想法・小周天、胴体周天/気功の山を歩こう!》


(一)
 養生気功(内気功)の最高峰は〔小周天〕だと言われている。
 しかし、僕がこの〔小周天〕が出来るようになったのは、気功を習い始めてから五年余り過ぎた頃だったと記憶している。
 何故に出来なかったのかは、これまでお話してきたように、体のゆるめ方(放鬆法)や体幹の仕方(意守法)などの気功の基本的なてんでの生理学的な理論と具体的な技術論がなかったために、具体的な技が解らなかったからだと思う。
 だからこそ、僕はその技を探究し続け、今に至っているのだ。
 僕が教えられていた頃の小周天は、督脈で気を吸い上げ、任脈で吐き降ろし、それを繋いで体幹部で気を回す練功だとされていた。
 鍼灸師だった僕が経穴名に囚われていたのと同じで、脈、任脈という経絡名にも囚われていたのだ。
 しかも、督脈が尾骨の先端から始まり、脊椎を上がり、頭頂部の百会を通って上顎の歯茎まで来ていて、任脈が会陰から腹部、胸部の正中ラインを通って舌の根元(下本)まで来ているので、それを繋ぐために、督脈と任脈の架け橋として舌先を上の歯茎に当てるという風に指導されていた為に、更に督脈、任脈に囚われてしまったのかも知れない。
 それを解決したのが、気の実感は立体的(空間的)であるという実感であった。
 経絡名を用いてはいても、実は、その概念は小さなポイントではなく面であるという理解と共に、経絡は立体(空間)である、つまり、〔気〕という体積を持っているという実感的な理解であったのだ。


(つづく)

ふぁんそん・5

《ふぁんそんこそ気功の命・5/気功の山を歩こう!》


【ふぁんそんテクニック】

(六)

 さて、ふぁんそん的なうごきの基本は脊椎は骨盤から揺れる、骨盤の動きによって脊椎が波打つように、波紋が伝わっていくように受動的に揺らされていること、腕は胸板から動くこと、胸板や大胸筋の動きによって、腕が手の先まで波打つように、波紋が伝わっていくように受動的に揺らされていることだった。
 そして、最後のテクニックは手首から先の動きである。
 手首だけなら、これまでの脊椎や腕のゆれと同じでよい。
 即ち、手首を手の甲側に動かせば、手首は掌側に曲がり(掌屈し)、動きが止まると惰性(慣性の法則)によって手首は伸びてくる(起きてくる)。
 手首を掌側に動かせば手首は反っていく(背屈する)。 しかしだ。
 そのまま放っておくと、掌も指も動かない。
 それは手首を速く振ってみればわかることだ。
 手首をブルブルブルと速く振ると、その動きに寄って振られるように手首は独りでに掌屈、背屈を繰り返してはいるが、それより先の掌や指は動かない。
 それは見た目にも美しくはない。
 気功であれ、ヨガであれ、太極拳であれ、たのあらゆるスポーツであれ、完成された動きというものは美しいものであり、美しくなければならないのだ。
 フィギュアスケートなどの解説を聞いていると、ジャンプや回転などの出来映え以外に、「指の先まで神経が行き届いていて綺麗ですね」などと言っているが、僕は気功の動きであろうと同じだと考えているのだ。

(二)
 では、どうすれば良いのか。
 ここに、掌での気の感覚を体感する技、〔気のボール〕をつくる技である(ふぁんそん掌)を加えるのだ。
 手の甲側に動かしていく時、手首は掌屈するが、この時は掌の皮膚も指も緩んだ状態で良いのだが、手首を掌側に動かしていき、手首が背屈していく時に、掌から指の皮膚を伸ばしていくのだ。
 そして、その掌や指の皮膚を伸ばしていく場合も、手根部から指の腹にかけて、順に伸ばしていくのである。
 この掌や指の波打つような動きだけは〔受動的〕にはできない。
 だから、その掌と指の動きは、歩く時の足のように、日常生活での手の動きのように、考えなくても濃いに動かさなくても独りでに動くように、体に叩き込んでおかねばならないのだ。

ふぁんそん・4

《ふぁんそんこそ気功の命・4/気功の山を歩こう!》


【ふぁんそんテクニック】

(五)
 脊椎は骨盤より上の腰椎、胸椎、頸椎の24の小さな椎骨がダルマ落としのように積み重なっているだけなので、ゆるめ方さえ解ればさほど難しくはないのだが、問題は腕のゆるめ方、動かし方だ。
 腕は、上腕も前腕も長い骨で、肩関節、肘関節、手関節(手首)と、関節も少ない。
 この腕をしなるように波打つように動かすことは出来るのだろうか。
 僕は、関節だけを残し、他の筋肉や腱などを取り除いて考えてみた。
 すると、それまで肩にぶら下がっていると思われていた腕は胸板(胸骨)の上で、胸鎖関節からぶら下がっていることがわかったのだ。
 首の下の鎖骨の内側が胸板(胸骨)に着き、そこから鎖骨がぶら下がり、その鎖骨の外側の肩関節で上腕がぶら下がり、その下で肘関節に前腕がぶら下がり、そして手関節(手首)に手がぶら下がっているのだ。
 これを脊椎と同じように考えてみると、胸板が骨盤に相当し、その胸板を動かせば、胸鎖関節から揺れることになるのだ。
 両手を横に伸ばして掌を前に向け、胴体)胸板)を前後に動かしてみれば、それが解る。
 胴体の前後の動きによって鎖骨が胸鎖関節の揺れによって動かされ、その鎖骨の動きによって肩関節が前後に動いている。
 その肩関節の前後の動きによって肩関節の中が揺れて上腕が前後に揺れるように動き出す。
 それが肘関節の揺れによる前腕の動き、手関節の揺れによる手の動きと繋がっていくのだ。
 胴体を動かさない場合は、鎖骨の下の大胸筋を収縮させたり伸展させたりするように動かすことで鎖骨は動き、あとは同じように手の先まで動き(揺れ)は繋がっていく。
 大胸筋での蝶の羽ばたき、特に胸板に付着している部分の大胸筋を動かすことで、腕全体も釣り竿のような動き(揺れ)を作り出していくことが出来るのである。
 腕の動きは、昇降開合や拉気(ラーチー)、鳥の舞を含め、太極気功18式や大雁功など様々な場面で用いられるので、僕は、それらの練習の時に、胸板から動き、その動きが手の先に向かって伝わっていくように動いているかといったことを確かめながら練習していったのである。
 五合目までは、この練功で良いのだが、それ以降になると、更に違った内容が組み込まれて来るのである。

ふぁんそん・3

《ふぁんそんこそ気功の命・3/気功の山を歩こう!》


【ふぁんそんテクニック】

(四)
 前項で述べた鋼や釣り竿のような体にするには、或いは、その状態で動けるようにするにはどうすれば良いかを僕は考えた。
 脊椎は、頸椎七椎、胸椎十二椎、腰椎五椎が椎間板を挟んで積み重なっているだけなので、骨盤さえ動かせば、脊椎はしなるように、波打つように揺れる筈だ。
 しかし、その脊椎が箸や棒のように硬く突っ張っているのだ。
 箸にも棒にもかからないとはこのことか(笑)。
 そこで、肩のライン(第七頸椎)、胸のライン(第七胸椎)、脇腹のライン(第三腰椎)のそれぞれの段階で動かし、それより上の脊椎が揺れるように、一つずつ練習することにした。
 それが〔すわり金魚〕と〔すわりイルカ〕だ。
 問題は緩めるための動かし方だった。
 動かしていくラインの中心、例えば肩のラインなら第七頸椎になるが、それより上の頸椎(この場合だと頭のてっぺんの方が感覚は取りやすい)が、その第七頸椎より外に振れないようにすることなのだ。
 右肩から横に突き出していくと(第七頸椎を右に動かしていくと)頭は左に倒れながら引っ張られていく。
 そして肩の動きが止まりかけると頭は惰性(慣性の法則)で起き上がってくるが、その時、頭のてっぺんが第七頸椎のラインより右に行かないうちに、左の肩を横に突き出していくようにする訳だ。
 釣り竿のようにしなるように振る訳ではなく、波打たせるようにしていくのだ。
 この動きを、僕は〔揺り戻し〕と呼んでいる。
 揺り戻し〕的に動かすことで脊椎はS字状に揺れるのだ。
 そして大事なことは、スワイショウの場合と同じで、動かすのではなく、ある部分の動きによって受動的に動かされている(揺らされている)脊椎の揺れを体感することなのだ。
 因みに、動かし方も、そのための技術論も知らなかった僕は、この動きを身につけるまでに五年近くの年月を要してしまったのである。
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