先日
幼い頃からよく声をかけてくれていた
近所のおじさんが
亡くなりました。

いつも 毎朝大抵散歩していて
学校へ登校する時
おはよう、と声をかけてくれた

それはいい歳になって
社会人になってからも
全然変わらなくて。

ハット帽を被りながら
たまーに、
煩いなぁ〜なんて
思っちゃうくらい
陽気に口笛を吹きながら

いつも挨拶を交わすと
2 3言他の話題をつけてくる。
話すのが好きな
おじさんでした。



ショックでした。
心筋梗塞で
ぱたりと
息を引き取ったらしいです。

最期に見たのは
車に乗って出勤する朝
向かいから私より先に
出るおじさんの姿。
トレードのハット帽は
車内でも被りっぱなしで
いつも通りの
変わらぬ朝

あれが最期になるなんて。



今頃は
先に絶たれた奥さんと会って
あーだこーだ
楽しく
お話していることでしょう。

口笛でも吹きながら



ご冥福をお祈りします。

今の歳になっては
本当にあんなに
挨拶以外に
話しかけてくれる
珍しい
付き合いのある方でした。


もう少しゆっくりと
話しておけばよかったな。、、





DEATHNOTEの
あの、タイムリミットの見える
瞳。
あんなのが本当に見えたなら。
いや…
見えない方が
やっぱりいいのかな…


人は亡くなる時
何を思うんだろう。
やりきった、安心感なのか
まだ死ねない、
必死に生にしがみつく
依存心なのか
その人にとっての人生で
違うんだろうけれど


私は
やっぱり
死んだら家庭から解放されると
やっと楽になれると
思えるから
死は痛いのは嫌だけど
死自体はあまり怖くない
受け入れる時が来たら
それが今と変わらずの
私なら

でも
本当に愛する人ができた時
私はやっぱりしがみつくのかな



おじさんはまた
生まれ変わっても
あのままでいて欲しい。





家の妹は
私が包丁片手に料理中でも
平気で声もかけずに
無理やり横切ろうとする。

危ない、と怒ったら
逆ギレ。
通るのくらいわかるじゃん、と。
私は背中を向けていたし
手元集中で全然気づいていなかった。

それにしても
刃物を持った人が
今切っていると手元が分かっているのに
なんで声もかけたりしないのと。
言えばぎゃん騒ぎ。
もう気が狂いそう。

あたし食べないから.
そういいギャン騒ぎ。

いいよ…お前の為に作ってるんじゃないよ…
声にならぬ私の気持ち。

早く解放されたい
本当に全力で離れたい
理解できない
家庭科の授業でも習っただろう…
どこの家だって
怒られるに決まってるのに。




料理も裁縫もアイロンも出来ない
掃除は苦手
言われてしぶしぶやり出す位
遊ぶのは得意
出来るのは洗濯くらい。
洗濯やるのも煩くなるくらい。



将来本当に困ればいい
今はいいんじゃない?
本当に将来泣いて泣いて
何も出来ないその出来なさに
恥を感じて
相手方の姑さんにでも
絞られればいい。
本当にお前はふざけすぎてる。
洗濯なんかただ洗濯機回して
干して畳むだけじゃないか。
片付けも各々がやるのに
本当に何もやりたくないのね。
なんでこういう奴がのうのう生きてて
って思う。

こういう奴の周りは苦労するよね。
私の妹の友達は本当に
妹のせいで疲れてると思う。
かわいそうに。
それか、面倒見がいいか
妥協してるか。



姉妹でこれだけ違うと
本当に私は何処かの子なんじゃと
思う。

そうだったらいいのに。