螺旋状に突っ走って死にたいプロフィール
2014/6/23 Mon 21:11
正論がいつも御立派


話題:ひとりごと


インターネットが発達して、情報が誰にでも気軽に手に入るようになり、もう10年近く経ったでしょうか

体感的には2007年あたりから、ネットすげえ感が出てきたと思ってましたが、2003年あたりから光ファイバーによりネット環境が代わり、2005年にはかなりアクセス数が増えたらしいです

2007年はTwitterを日本でも始める人が増えたころ
ここからSNSサイトの群雄割拠が始まります
mixi、グリー、モバゲーの台頭です

ニコニコ動画、YouTubeなどの動画投稿サイトが出始めたのもこのころ


2010年代になりますと、Twitterの知名度もあがり、多くの人間がアカウントを持つようになります

LlNEにFacebookも流行りはじめました


さて、そんなネットが当たり前の社会において、ただ知っているということに価値がなくなりました

より早く、ただ情報を手に入れればいいというわけではないのです

情報には早さ、正確さ、特異性が主に求められます

早さは誰もが手に入れることができます
しかし、ネットの情報だけでは正確性に欠けます(昔と違い情報源としての価値はだいぶ上がっています。著名な方の論文も参照できます。それでも紙媒体より信頼性は落ちます)

そして誰もが簡単にアクセスできるため、特異性は薄まります

だからこそ、ネットだけでなく様々な媒体での情報収集が必要になります




なんてことは当たり前なんです

ここまでは問題ないです

ネットだけを情報源としている人は減っているはずです

人間は学ぶ生き物ですから、ネットの知識だけではダメだと、経験や情報から学んでいるはずです


問題となるのは、相対的判断により、ネット媒体以外の媒体に信憑性があると無条件に思い込むことです

ネットだけでは信頼性に欠けますが、全てが嘘ではありません

誰が書いたかわからないネットよりは、著者が明示され出版社が校閲している紙媒体の方が確かに信頼性はあります

しかし、情報は流動的です

紙媒体が未来永劫全て正しいわけではないのです
また、校閲されている分、事実がある程度は歪められている可能性もあります

ネットより、信頼性が高いからといって紙媒体だけを信用するのは、ネットだけを情報源とするのとなんら変わりません


大事なのは、信用のおける情報を収集するだけでなく、収集した情報を精査することです

どんな情報も半信半疑で分析します

疑うことにより、問いが生まれ
問いが生まれることで、思考が生まれます

思考した結果、情報を組み合わせて自分のものにできます

情報を得ただけで、得意気になる人間は思考をしていないということです



さて、この情報を

あなたならどうしますか?




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