螺旋状に突っ走って死にたいプロフィール
2014/3/29 Sat 14:06
神様はウヨウヨいるから 誰も救われないし、救われる

話題:なんだかなあ

日本には八百万(やおよろず)の神がいると言われています
おいおい八百万かよ
そこらへんのサラリーマンの平均年収より多いじゃないか

そう思ったそこのあなた


まず落ち着きなさい
献血でもいってきなさい


実際に八百万いるわけじゃないんですよ
そんなんいちいち数えて、定義してデータベース化なんてできるわけないじゃないですか

昔の人達はですね
1から7までは普通に数えて把握していたけど、8以降は「たくさんある」という風にざっくばらんに認識していたんです
八百屋ってあるでしょ?
あれも八百種類も野菜や果実はございませんよ
7種類以上のたくさんの種類を取り扱うから八百屋(百にもたくさんっていうニュアンスがある)

万(よろず)って言葉にもたくさんってニュアンスがあるから
八百万ってのは「とにかくたくさん」って感じの言葉なんですよね

脳科学的にも人間が同時に暗記できる数字はだいたい7つまでですから、8つ以降はたくさんってのも経験測も相俟って正しいように感じますね


はてさて、そんなたくさんの神があちこちにいるよってな国が日本なんですけども

最近、ネットの世界でも現実の世界でもやたら「神」という言葉が使われてしまうことは嘆かわしくも、当たり前のことなのかなと思ったりします

例えばニコニコ動画というコンテンツは動画内にコメントを表示させることで
本来は動画を提供する側、作り手側が持ち得る自己顕示欲と承認欲の充足を、本来はそれを持ち得ない消費側を「間接的に作品に参加させる」ことにより持たせることに成功しました

動画を提供するより、(作品を批評のまね事やいじりや、知識のひけらかしによる他人の褌で相撲をとるような行為で)お手軽に自身の欲求を充たすことが可能になったため、多くの人間が群がります

大多数の人間には才能がない
しかし大多数の人間が自己顕示欲と承認欲を持つため、こういうことになる

しかしながら、当然全員が無能というわけではありません
一見、有象無象でも玉石混合
批評、いじりなどでも才能を発揮する人間はいます

的確なかつ人を魅了するコメントは動画を盛り上げることがよくあるのです


それでも多くの人間ができるわけでもなく、ただ物まねを繰り返すことしかできないわけで、最初はおもしろかった言葉を繰り返し使われて薄れていくわけですね


ながーい話にダレてきた人もいることでしょう
そんな人達はつぶあんとこしあん派に別れて殴り合っててください
もしくは鏡に向かって一人あっちむいてホイでもしててください



話を戻しますが、「神」ですよ「神」
「神」という言葉です

それが簡単に使われている

あちらこちらで神!神!神!

神曲、神展開、神アニメに神演奏

いやいやいくら八百万と言えどそんなに軽々しく使っていいものか、いていいものかというくらい神神神

そしてそれはネットを飛び出し、現実世界でも神神神

そもそも人間に対して使っとるやないか!

人間は神ではない!

トイレに神はいても、トイレを作る人間は神ではないのだ!

ネットの神がいても、ネットをやる人間は神ではない

べつに俺は特定の宗教を信仰しているわけではない
神の存在を盲目的に信じているわけではない

神を乱立させるのは傲慢だと恥じる気持ちがあるのよ

人間ごときがってね

そもそも神という概念も言葉も人間が作ってるものだけど、そこは便宜上しかたないってことでさ


たとえ人間が作り上げたものだとしても、概念のルールに沿うべきでしょ

神は人間よりはすごい
というか人間をはるかに超越した存在なわけでしょ


たしかに日本は神にたいして寛容だけど、ここまで軽々しく使っていいものかと言ったら違うでしょ

ニュアンス的には「すごい」って意味で使っているんだとしてもさ
もう少し、言葉を大事にしようよって思うわけですよ

あの宣教師ザビエルがね
日本にキリスト教を広めようとした時に、あまりの神の多さに愕然としたそうです

「この国には神が多すぎる」そう呟いていたそうです

ショックのあまり頭があの通り散らかったわけですね



という全くの嘘なんですけども

俺は言葉を大切にする前に他に大切にするものがたくさんあるようです


神よ!我を救いたまえ!(念仏唱えながら)




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