ただ一人のためだけに・14

続きです。







物音に目が覚めて、ゆっくりと起き上がる。真っ先に注意を向けたのは窓だ。

抱いていた刀を持ち直して柄を握ると、隣で布の擦れる音と小さな金属音が聞こえた。…フレンも起きたみたいだな。あいつも剣を手に取ったんだろう。
普段はそれぞれすぐ手の届く位置に武器を置いてるが、今日は昼間の事もあって用心の為にオレもフレンも自分の相棒と添い寝してた、ってわけだ。


真っ暗な部屋の中、恐らくあいつも同じ場所を注視してるに違いない。隣の部屋へと続く扉に全く注意を払ってない訳じゃないが、侵入するなら窓のほうがまだ楽だ。いつだったかみたいに、内部に手引きしてるやつでもいるなら話は別だが…。

「……ユーリ」

息を殺してまんじりともしないまま、暗闇に目も慣れた頃にフレンがオレの名を呼んだ。
と同時にオレも緊張を解いて小さく息を吐いた。気のせいか、それとも向こうが気付いて逃げたか。どっちにしろ、何かしらの気配も感じなければそれ以上の物音もしなかった。

オレとフレンで窓を挟み、身を隠すようにしながら近付いて外を窺ってみる。が、今夜は月も出てないせいでとにかく見通しが利かない。

…開けるしかないな、これは。このままじゃ何もわからないし、それに多分…。

目で合図をするとフレンも頷いた。
慎重に窓を開けて、暗闇の中へ視線を走らせる。
が、思った通り何も…誰もいない。僅かな風に揺れる木の枝が見えるだけだ。オレがフレンの部屋にやって来る時に、足場にすることもある。結構な高さもある上に不安定だ。

「…素人がここから入るのは結構骨が折れると思うんだが」

開かれた窓に手をかけて地面を見下ろすオレに、フレンはあっさりと返した。

「完全な素人と決まった訳じゃないだろう」

まあそうなんだけどさ。
物音を聴いて目が覚めたのは確かだ。侵入者じゃないとすれば、風で窓枠が揺れたか、目の前の枝が窓を叩いたか…そんな音で起きるほど、オレは神経質になってるとでも言うんだろうか。

「フレン、おまえも何か聴いて起きたのか?」

「…いや、僕は君の気配で目が覚めた。その前に何か聴いたりはしてない」

「そうか。…んー、やっぱ気のせい、か…」

フレンが気付かなかったという事は自分の気のせいなのか…なんてことを考えるのは癪だったが、こいつがそういった気配に全く無反応ってのもまあ、ないだろう。

開けっ放しの窓から外の様子を見ていると、フレンがその窓を静かに閉めた。鍵を掛けて二、三度確認し、カーテンも引くと薄暗かった部屋が更に暗くなる。目が慣れてるから様子はわかるが、フレンは明かりを点けようとはしなかった。

「どうした、暗いまんまでいいのか?明かり点けたほうがいいんじゃねえの、一応」

「確かに、明るかったらいきなり飛び込んでは来ないかもしれないけど、もしそうなった場合相手からも僕らの姿がまる見えだろう?」

「まあそうだけど…」

どのみち、用心しといたほうがいいに越したことはない。勝手がわかってるぶん、確かに暗闇も有利かもな、こっちにとっては。

…にしても、今何時ぐらいだ?さっき見た外の様子からだと、夜明けまでまだありそうだ。
寝ずの番には慣れてるし、もうこのまま起きとくか?問題はその必要があるかどうか、ってだけなんだが…

「ユーリ、もう休まないか」

「ん…?あ、そうだな…」

「どうしたんだい?まさか、目が冴えて眠れそうにないとか」

「まさかってどういう意味だ…。冴えてっていうか、完全に目が覚めちまったからなあ。このまま起きててもいいんだが」

どうするかなと思いながらソファーに足を向けたところで、ふと視線を感じたて振り向いた。勿論、視線の主はフレンだ。窓辺に突っ立ったままじっとオレのことを見て、何か言いたそうにしている。

……なんだかなあ、なんとなく想像つくけどな、何が言いたいのか………

「…どうしたよ」

それでも一応聞いてやると、案の定フレンはオレにこう言った。

「眠れないんだったら、一緒に寝ないか?」

やっぱりな…。
眠れないなら、ってどういう理屈だよ。余計寝られないに決まってんじゃねえか!別にその、何かするしないに関わらず!

「嫌だって言われるの、わかってるだろ?なのになんでそんなこと言うんだよ」

「嫌なのか?どうして」

「ど……嫌に決まってんだろ!」

「だから、どうして?」

何故かフレンは妙に楽しそうで、にこにこしながらオレに質問を繰り返す。

どうしてって、そりゃ…

「僕と寝るのがそんなに落ち着かない?」

「わかってんなら聞くな!!」

ああそうだ、落ち着かない。今までだって何度も言ってる。なんだってんだ、わざとらしい。思わず声が大きくなっちまったじゃねえか…!
なのにフレンは随分と落ち着いてて、ますますニヤつきながらオレを見つめている。
にこにこなんて可愛らしい笑い方じゃねえぞ、ニヤニヤとしか言いようのない顔だ。

「ユーリ、どうして落ち着かないんだ?」

…改まって聞かれると、めちゃくちゃ答えにくいんだが…

「当ててあげようか」

「は?…ちょ、寄るな!!」

大股で近付いて来たフレンについ後ずさったが、何かに当たって反動でつんのめったところで腕を掴まれた。『何か』はソファーだ。ほんとはこの寝室じゃなく、隣の部屋にあったやつなんだけどな。今はオレのベッド代わりになってる。

で、そのソファーが邪魔をして逃げられなかったせいでオレはフレンに両腕を掴まれて、身動き取れなくなってんだけどな…この体勢がもう既にツラい、色々と。

「おい、離せよ!」

「今離したらそのまま後ろに倒れてしまうよ」

「…別に構わねえし」

やたらでかくて上等なソファーだ、何の支障もない。ぶっちゃけ下町のオレの部屋にあるベッドより柔らかいし、一応毎晩これで寝てるが身体が痛くなるだとか、そんなこともない。フレンがこっちに潜り込みさえしなければ、の話だけどな。
そう思ったから『構わない』と言ったんだが、フレンは意外そうな顔をした。…なんでこんな顔されるのか、さっぱりだ。

「おい?」

「いや…一緒に寝るのを恥ずかしがる割に、大胆な誘い方をするな、と思って」

「………はあ?何言って…って、構わないってのはそういう意味じゃねえっての!」

「そう?残念だな。…ユーリ、僕と一緒に寝るのがそんなに恥ずかしい?」

「は」

…ずかしい、と言おうとしてオレは口をつぐんだ。恥ずかしいっていうのとは少し違う気がしてたからだ。全く恥ずかしくないかと言われるとそれもまた違うんだが…。
そんなことを考えていたらフレンがぐっと顔を近付けて来たから、反射的に思い切り仰け反っちまった。

いや、だってこれ絶対キスしようとしただろこいつ!?

もうこれ以上後ろに下がれず、上半身を殆ど仰向けに近い状態にして見上げたフレンはそりゃあもう不満げにオレを睨みつけていたが、次の瞬間には掴んでいた腕に更に力を込めてオレの身体を引き寄せた。
…今度は避けられなかった。

「ん、っふ……!!」

「……ん…」

目を閉じると互いの僅かな息遣いだけが漏れ聴こえて、それこそ堪らなく恥ずかしくなる。…直接頭の中に響いてくる音に落ち着かない。

落ち着かなく、なる。

唇を離したフレンがオレを抱き締めて、いつもするように髪を撫でる。…ほんと好きだな、髪に触るのが。オレもこうされるのが好きで、落ち着く…筈だった、こないだまでは。

それがここ最近、逆に落ち着かなくなるから困るんだ。最近って言っても、今回ここに来てまだ一週間経ってない。いつからこうなったのか、自分じゃはっきりわからない。
でも、今こんなに落ち着かなくて困ってるのは確実にフレンと夕方にした話のせいだと思っていた。

結婚云々の話なんか出されて、本当はかなり動揺した。別に今日の話じゃない、最初からだ。…改めて意識したのは今日だけどさ。
今はそんなこと考えてない、ってのは本当だ。
だけど下手に意識させられたせいで、何でもない瞬間にふと思い出したりする。別に、結婚に夢を見てる女が思うような可愛らしいことなんか考えちゃいない。
…考えるのは、もっと別のことだった。


「ユーリ」

「な、んだよ」

フレンがオレの髪に顔を埋めるようにしながら話すから、時々息がかかって擽ったい。わざとなのか、そうじゃないのか…身長が変わらないせいで、大体いつもこの位置だ。
これがまた、落ち着かない。

「…なんだか、そわそわしてるね」

「だから、落ち着かねえんだって言ってるだろ!?」

「それがどうしてなのか当ててあげる、って言ったよね、さっき」

そういやそうだったな。
今度は何を言われるか想像もつかないから、黙ってフレンの言葉を待っていた。

「…あのさ、ユーリ。僕ら、恋人同士だろ?」

「まあ……そう、だな……」

「身体を重ねたこともあるよね?」

「う………」

「でも、全然足りないんだ。もっと、ユーリが欲しい」

「おまえ何言ってんだよ!!?」

…あまりの恥ずかしさに声が裏返りまくった。
いや、言いたいことはわかる……わかるが、オレは、その……


「ユーリも、そうなんだろ…?」


フレンに抱き締められたまま、オレは何も言うことができずに固まっていた。

オレも、ってのはつまり、フレンと同じようにオレもフレンと

もっと


「そ………んなわけ、ないだろ!!!」

油断してたんだかなんだか知らねえが、フレンの腕の力が少し緩んでたのが幸いだった。
脇から手を入れてフレンの胸を力一杯突き飛ばす。そのまま一発殴ってやろうかと思ったが手が出なかった。
目の前のフレンは相変わらずニヤけてるし、オレは死ぬほど恥ずかしくて口元を覆うのでいっぱいいっぱいだ。…明かり、点けなくて正解だったな。酒呑んだ時より赤くなってんじゃねえの、オレの顔…。


フレンの言ってることは、当たらずも遠からずだ。
…ソレばっか求めてるわけじゃねえけど、確かにもっと、こう…その『先』に行ってもいいか、と思うことは…ある。
だから、一緒に寝たら落ち着かない。
勿論、翌日の仕事のことやら、今はそんな場合じゃないってことやら考えれば、はっきり言って手を出されたら困るのは事実だ。

手を出されたら、って言う時点で自分が受け身の側だっつうのを完璧に認めてるってのにも、まだ抵抗がある。…今さらとか言われてもこればっかりは如何ともし難い。オレは別に、元々『そっちの』趣味の持ち主じゃねえんだから。

でも、どこかで期待してるんだ…認めたく、ないが。


落ち着く筈の場所が落ち着かなくなって、触れて欲しいけど今は駄目だと自分に言い聞かせて、しかもそれをフレンに気付かれてるってのがもう、いろいろ終わってる気しかしねえよな。

…こんなんで一緒になったりしたらとか、さすがに考えたくないぜ…今はそのつもりがない、っていうのは別にこんな理由じゃねえけどさ。


「……それで、一緒に寝る?」

「ニヤニヤしやがって……寝ないっつってんだろ」

「護衛なんだし、少しでも側にいたほうがいいんじゃないか?」

「同時に襲われる危険性が高まるだけじゃねえか。何言ってんだ」

「とりあえず、今夜は君を襲うつもりはないけど」

「おまえの話じゃねえよ!!」


護衛なんかいらないんじゃないか。
割と真剣にそう思ってるぞ…。
あと一日、ほんとに何事もなきゃいいんだが。こんなに緊張感のない護衛は、相手がフレンだからなのか、なんなのか。

……どうにも、嫌な予感がするなあ……。


フレンに背を向けてソファーに横になり、頭から毛布を被って暫くすると、フレンの気配も少し遠くなった。どうやらあいつも大人しくベッドに戻ったみたいだな。

目を閉じてもなかなか眠る事が出来ず、とにかく無事にこの仕事を終えて早く自分の生活に戻りたいと、そんなことが頭の中でぐるぐると繰り返すばかりだった。




ーーーーー
続く

SWEET&BITTER LIFE・10(拍手文)


「…で、なんか役に立つのか?それ」


いくつか質問を繰り返し、ユーリの説明をメモしていた僕だったが、唐突なユーリの言葉にペンを走らせる手を止めて顔を上げた。


「それ?」

僕の問い掛けにユーリは答えず、顔だけを動かして顎で僕の手元を指し示すようにすると再びケーキのデコレーションをする作業に戻る。
僕が色々と聞いている間も、ユーリは作業の手を休めることはなかった。
今までユーリに聞いた事が箇条書きされたメモ帳を見る僕に、顔は向けないままユーリが改めて聞き返した。


「いや…色々聞くのは別に構わねえけど、それがおまえにとって何の役に立つのかな、って思ってさ。どうなんだ?」

「どう、って…今はまだ、何とも。ただ、知っておいて損はなさそうだし」

「んー…そうか?」

ちらりと僕を見たユーリだったが、またすぐに視線を手元に戻してデコレーションの続きを再開した。今は、ケーキの上に飾り用の生クリームを絞り出しているところだ。
一定のリズムで軽快に形作られていくクリームを見ていると、なんだかとても簡単そうに見える。でも多分、というか絶対、僕がやっても同じようにはならないんだろう。こんな間近でこういう作業を見るのは初めてのことだし、とても面白い。


ユーリが作っているのは、スタンダードなタイプの苺のショートケーキだ。今日が誕生日だと言うお客さん…正確には、お客さんの娘さん、か。その子はここのケーキが大好きで、中でもとりわけ、このショートケーキがお気に入りらしい。

僕も子供の頃に家で食べるケーキといえばこれだったな。…そういえば、まだこのお店のは食べたことがない。
こんな事を考えている間にもどんどんケーキは出来上がっていき、可愛らしくデコレーションされた生クリームの上に飾りの苺が乗せられていく様子を見ている僕に、やっと顔を上げたユーリが再び口を開いた。


「おまえ、個人的に興味があるみたいなこと言ってたよな。家で菓子作りなんかするのか?」

「個人的というか純粋に作業そのものをどうやってるのかな、って思って…一人暮らしだからある程度自炊はするけど、さすがにケーキを作ったりはしないかなあ」

「まあそうだろうな。そもそも、たいして甘いもんが好きって訳でもないんだし」

「ここのケーキは好きだけどね」

「はいはいそりゃどーも。で、役に立つのか、って話なんだけどな」

「知ってて損もないかなとは思うけど、どこで何が役に立つかわからないな。僕はこういうお店のことはよく知らなかったし、今後もし取材の仕事があるとしたら、その時にいちいち先方に聞き返す事はなくていいかもしれないけど」

「……………」

ユーリは何故か思案顔だ。
…僕、何か変な事言ったかな…。


「一応、言っとくが」


僕に向き直ると、ユーリが少し困ったように眉を寄せた。

「店のことを知らないやつの取材なんかお断りだ、って言ったのはそういう意味じゃないからな」

「……うん?何の話?」

「…あれ、違うのか?」


言われて少し考えて、すぐに思い出した。最初に取材を断られ、次にお詫びとお礼をしようと再びここへ来た時に、確かにユーリにそういう事を言われている。でも、それは……

「君の言ってる意味をちゃんと理解出来てるかどうかまだわからないけど、知識的な事だけを指してるんじゃないんだろうな、っていうのは、なんとなくわかってるよ」


本当は、それこそ取材させてもらったらはっきりわかるような気もするけど…今はまだ無理だろうな。いつか、機会があればいいんだけど。
ユーリの言ってるのは、多分『ユーリがどういう思いでこの店をやっているか』という事なんじゃないか、と思う。ユーリは自分の店を知ってもらおうとして、あんなに腹を立てながらも僕にケーキをくれたんだ。
それに、今日だって休日にも関わらず、わざわざこうしてたった一人のお客さんのために店に戻るくらいだし、ユーリがお客さんのことをとてもよく考えているのがわかる。

…僕はそういう事を全く考えずに、ただ『取材を受けて雑誌に載せれば集客効果がある』という話をしてたんだな、ということに今更ながら気付いていた。

だって、エステルさんが休んだら営業するのが厳しい、って言うぐらいなんだ。
スタッフの体制云々は僕が口を出す事じゃないし、他の従業員がまさかユーリだけということはないだろうけど、キャパを超えた集客があっても困るだけだろう。きっと、こんなふうに臨機応変な対応だって出来なくなるに違いない。

ユーリはそういうのを嫌がるんじゃないか?

今までに聞いたり、本人と話したりした感じで僕はそう思うようになっていた。
間違ってない自信はある。ユーリはお客さんをとても大切にしてるんだ。


「だから、大丈夫だよ」

「…ふうん?」

「何度も言うけど、君がどうやってあんな美味しいケーキを作ってるのか純粋に興味があるだけなんだ。あと、君のことをもっと知りたいって言っただろう?だから、いい機会だと思っ……」

「…………」

「…ユーリ?どうかした?」

「いや……」

ユーリが急に俯いてしまったので、不安になってその顔を覗き込んだ。不機嫌そうなその顔が、少し赤い…?
ところがユーリは更に顔を逸らし、さっきまでデコレーションをしていたケーキに視線を戻すと、何故か溜め息を吐いて作業を再開した。


よ…よくわからないけど、やっぱり何か変なことを言ったのかな、僕。後で聞けるようなら聞いておかないと、気になって仕方ない。今はユーリの邪魔をする訳にいかないしな…。


といっても、ケーキはもうすっかり出来上がっている。ユーリの手元にはチョコレートの小さなプレートがあって、多分それにこのケーキで誕生日を祝われる娘さんの名前を書き入れたら完成なんじゃないかと思うんだけど…
でも、どうやって名前やメッセージを書いたりしてるんだろう。もちろん、普通の筆記用具で書くわけじゃないことぐらいわかってる。ただ見た感じ、それっぽい道具のような物もない。

「…ちょっと、その棚の上の箱から中身取ってくれ」

「棚?中身って…」

ユーリの様子と作業への疑問で首を傾げる僕を見ないまま、ユーリはそれだけ言うとくるりと背を向けて作業場の奥へと行ってしまった。
それ程広くはない作業場だから、奥とは言ってもユーリの姿は見えている。…お湯を沸かしてるみたいだ。
とりあえず、ユーリに言われた棚に目をやった。僕のすぐ隣にあるステンレスのパイプラックには、様々な形をした焼き型が重ねて置かれていた。一見、何に使うのかわからない型に興味を引かれつつも視線を上げると、そこには確かに小さめの箱がある。

手に取って見ると、中には薄い紙のような、フィルムのような物が入っていた。ええと…ああ、パラフィン紙だ。ドーナツ買ったりすると中に入ってるような。それよりはだいぶしっかりした紙質だけど。
下敷きぐらいの大きさのその紙を一枚つまんで、ユーリに声を掛ける。

「ユーリ、これのこと?」

「ああ、サンキュ。一枚だけでいいぞ。箱は戻しといてくれ」

そう言いながら戻って来たユーリはすっかりいつもと変わらない様子で、手にはお湯の入った小さめのボウルを持っている。作業台に置いたそのボウルに更に一回り小さなボウルを浮かべて、そこへ小さな茶色の粒を入れた。

「今入れたの、チョコレート?最初から砕いてあるんだ…少ししか使わないんだね」

「ああ、今からこれに名前書くだけだからな。まあ、種類とか形状は時々で使い分けはするけど」

「かわいい形のプレートだね。そういうのも作ってるのかい?」

「まあな。今回は子供用だから特に」

プレートはよく見る長方形のものじゃなくて、あるキャラクターを象ってある。見たことあるんだけど…何だったかな、思い出せない。

「なるほど…ところで、その紙は何に使うんだ?」

「これか?パイピング用のコルネ作るんだよ」

「コルネ?そんな名前の菓子パンがなかったっけ」

「意味は同じだけど説明が面倒臭え」

「……後で調べてみるよ」


ユーリはその紙を斜めにカットすると、一点を指で固定したままくるくると巻いて三角錐を作り、縁を内側に折り込んで形を整えたものを僕に見せた。
もしかしたら、コルネっていうのはこの形を言うのかな。僕が知ってる菓子パンもこういう形で、中にクリームが入ってるし。

そうして出来たものに溶けたチョコレートを入れて、先端を少しだけカットするとユーリはその『コルネ』を使ってプレートに名前を書いていった。
なるほど、こうやって細い文字を書いたりするのか。
やっぱりこういうのを見る事が出来るのは面白いな。役に立つかどうかは別として。

プレートをケーキに乗せて、これで完成かと聞こうとした時にちょうどユーリが屈めていた体を起こし、軽く息を吐いた。


「おし、出来上がり!」

「お疲れ様、ユーリ」

「ん。悪かったな、付き合わせて」

「何言ってるんだ、とても興味深くて楽しかったよ。僕のほうこそ、邪魔じゃなかったかな」

「まあ多少はなー」

「………………」

出来上がったケーキを冷蔵庫にしまいながらユーリにそう言われて、思わず黙ってしまった。
…それはまあ、あれこれ質問攻めにしたかな、とは思うけどそうはっきり言われると……


「おまえ……ほんと冗談の通じない奴だな。邪魔とか迷惑だと思ったら追い出してるっつの!察しろよそれぐらい!」

「…タイミングとかあるだろう…ユーリの冗談は冗談に聞こえないよ」

「悪かったな!よっぽど冗談みたいなセリフは平気で言っといて何を…」

そこまで言って口篭るユーリは、しまった、というかのように一瞬だけ口元に手をやって慌てて僕から目を逸らすと、少し乱暴な足取りでさっさと作業場から出て行ってしまった。


え、何なんだ一体…!


「ちょっ…!ユーリ、待って!」

すぐに後を追って店内に出ると、ちょうどユーリが喫茶スペースの椅子に座ったところだった。むしり取るようにして頭に巻いたバンダナを外し、大きく溜め息を吐く姿からは苛立ちしか感じられない。

でも、何が原因でこんな態度を取られなきゃいけないのか、さっぱりわからない。さっきもちょっと様子がおかしかったし、やっぱり気になる。

聞くなら今しかなさそうだ、と思った。

頬杖をついてふて腐れているユーリの前に座りながら、僕もバンダナを外してテーブルに身を乗り出す。

少しそうしただけで、それほど大きくないテーブルの半分を僕の体が占領してしまう。
ユーリが視線だけを動かして僕を見ていた。



ーーーーー
続く

ただ一人のためだけに・13

続きです。




本当に知りたかった事の確認はできたのかもしれないが、とりあえず今は目先の危険をどうするか。

オレがここに呼ばれた本当の理由は、フレンの護衛のためだ。だったら普通に頼めってのはもう、さんざん言ったんでこの際置いておくが…。

大体、オレが来ればフレンも立ち直るだろうと踏んでヨーデルはオレにこんな事をさせたんだ。立ち直ったなら護衛の必要もなさそうなもんだが、まあフレンだって何事にも完璧というわけじゃない。

ヨーデルの話から察するに、フレンの邪魔をしたがってる奴が雇ったのはどうも素人臭い。…一般人、てことはないだろうが、例えば海凶の爪の赤眼とか、あんな奴らじゃない筈だ。もしあの手の奴なんだとしたら、いくらなんでも無用心すぎる。
だが、相手がプロじゃないほうが厄介かもな。行動の予測がつきにくいんだよ、素人ってのは。そのあたりは前回の仕事で嫌というほど思い知った。
行動そのものも、その動機も、知ってもなお理解不能だ。気持ちはわかる…というのともまた別だ。普通、実行しないだろうと思う事を実行したりするからな…。

護衛をしてやるのは構わない。が、実際のところはどうなのか。どうしてもフレンの邪魔をしたいという人間が、何故そんな不確実な手段を取ろうとするのか謎だ。

オレは常にフレンに張り付いてるわけじゃないからな。どっちかって言えば一緒にいない事のほうが多い。今回は城の中をうろつく事も出来ないし、不審者を見付けるにはなかなか難しい状況だと言える。

…むしろメイドなんかじゃなくて普通の格好のほうが堂々と出来るのかもしれないが、それはそれで余計な面倒が増えるだけだ。城の中で、フレンの側にオレがいても何も言わない奴もいるだろうが、そうじゃない奴のほうが多いと思ってるからな、オレは。
そうなるとフレンの立場が悪くなるだけだ。

フレンは『そんなことはない』って言うんだろうが、そうじゃないからオレは城に来るのが嫌なんだ。
だからって女装も御免なんだが…。隠れてあれこれ探るにしては動きにくすぎるし、場所によっては不自然極まりない。
着替えた後、夜のうちに行動するのもあまり意味がなさそうだ。部屋にフレンを一人にするぐらいなら、いっそ大人しくここで襲撃を待ったほうがいいだろう。そのほうが何かと都合もいい。わざわざ『戦力』を分散させる必要、ないだろ。

「で、ちょっとぐらい心当たりは探ってみたのか?」

想像でばかりものを言ってても仕方ない。こっちは反対派の奴らが全員怪しく思えるぐらいなんだ。片っ端から吊るし上げる訳にもいかないし、絞り込みぐらいしてくれなきゃ困る。

未だ不機嫌そうな様子のままのフレンが、じっとりとした眼差しをオレに向けて言った。

「昨日の今日で、なかなか無理を言ってくれるね」

「何でだよ?元々ヨーデルには心当たりあるみたいだったし、さくっと聞いちまえばいいだろ」

オレはヨーデルから、フレンの邪魔をしようとする奴がいるという話を既に聞いている。それに関してヨーデルに確認したい事がある、とはフレンも言っていた。
明後日はもう議会当日なんだし、さっさと聞いてもらわなきゃ困る。

フレンが小さく息を吐いた。


「…反対派の誰か、というのは分かってる。その誰かが、不穏な動きをしてるらしいという事も。だが、実際にその中の誰が行動を起こすかなんて特定はできない。そういう事だよ」

「それにしたって、何人ぐらいいるんだ、それ」

「…はっきりとした人数は把握してない」

「してない、って…」


返答に呆れ返るオレを見て、フレンが説明を付け足した。

一言で反対派と言っても様々だ、とフレンは言う。
あからさまにフレンやヨーデルを気に入ってないようなのは言わずもがな、そうじゃないのも中にはいる。法案そのものに反対なだけ、って奴も少なくはない。それだってとにかく否定的な意見もあれば、好意的に見てはいるが不安があるとか、そんな感じの奴もいるらしい。

確かに、政治の話に明るくないオレにだってその程度は理解できる。ギルドにも色んな奴がいるからな。複数のギルドで一つの依頼を請けたりする場合に、そんな感じで意見がぶつかる事だってある。
特に最近、騎士団と一緒に何かする機会も増えたしな…。

「言ってる事はわかるが、この辺が怪しいとかねえのかよ?おまえの邪魔を誰かに依頼した奴がいるんだろ、確実に」

「それ自体、どういう経緯で陛下の耳に入ったのかという事は教えて頂けなかった。もしかしたら、ほんとはそんな奴らはいなくて単に相手の立場を悪くしたいがためにそういう噂を流してるのかもしれない。ただ、不穏な動きがあるので用心するようにと…まあ…注意すべき人物というのは確かにいるけど」

「足の引っ張り合いは相変わらず、か……じゃあ何か、噂の段階で具体的に動く訳にいかねえからってんで、警備の強化したりしてないのかよ」

「こちらが動揺する様子を見せる訳にもいかないからね」

だから君に声がかかったんだろう、と言われて閉口する。
…こんな差し迫った状況で、体面を気にしなきゃならないってのはほんと面倒だよなあ…。ビビってる、と思われるわけにゃいかないんだろうが、いい加減そういう部分も変えていったほうがいいんじゃないかと思わずにはいられない。

ま、それはフレンに任せるとして、だ。

さっきのフレンの言葉には、一つ間違いがある。
もう、噂の段階じゃないだろ?


「…おまえ、実際に見たじゃねえか。不審者の姿をさ」


オレの言葉にフレンが表情を曇らせる。
…何となく、言いたいことの察しはついていた。

「……はっきりと、顔を見た訳じゃない」

思った通りの答えに、オレは小さく溜め息を吐いた。

「まあ、そうだろうとは思ったけどな。あの時点で誰かわかってたら、今ここにおまえがいるとも思えねえし」

「もう、こんな時間だ。そうとも限らない。でも、対応に追われてはいただろうね」

「だけど、不審者を見たって報告はしたんだろ?ヨーデルは何も言わなかったのか?」

手合わせの後、フレンはヨーデルの元へ行くと行って先に城の中へと戻って行った。オレは一旦城を出て、いつもの手順でフレンの部屋に戻って来た。オレは普段の…メイド服じゃない格好してるし、手合わせを誰かが見ていても不思議じゃない。どうやら手合わせの為にオレを呼んだ、って事にしたらしいな。だから普通に帰るフリをして正門から出て、わざわざまたここに帰って来てフレンを待っていた。
いつの間にそんな根回しをしたのか、呆れるやら申し訳ないやら複雑な気分だ。

「噂で動く訳にいかないってのはわからないでもないが、顔を見なかったにしてもおまえは怪しい奴を見たんだろ。だから攻撃を仕掛けたんじゃねえのか」

「ああ、その通りだ」

フレンが頷く。

「だったらさすがにヨーデルも何か考えたんじゃねえのかよ。つまんない事気にして、おまえの身に何かあったらどうするつもりなんだあの天然陛下は」

「……ユーリ…、本当に申し訳ないと思ってる」

「…は?何が」

いきなり頭を下げられて驚いた。別に、謝られるような事をされた覚えは………あー、色々とあるが、とりあえず今に限って言えば、ない。
意味がわからずに首を傾げると、フレンがやや疲れたように少しだけ肩を落としてこう言った。

「今回の事は、元はと言えば僕のせいだ」

「…はあ」

「僕が不甲斐ないばかりに、大勢の人に迷惑を掛けた。勿論、君にも」

何を今更。
そう思ったが、とりあえず黙ってフレンの話を聞く事にした。

「明後日の議会で成立させたい法案は、どれも急を要するものばかりだ。この国を、世界を変える為に」

「…そうでなきゃ困る」

「でも、一つだけ。それとはあまり関係ないものがある」

「そうなのか?」

「……覚えてないかな。君もその草案を見ている筈なんだけど」

………思い出した。が、なんで今その話なんだ。
フレンには悪いが、完全に忘れてた。と言うより、覚えていたくなかった。

「あったな。なんか、よくわからねえのが」

…同性婚を可能にするとかどうとか。そんな法案をフレンに見せられた。全くもって、緊急度も重要性も感じない。今すぐ同性と結婚出来なきゃ困るなんて人間が、一体どれ程いるってんだ。

「随分な言い方だなあ」

「どうでもいいんだよ。なんか関係あんのか、今」

「…陛下は、今回は見送ったほうがいいと仰しゃられたんだ」

「まあ…そうだろうな、普通は」

ヨーデルは、『議会は日々紛糾している』と言っていた。きっとそれは本当だろう。
ただでさえまとまらない議会に、無関係…というか、どう考えても今変える必要のなさそうな法案を持ち込んで、無用な混乱を招くような真似はしてもらいたくはない筈だ。

「陛下個人としては、法案の主旨そのものには賛成して下さっている。でも、立場上は…」

「反対せざるを得ないだろうな。議会でおまえを援護するのも難しそうだ」

「そう。だから、今回この案を議会に提出するつもりなら、それに伴う一切の面倒を自分で処理するように、と言われてしまったよ」

何だ、そりゃ。
フレンは苦笑していたが、オレは笑えなかった。
そんな…つまらない事の為に敵を作って、そうまでしてその法案を通すなんて馬鹿げてる。
そう思うと、無性に腹が立った。

だけど…

「………仕方ないな、それじゃ」

今度はフレンが驚いてオレを見た。

「何だ?オレ、そのためにここにいるんだろ。さっきおまえも自分でそう言ったじゃねえか」

「そう、だけど。…ユーリは、陛下の味方をするかと思った」

「言ってる事は間違ってないと思うぜ。ヨーデルの言う通りにしたほうがいいんじゃないかとも思ってる」

オレを見るフレンの表情が悲しげに歪んで、そのまま視線が床に落ちた。
フレンがこの法案に拘る理由なんか、言われなくてもわかりきっている。勿論、自分達の事だけを考えてる訳じゃない、というのも理解は出来るが、一番の理由は…まあ、オレが思ってる通りなんだろう。実際、フレンも『割と本気だ』なんて言ってたし。

馬鹿だよほんと。

形に拘る必要なんかないって、何度か言った覚えもあるんだがな。別に、結婚云々に限らないが。

「ま、おまえがそうしたけりゃ好きにしろよ。オレには関係ない」

「ユー…」

「…依頼じゃなくても」

「え?」

顔を上げたフレンに笑いかけながら、言ってやった。

「依頼じゃなくても、おまえの力になれる事があるならそうしてやりたいと思ってるよ、一応な」

必要があるかどうかは知らねえけど、と付け足したらフレンが凄い勢いで首を横に振ったので、思わず吹き出した。
表向きに援護出来なくても、ヨーデルだってフレンの事を心配してるんだ。やり方はどうかって気もするが、任されたと思って何とかするしかないだろう、ここまで来たら。

「だからおまえは、やりたい事をきっちりやればいいさ。ああ、最低限の自衛はしろよ。オレの目の届かないところでどうにかされたらただじゃおかねぇからな」

「あ、ああ。…わかった」

「それと」

「…何だい」

「法案が通ったところで、『オレ達には』関係ない。通るように願うぐらいはしてやる。……なんだよ、その顔は」

フレンは納得行かないといった様子でオレを見ていた。
ほんとはわざわざ言いたくないが、仕方ない。
でも、いい加減こっちの気持ちも理解しろと言いたかった。
オレは、そういう性分なんだ。


「何度も言っただろ、オレはそういうのに興味ない。…一緒にいたけりゃそうするし、そうじゃないほうがいいと思えばそうする。それだけだ。で、今はそうじゃないほうがいい、と思ってる。だからその法案が通っても関係ない。…おまえがオレに何を言っても、受ける気はないからそのつもりでいろよ」

「………酷いな。まだ何も言ってないのに、先に断られなきゃならないのか」

「言って断られるよりマシだろ」

「そういう問題じゃ…!!」

「だから、その気になったらオレから言ってやるよ」


今にもオレに掴み掛かりそうな勢いだったフレンがぴたりと動きを止めた。
目を見開いて、何か言いかけた口は半開きのままで、なんとも間抜けで…そんなに驚かなくてもいいだろ、と言ったらフレンは我に返ったようだったが、それでもどこか信じられない、といったふうにまじまじとオレを見返した。

結婚なんて、考えたこともない。
ましてや、相手がフレンだなんて。
でも、他のやつが相手の場合なんてもっと考えられない。そう思えるぐらいには、オレもフレンを好きなんだ。
だけど、この先どうなるかなんてわからない。今の関係になる前も、なってからだっていろいろあったんだ。ずっと今の気持ちのままでいられるかなんて、全く自信がなかった。それは、フレンだってそうなんじゃないか。
そう思うと不安になった。
こんな事を気にしてるなんて、出来れば知られたくない。フレンはきっと、同じ事しか言わないんだろう。嘘じゃないとわかっていても、それでも素直に全部受け入れられるような人間じゃないんだ、オレは。

だから今、そんな話をされて、それをオレが断って、そのせいでこの関係が終わるのは嫌だ。今はまだ、そんなことを考えたくない。もう少し、今のままでいたい。

だって、やっと今の関係が心地好いと思えるようになったばかりなんだからさ…。


「…もしもこの先、おまえと『そうなりたい』と思えるようになったら、その時はオレから言う」

「…逆プロポーズ?」

「プ……口に出すな!わざわざ言わないようにしてたのに…!それに逆って何だ、どっちからでも構わねえだろ別に!!」

「いつかユーリが言ってくれるのか?僕に?…いつまで待てばいい?」

「いつまで、って」

「君からの行動を待ってたら、三ヶ月どころか三年ぐらい先になりそうな気がする」

「…とにかく、そんな話もまずは議会を無事に終わらせてからだろ。フォローが期待出来ないとはっきりわかった以上、ちっと気合い入れ直さねえと…」

「…………そうだね」

フレンはどこか適当というか曖昧な様子の相槌を打ったが、気にしなきゃならない事の優先順位を間違ってもらっちゃ困る。
諸々の法案が通る通らないより先に、オレの仕事はフレンの護衛だ。議会当日、何事もなくフレンを見送ってやる事ができなければ何の意味もない。

「とりあえず、今の話は忘れろ。それよりもお互いきっちりとやることやって、胸張ってヨーデルんとこに報告に行ってやろうぜ」


そう言うと、やっとフレンも笑って頷いた。

しかし…相手側の具体的な情報、マジでなんもなし、か…。
自分達だけで何とかする自信がないわけじゃない。だが向こうの出方を待つしかない状況に、オレは内心で密かに溜め息を零した。



ーーーーー
続く
▼追記
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