聖なる夜に、届いたものは(※・クリスマス企画・リクエスト1)

11/18 00:06 拍手コメントよりリクエスト。フレユリで本編ED後、クリスマスネタ。裏ですので閲覧にはご注意下さい!










寒いから、暖めて欲しいと思った。


こんな事を考えるようになった自分自身にやや呆れながらも、ユーリは素直にその欲求に従ってフレンの部屋を訪れた。

もはや通い慣れた裏道を抜け、人目につくことなくフレンの部屋の窓辺へとやって来たが、そこでユーリははたと動きを止めた。

(……灯りが……)

目の前の窓の向こう、部屋の中は真っ暗だった。
まだ寝るには早い刻限だ。そうでなくともフレンは夜遅くまで、執務を終えて部屋に戻ってまでも何やら雑事をこなしていることが多い。もう床に就いているとしたら、余程疲れる何かがあったか、もしくは明日の朝が早いか。

しかし、ユーリはその考えを自ら否定した。
フレンの朝が早いのはいつものことだ。それに、もしも疲れているのなら―――一人で眠るより、自分に会いに来るだろう。

「どうしようもねえなあ、オレも…」

いつから、こんな自分になってしまったのか。溜め息混じりに一人呟き、そっと窓に手を伸ばす。軽く押しただけで簡単に開いた窓から部屋の中に降り立ち、ユーリは辺りを見渡した。
灯りのない部屋はしんと静まり返り、人の気配すらない。暖かみのない空間で徐々に暗闇に慣れた視線の先に見付けたものに、今度こそユーリはがっくりと肩を落とした。

フレンがいつも座っている机の上に、綺麗に折り畳まれた一通の手紙。
読まずとも内容などわかりきっていた。フレンに見られる事が絶対にないと思ったからこそ、隠すことなく落胆する様を見せたのだから。
それでもその手紙を手に取り、僅かな月明かりを頼りに文面を読み進める。几帳面な性格を窺わせる整った文字と、簡潔な文章。しかし書いてある内容は全くユーリの予想通りであり、面白いことなど一つもない。

「…帰るか」

二、三日留守にする。戻ったら会いに行く。

要約するとそんなことの書かれた手紙を乱暴に懐へと突っ込み、ユーリはフレンの部屋を後にした。手紙に記された日付けは三日前だったが、寝るには早いとは言えこの時間にいないのであれば、どのみち今夜は無理だろう。そう判断した。

下町へと戻る道を歩きながらふと夜空を見上げれば、吐き出された息が白く視界を覆って静かに流れていく。星蝕みは消え去り、満天の星空が美しい。だが同時に、失った恩恵も大きかった。辺りを照らしていた魔導器はもう無い。下町は元々その恩恵に与ってはいなかったが、いつもは気にならない暗闇がやけに冷たく感じ、ユーリは早足で仮住まいの宿へと戻って行った。


灯りのない、しんと静まり返った部屋。
住み慣れた部屋は殺風景だがそれなりに居心地が良く、これと言って不満もない。強いて挙げるとすれば壁の厚さが頼りない事ぐらいだったが、好意で住まわせてもらっている身でそのような事を言うつもりはさらさらなかった。

「……寒っ」

冷たいベッドに潜り込み、一つ身体を震わせて呟くとそのままユーリは瞳を閉じた。さっさと眠って、起きた時にはこの人恋しさを忘れていればいい。
ただそれだけを願いながら、ユーリは頭からシーツを被ってただ身を縮こませるのだった。




「…ユーリ」

ここにいる筈のない誰かの声に、ユーリは薄く目を開けた。目の前には、眠る前と変わらない闇が広がるばかりだ。

(……夢…?)

ぼやけた思考のまま、再び瞼を閉じるともう一度声が降って来た。

「ユーリ…起きて」

同時に身体を包む温もりと控え目な重さに、ユーリは今度こそはっきりと目を覚ました。しかし、すぐに顔を上げることが出来ない。ベッドに顔を押し付けるようにしながら寝返りをうつフリをしたが、追いかけてきた気配に耳元を擽られて飛び起きた。

起きてるんだろ、と静かに囁かれ、息を吹きかけられて慌てて耳を押さえながらベッドの上で壁を背にしたユーリの目の前には、会いたくて会えなかった恋人の姿があった。暗くてよく見えないが、きっとしてやったりといった顔で笑っているのだろう。

寝返りをうつフリをしたのは、いくら相手がフレンとは言え、こんなに傍に来るまで気付かなかった自分が情けなかったからだ。
そしてそれ以上に、緩む口元を見られたくなかったから。
今だって、部屋が暗くて本当に良かったと思っている。顔が、耳が熱くて仕方なかった。


「…何しに来たんだよ、こんな時間に…!」

「君に会いたかったから来たに決まってるだろう?つれないな…もっと喜んでくれてもいいと思うんだけど」

「帰って来たばっかで直行しなくていいっての…」

「うん…?よくわかったね。もしかしてユーリ、会いに来てくれた?」

「……寝る前にな。まだそんな経ってねえだろこれ…いなかったから帰って寝てたんだが」

「へえ……」

今日のようにフレンが不在時に部屋を訪ね、置き手紙を見た事は何度もあった。それをいつも持ち帰るわけではなかったが、それでもフレンは気付いていただろう。ユーリとしては特に隠すような事でもないから話しただけだったが、何故かフレンは口元を綻ばせた。
その笑顔の意味がわからずにぼんやりとフレンを見つめるユーリの前で、フレンは傍らの袋から何やら取り出し、テーブルに置いた。

暗闇にもすっかり慣れたユーリの目に映ったものは、美しく装飾されたキャンドルだった。
こんなものを普段使いするような趣味はユーリにはない。下町の住民なら、皆そうだと言っても過言ではないだろう。
怪訝に思いながら黙って見ていると、フレンはそのキャンドルに火を点けた。いつもの頼りない灯りよりも二回りほど大きな炎が揺らめき、部屋を仄かな橙色に染める。

柔らかな光に照らされて、フレンがユーリに微笑んだ。

「なかなか、雰囲気ある感じになったと思わないか?」

「雰囲気ねえ…ま、あったかそうでいいんじゃねえの?」

「それだけ?」

「だけ、ってどういう意味だよ」

「…ユーリ、今夜はどうして僕に会いに行こうと思ったの」

「は……?」

フレンの顔からは笑みが消え、何故か拗ねたように唇を尖らせていた。
機嫌を損ねた理由がわからずに首を捻るユーリの様子に、フレンはわざとらしく溜め息を吐くとゆっくりとベッドへと歩み寄り、そのまま腰掛けると壁にもたれているユーリを振り返った。

「何か理由があったんじゃないのかい」

「…何が聞きたいのか知らねえけど、深い意味なんかない。ただ会いたいと思ったから行っただけだよ……寒いし」

「寒い…?」

「……あー…ったく…!ちょっと、こっち来いよ」

手招きに応じてベッドに乗り上げたフレンの首に腕を回し、ユーリはその身体を強く抱き締めた。

「ユーリ?」

訝しみながらも抱き返すフレンの肩に顔を押し付けると、嗅ぎ慣れた汗の匂いに安堵する。
羞恥心より、早く触れたい、触れて欲しいという欲求を抑えられなくて、ユーリは自分でも驚くほど素直にその欲求をフレンに告げていた。


「寒いから、暖めてもらおうと思ったんだよ……こんなふうに、さ」


既に身体の芯が熱くなり始めている。
耳元で、フレンが喉を鳴らした。

「ユー、リ」

「おまえは…?オレに会いたかったって、そういう事じゃねえの…?」

そう言って耳朶を甘噛みしてやると、不意にフレンの腕が離れた。
すぐに両肩に手が添えられ、ユーリがその動きに従って少しだけ身体をずらすと次の瞬間にはフレンの顔が間近に迫り、瞳を閉じると同時に唇が重ねられた。

「ん……ぅ」

差し込まれた舌に腔内をなぞられて、思わずユーリは背筋を震わせていた。口づけだけで更に身体は熱くなり、この『先』への期待で呼吸が一層荒くなる。
ゆっくりとベッドへ倒れ込みながら、激しさを増すフレンの舌の動きにユーリも応えて自らのそれを絡ませた。

角度を変え、深さを変えて繰り返される口づけは静かな部屋に水音を響かせ、じわじわとユーリの耳を侵してゆく。息苦しささえ快楽に変換されるようで、まずいな、と思う。
でも、まだ足りない。
もどかしさに揺れた腰に気付いたのか、フレンの手がユーリの脇腹をなぞりながら降りて内股を撫で上げた。

やっと唇を離したフレンが、物言いたげにユーリを見下ろしている。そういえば、さっきも何か聞きたそうにしていた。フレンに会いに行った理由がどうとか言っていたが、改めて考えると今日に限って何故、そんな事を確認してきたのだろうか。

「…なあ、今日って何かあるのか」

「やっぱり、何も知らなかったんだね」

そう言ってフレンは残念そうに笑った。拗ねたような様子はもう見られないが、ユーリは今ひとつ納得が行かない。

「フレ…」

「いいんだ。…だって」

「ッあ…!」

中途半端に熱を集めたままの下腹部の中心を撫で上げられ、思わず声を上げた。反らした喉元にフレンが顔を寄せ、直後に感じた小さな痛みにまたユーリが声を上げる。
跡を付けられたと気付いて睨みつけるも、フレンはただ笑っていた。
もう一度名前を呼ぼうとしたが遮られてしまい、軽く触れただけの唇を離して耳元で『可愛い』と囁かれ、さすがに顔が熱くなる。ちょうど大きく揺らいだ炎に照らされて、気恥ずかしさに目を逸らすユーリを抱いてフレンがまた、小さく笑った。


「今日は、どうしてもユーリに会いたかった」

上着を脱がしながら鎖骨の窪みに舌を這わす。
ユーリの唇から吐息が零れた。

「は……ぁ」

「理由はあったけど、もういいんだ」

「ん、ア…っ…それ、さっきも…ッ!」

胸の突起を親指の腹で軽く擦られて肩が跳ねた。

「ユーリも僕に会いたいと思ってくれたなら、それでいい…偶然のほうが嬉しいよ」

「…意味が…」

「今はそれよりも」

するすると素肌を滑り降りた指先が再び触れたその場所は、もう既に先程とは比べものにならないぐらい昂ぶっている。

「あ…………!!」

ベッドが軋み、ユーリの身体が戦慄いた。


「暖めてあげるよ。…僕のことも、暖めてくれるんだろう?」


言葉を返す余裕がない。
ユーリはやや乱暴にフレンの頭を引き寄せると、フレンが自分に付けたのと同じ証をその首筋に残してやった。

――寒さなど、とうに感じてはいなかった。




熱い。
解放出来ない熱が、身体の中に溜まってどうしようもなくなっていた。

両手を重ねてベッドに縫い留められたせいで、ユーリは声を堪えるのに必死だった。
本当は、あまり声を上げたくないのだ。まるで自分のものとは思えない高く甘い響きの嬌声は、いつまでたっても聞き慣れる事などない。
それでも触れられれば結局我慢出来ないから、いつもは口元を覆って誤魔化しているのに今はそれが出来ない。
突き上げられる度に叫び出しそうになるのを奥歯を噛み締めて耐え、幾度も快楽の波をやり過ごし、薄く涙の溜まった瞳で見上げたフレンも切なげに眉を寄せていた。


「声が、聞きたい」

「う、ァ…っ!や…」

「聞かせて…」


声音はあくまでも優しい。
だがフレンは片時もユーリから視線を外すことなく、愛撫の手を止めることもない。常よりも丁寧で的確な責めに追い詰められ、ユーリもいつも以上の快楽に酔っていた。


熱い。
声を、身体に蟠る熱を、全て解放したい。
重なる肌が、互いの吐息が、ひとつになったその場所が、フレンの視線が、何もかも熱い。

薄明かりの中、蒼い筈の瞳が紅く輝いた気がしてユーリは息を呑んだ。
視界の端で揺れた炎を映したのだと気付いて意識をそちらへ向け、フレンから僅かに視線を外した。

次の瞬間、再び揺れた炎が大きく燃え上がって全ての影が歪み、意識を引き戻されてとうとうユーリは堪らず声を上げていた。

一度溢れてしまえば止められない。
抱き竦められて密着した肌が汗で濡れ、断続的に粘り気を帯びた音が耳に入って興奮を煽った。

限界だ、と目で訴える。

振り乱されて頬に張り付いた黒髪ごと掌に包んでフレンがユーリの唇を塞いだ。最奥を穿たれてユーリの背が弓なりに仰け反り、びくりと震えてベッドへと沈み込む。ぐったりと四肢を投げ出し、激しく上下するユーリの胸に額を押し付けフレンも身体を震わせた。



「……聖なる夜、ね…」


ベッドから身を起こし、半分程の長さになったキャンドルをぼんやりと見つめながらユーリが呟いた。

フレンが語った『理由』に、ユーリは複雑な思いだった。
真実か作り話かわからないが、何処かの世界で聖人と呼ばれる人物の誕生を祝う習慣があるらしい。
話の出所は容易に想像できた。本の虫の、あのお姫様だろう。それ自体には別に思うところはない。寧ろ、変わらない彼女を微笑ましくさえ感じていた。

わからないのは一つだけ、昨夜のフレンの態度だ。
会いに行った理由を話す前に見せた、嬉しそうな様子とその直後の拗ねたような顔。その変化の理由がユーリには理解出来ないままだった。
抱かれている最中にそんな事はこれっぽっちも考えなかったが、こうして落ち着くとやはり気になる。


「…なあ、そのなんとか言うやつの誕生日だからって、どうして会いたいとかそういう話になるんだ?」

「お祝いのプレゼントを贈りあって、大切な人と過ごすんだそうだよ。家族とか、…恋人とか」

「ふうん…悪かったな、何もなくて。そんな話は初耳なもんで」

するとフレンはユーリの隣に腰を下ろし、黙ってユーリを抱き寄せた。冷えかけた身体にゆっくりとフレンの体温が伝わり、心地好い。少し強くなった汗の匂いも不快に感じることはなく、ユーリも目を閉じてフレンの言葉を待っていた。


「いいんだ、って言ったろ?確かに初めは少しがっかりしたけど、そんな事を理由にする必要、なかったんだ」

「………」

「ユーリが、ただ僕に会いたいと思ってくれた事のほうが…その偶然がよっぽど嬉しい」

「おまえだってオレに会いたくて来たんだろ?」

「…でも、きっかけがなかったら今夜こうして来る事はなかったかもしれないよ」

「いいんだよ」


フレンが繰り返した言葉をユーリも呟き、フレンを抱き返した。


「だって、おまえはここにいるだろ?」



理由がなくても、逢いたいと思ってくれた気持ちが嬉しい。
逢いたいと思った時に傍にいてくれるのが嬉しい。

それはお互いに言える事で、それだけで充分なのだと思った。

「一応、感謝はしといてやるか…その聖人とやらにさ」


おかげで暖かくなったし、と囁くと、背に回されたフレンの掌がユーリの髪を優しく撫でた後に力強く抱き締めた。

想いの行き先・8


フレンの言った意味を量りかね、ユーリもつい語調が乱暴になる。


「おい、フレン!どうにかってどういう意味だよ?いちいち黙るな!!」

しかし、フレンは動じない。


「先に、君の事が知りたい」

「…オレ?何の話だ」

「君には好きな人はいないの?」

ユーリの眉間に深々と皺が刻まれる。聞いてどうする、と言わんばかりだ。
黙ったままのユーリにフレンは続けて言った。

「悩みの相談に乗ってくれるんだろう?僕の悩みを君はもう知ったんだから、何かアドバイスの一つもしてくれるんだと思ったんだけど」

「おまえ、言ってる事がおかしいぞ。おまえに好きな女がいるのはともかく、何が問題なのかちっともわかんねえままだし、そんなんじゃどうしようもねえだろうが。第一、オレに好きな女がいようがいまいが、何の関係があるんだよ」

「…ユーリは悩んだ事がないのか?」

「……とりあえず、今はそういう話に興味はない」

それは特に意中の相手はいないという事か、と念を押すフレンにユーリが胡乱げな眼差しを向けた。
さすがにこれ以上は聞けそうにない。

「おまえさ、いい加減にしろよ」

ユーリの声に険しさが増した。

「オレは、おまえが一人で何か抱え込んで、それを吐き出して楽になってくれりゃいいと思った。…思ってもない方向の話じゃあったけどな」

フレンが押し黙る。

「結局おまえ、そいつに告白するつもりはあるのか?」

「……え……」

「言うつもりがないなら、『そうか』としかオレは言える事がない。そうじゃないなら…」

頭をがしがしと掻きながら、仕方なさげにユーリが言った。

「そうじゃないなら、…おまえが本気なら、応援はしてやる」

「応援……」

「おまえが惚れてそこまでマジになるんなら、まあそれなりの女なんだろ…オレがどうこう言えることじゃねえよ」

突き放すような言い方に、フレンは胸の奥底がちりちりと痛むのを感じていた。どこを否定して、どう説明すればいいのか。全てと言われてしまえばそうなのだが、ではそれを知ってなお、ユーリは自分を『応援』すると言うだろうか。

「応援、ね…具体的には何をしてくれるの」

「はあ…?」

「その人に僕の事を売り込んでくれるとでも?ただ頑張れ、って言うだけじゃないだろうね。そもそも、頑張ってどうにかなるならもっと早く伝えてる。それが出来ないから苦しんでるんじゃないか!!」

声を荒げるフレンに、ユーリは驚きを隠せない。唖然とした後、口を開きかけたところで更にフレンが畳み掛けた。

「まず、根本から違う。その人は女性じゃない。女性だったらまだ、こんなに悩んだりしなかった…!」

「は…はあ!?おま、…え、マジ…?」

「冗談でこんな事が言えると思ってるのか」

う、と小さく唸って目を逸らしたユーリの口元が何やらもごもごと動いている。必死で言葉を探している様子だが、表情が心なしか引き攣っていた。無理もない。

「あー…まあ、そりゃ確かに障害ってか何つーか…悩むわな…」

「…否定はしないんだね」

「否定?何を…ああ、相手が女じゃないってことか?…そういう事もあるんだろ、オレにゃよくわからねえが…ていうか、オレも知ってる奴なんだよな…」

「詮索する必要はないから」

「いや、別に知りたくねえし。本人に会った時に複雑だからな」

「君もよく知ってる人なんだ」

「…いや、だから」

「知りたくないのか?」

「詮索すんなって言ったの、おまえだろ?…何が言いたいんだ、フレン」

ユーリの瞳が眇められた。
筋の通らない事を言っているのは理解している。
だが、苛立ちを抑えられなかった。
ほんの数時間前まで、ユーリ本人に自分の気持ちを知ってもらおう等とは思っていなかった筈なのに、どうしてこんなことに。

言えばどうなるか、散々考えたじゃないか――

そう、まず受け入れられないだろう。
先程のユーリの言葉は、あくまでも自分が対象だとは考えていない『第三者』としての考えだ。同性に恋愛感情を抱くこと、それそのものを否定はしない。だが、果たして『理解』しているのかどうかと考えれば疑問を感じる。
動揺し、フレンへの返答に詰まったのがいい証拠だ。

では、受け入れられなかった場合に自分は本当に諦められるのか。

これもまた、つい先程まではそのつもりだったのだ。だが本当かどうかは別にして、とりあえずユーリには想う相手はいないらしい。
勿論ユーリが対象とするのは女性なのだろうが、フレンが『自分が好きな相手は男性だ』と告げてもユーリはそれを頭ごなしに否定はしなかった。当惑してはいるようだが、嫌悪するまでではないように思えた。

なら、可能性はあるのではないか。
フレンの想う『対象』を知っても、理解だけはしてくれるかもしれない。そう思ってしまった。
何も、今すぐ受け入れられなくてもいい。ほんの僅かな可能性だとしても、それを見付けてしまった以上今すぐに諦めたくはない、という気持ちが産まれてしまっていた。
頭の片隅で、心の奥底で今だに『やめておけ』と訴える声を押さえ込んで唇を噛み締め、フレンはユーリを真正面から見返した。

「…なんだよ、フレン」

「僕の、好きな人は」

「おい…」


目の前で困っている誰かを放っておけない、とても優しい人で

「……フレン」

そのせいで誤解されることも多いのに、本人はそんなことはおくびにも出さなくて

「……」


フレンの言葉を、ユーリは黙って聞いている。一つ一つ、確かめるように綴られるのは紛れも無く真実の想いだ。

まだ足りない。
まだ、気付いてくれない。

どれだけ自分がユーリを見続けて来たのか、どんな思いで今ここにいるのか。
いつになったら、わかってくれるのか。
それがいかに自分勝手な考えであるのかと言う事など、とうに頭の中にはない。
熱が上がっていく。もう、止まらなかった。


「ずっと一緒だと思ってた。一緒にいたかったんだ。でも、それを望んでないんだ。だから、別の場所から力になれたらいいと思ってた。離れていても、それで構わないと…大丈夫だと思ってたのに……!!」

「お…おい、ちょっと落ち着けよ」

主語のない、一方的なフレンの語りを制止しようとユーリが手を伸ばした。辛そうに顔を伏せてしまったフレンの肩にその手が触れ、顔を上げたフレンと目が合った瞬間、自分を見るフレンの瞳の中に感じた何か―――違和感とでも言えばいいのか。
とにかく、反射的にユーリはフレンの肩に置いた手を引いた。

正確には、引こうとした。

「…………!?」

ところが戻しかけた手首をしっかりと掴まれ、ややつんのめりながらもユーリは何とかテーブルにもう片方の手をつき、倒れ込むのだけは耐えた。
自分の左手首を握るフレンの右手を見遣り、何事かとフレンに視線を戻せば相変わらずの瞳にユーリは思わず息を呑んだ。
澄んだ青空のようだと思っていた輝きは薄らと曇り、今にも泣き出しそうにも見えて、言葉が出なかった。

「…ユーリ」

「な…何だよ」

「僕の好きな人は」

「い…いや、言わなくていいって…!」

慌てて腕を振り解こうとするユーリを、フレンは力任せに引き寄せた。ユーリが小さく声を上げたような気もしたが、テーブルの上でぶつかり合った食器がやかましい音を立てたせいでそれは掻き消された。

目の前には、驚きに目を見張るユーリの顔がある。
あとほんの少しだけ身を乗り出せば鼻先が触れ、そして次に触れるものは何かを考えた瞬間、心臓が大きく跳ね上がるのを感じた。


「…僕の好きな人はね、ユーリ」

「う…近ぇな、離れろよ!」

「嫌だよ」

「なんで…!!」

「好きな人には、近くで触れていたいから」


ユーリが顔色を変えた。
この状況で、フレンの台詞を理解出来ない訳がない。

「僕の好きな人は、今、僕の目の前にいる」

「……………!!」


振り上げられようとしたユーリの右手も捕らえた。
恐らくは、フレンを突き飛ばして逃れる為だったのだろう。その手首も勢い良く引くと、思った通り鼻先が触れるか触れないかというところまで距離が縮んだ。

咄嗟に顔を引いたユーリを追うように、フレンは最後の一歩を踏み出し、言った。


「…好きだ」


そのまま唇を重ね、ユーリが発しようとした声ごと奪うかのように強く、深く口づけていた。



ーーーーー
続く
▼追記

重なる想い、ひとつの願い

「寒いね…」

「……そうだな」

「もう一枚ぐらい、何か羽織るものを持って来ればよかったかな…毛布とか」

「……そうかもな」

「わかった、取りに行っ…」

「うわ、ちょっと待て離れるな……!!」

「わあ!?」

ベンチから立ち上がりかけたフレンの腕にユーリが縋り付き、白いダウンに指を食い込ませた。驚いて中途半端な姿勢のまま見下ろした先には、ユーリがやはり驚いた表情で固まっていた。


「…………どうしたの」

「う、あ、…あーその、とりあえず座れ」

「…?」

言われるまま、フレンは再びベンチに腰を下ろした。離れて行くユーリの腕に少しばかりの名残惜しさを感じて、その動きをじっと見つめる。厚手のジャケットのポケットに無造作に両手を突っ込み、ユーリは自らの足元に視線を落とした。
やはり寒いのか、一度小さく震えて膝を身体に引き寄せる様子にフレンがユーリの顔を覗き込む。気遣わし気な眼差しに気付いてちらりとフレンを見たユーリだが、またすぐに俯いてしまった。
長い髪が遅れて流れ落ち、表情を見ることが出来ない。そうでなくとも僅かな月明かりが照らすだけの今、黙り込まれてしまうと何もわからなくてほんの少しだけ、不安になる。

吐き出される白い息だけが僅かに見えて、すぐに消えた。


「ユーリ…?」

フレンが更に顔を寄せると、ユーリがのろのろとフレンを見上げた。


「…寒いんだよ」

「うん?だからちょっと待ってて…」

「…このままでいい…」

自分の腕にかかる重さが増して、触れている部分からゆっくりと熱が伝わるような、そんな気がする。離れるな、と言われた意味を理解してフレンが微笑むと、ユーリはふて腐れたように目を逸らしてしまった。


素直じゃない。
でも、それが堪らなく愛しくて仕方ない。
ユーリのこんな表情が見られるなら、本来の目的さえどうでもいいと思えた。

ユーリの左ポケットに自分の右手を滑り込ませて指を絡ませてみる。
吐き出される溜め息が白く霞んで消えていったが、振りほどかれはしなかった。
フレンもユーリに寄り掛かり、夜空を仰いで呟いていた。


「……寒いね」

「そうだな」

「でも、こうしていると暖かいね」

「…そうだな」

「もっとくっついてくれてもいいよ?」


調子に乗るな、と言ったユーリの表情はよく見えなかったが、声は穏やかだった。



流星群が見られるらしい、とフレンが知ったのは少し前の事だった。

はしゃいでいるクラスメイトに何事かと聞いてみると、どうやら今回は観測をするのに数年に一度の好条件らしい。
家族や友人、中には恋人と。
誰と一緒にこの天体ショーを観るかという話題でそれなりに賑わう昼休み、フレンはユーリを誘った。他に声を掛ける相手などいないが、ユーリは寒いのが苦手だ。だから半分以上ダメ元だったのに、意外にもユーリからはあっさりとOKの返事を貰ったものだから驚いた。
何か文句があるか、と頬を膨らますユーリに『そんな事はない』と慌てて否定し、待ち合わせの約束をして迎えた今夜。
フレンの住むアパートから少し離れた公園のベンチに並んで座り、時折空を見上げるユーリはやはり寒そうだったが、フレンが想像していたほど不満そうな様子は見られなかった。

最初はそれがどうしてなのか不思議で仕方なかったが、もう、どうでもいい。
流星を観るという目的すらぼやけてしまったかのようだった。


「ユーリ…」

学校では纏めている髪の毛も今はそのまま下ろしている。同じ色のマフラーに無造作に包まれた髪を、フレンは繋いでいない左手でそっと掬い上げて鼻先を擦り寄せた。自然、ユーリの身体を覆うような体勢になり、顔を上げたユーリと視線が重なる。

僅かに眉を寄せたユーリの、その額にキスをした。


「ん……」


仕方なさそうに、しかしそれでも大人しく瞳を閉じたユーリの頬に、長い髪を絡めたままの指を添えてそっとなぞりながらフレンは更に距離を詰めた。

二度、三度。

二人にしか聴こえない小さな音を立てて繰り返されるキスに、ユーリの身体がふるり、と揺れた。


「寒い……?」

「…………」


ユーリは答えない。
寒さで震えたのではない事は、間近で触れているフレンにこそよくわかっている。敢えて聞いて、その反応が見たいだけだった。
ユーリもわかっているから何も言わず、フレンを見上げる瞳にはどこか拗ねたような、それでいて甘えるような、そんな感情が揺れているように見えた。

こんなユーリを知るのは自分だけだとフレンは思っている。ユーリ本人でさえ気付いていないのかもしれない。だから、嬉しくてしょうがなくて、つい口元が綻ぶのを抑えられない。

それを見てますますむっとしたユーリが何か言おうと開きかけた唇にフレンが自らの唇を重ねようとした、その時だった。


「あ…!」


小さく、だがはっきりと声を上げたユーリが見ているのは既にフレンではなかった。

「…どうしたの」

不機嫌を隠そうともせずにフレンが尋ねても、ユーリはそれを気にする素振りもない。上がりかけた『熱』を持て余しているのは、どうやらフレンだけのようだ。
先程までの様子はどこへやら、ユーリはやや興奮気味に言った。


「見えた!結構デカかったぜ!」

「何が……あ、もしかして」

「おまえ…もしかして、じゃねえだろ。そもそもこれを観るためにオレのこと誘ったんじゃねえの」

「そうだけど…でも今は」

「お、また…今度はちょっと小さかったな……フレン、とりあえずどけ。見えねえだろ」

「………………」


フレンが渋々ユーリから身体を離し、再び肩を並べて座り直した。
横目で見たユーリは驚く程に真剣な眼差しで夜空を見上げ、流星を逃すまいとしているようだった。

ついさっきまで、あの瞳は自分だけを映していた筈なのに―――

くだらない。
馬鹿馬鹿しい。
誘ったのは自分なのに。

「…は…」

胸の内を占めた考えがあまりに情けなくて、つい吐き出した息が思ったよりも広く辺りを白く包む。頬を撫で上げる微かな温もりが通り過ぎると、余計に真冬の空気が冷たく感じられて仕方ない。

(流れ星に嫉妬なんて…どうしようもないな、僕は…)

ユーリと一緒に星を観る事が出来ればそれで良かったんじゃないのか、と思っても、一度ざわついた心はなかなか収まってくれそうになかった。

フレンは軽く頭を振り、俯いていた顔を上げるとユーリと同じように空を仰いだ。少しの間、黙ってそうしていたが一つも星は流れない。
雲のない『晴天』で、下弦の月が仄かに照らす夜ではあるが辺りはそれほど明るくはない。周囲の民家の灯りもほとんどないし、街灯も邪魔にはならない程度だ。防犯上どうかと思わなくはないが、今は考えない事にした。

つまり、ただの住宅街からの観測にしてはそこそこの好条件なのだ。事前に方角も確認した。間違いない。ユーリは実際に流星を見たのだから。


「…思ったより、流れないものだね」

「んー…そうだな…。今回のはなんか、ちょっと物足りない感じだな」

「今回?」

ユーリを誘ったのは今日が初めてだったし、今までにユーリからどこかへ星を観に行ったという話を聞いた記憶もない。何の事かと首を傾げるフレンに、ユーリは星空を見上げたまま話し始めた。


「ガキの頃に観たのがさ、凄かったんだよ。十年ぐらい前だったか…。それ以来『流星群』って聞くと妙にわくわくするのは確かだな。別に、普段は星だの星座だの気にしてねえんだけど」

「十年前…小学生か。僕はちょっと、記憶にないな…」

「そっか。…まあそれで、その時のはほんとに凄くて、流れ星、ってあっさり言えるようなもんじゃなくてさ」


十年前のその夜、幼いユーリは今日と同じように夜空を見ていたらしい。
季節は正反対だったが、夜風が涼しくて暑さは気にならなかったと言う。


最初に現れた流星に驚いて目を見張った。想像していたのは銀色に尾を引いて消えてゆく『流れ星』だったが、それはまるで火の玉のように赤く、最期の瞬間に鮮烈な輝きをユーリの瞳に焼き付けて漆黒の中に吸い込まれて行った。


息を呑む間に、もう一つ。

更に一つ。


文字通り『燃え尽きて』ゆく星を、ただひたすら数えていた。
幼かった夏の夜の、忘れ難い思い出。


「…音まで聴こえた気がした。流れる度に、ひゅん、ひゅん…って。いつか、また見たいと思ってた」

「そうなんだ…だから今日は何だか乗り気だったんだね。寒いのに意外だと思ってたんだ。でも…」

フレンは未だ流星を見ていない。先程から空を見つめたままのユーリの様子にも変化はない。
やはり、市街地からではこの程度なのだろうか。


「…ごめん、ユーリ」

「は?何で謝るんだよ。て言うか、何に対して謝ってんだ」

「だって、君の記憶にあるような流星は見られそうにないから。なんだか申し訳ない気がして来た」

「何言ってんだ?おまえのせいでも何でもないだろうが、そんなの。規模が違うんだろ……あ!」

「え、見えたのか……!」

ユーリの視線を追ったフレンが見上げた先で、白く長い尾を引いて星が流れた。一瞬で消えたその場所からそう離れていないところにまた、一つ。

「お…、もしかしてやっとピークの時間か?」

「そう、みたいだ」


二つ、三つ。


数分に一つのペースではあるが確実に数を増した流星を見逃すまいと、ただひたすらに二人は夜空を見つめ続けていた。

互いに無言のまま、ゆっくりと、静かに時間が流れていく。そう、この瞬間を共有したかった。

赤く輝いて燃え尽きるようなものではない。
でも、ユーリの言う『音が聴こえた気がした』の意味はフレンにも理解出来る。
瞬きをする間に闇に吸い込まれてゆく軌跡はどこか儚く、いっそ切なさすら感じさせた。

「願い事をする余裕なんか、全然ないね…」

「願い事?相変わらずそういうの好きだな、おまえ」

「む…別にいいだろ。ユーリは何かないの、叶えて欲しいことは」

「んー、三回唱える余裕なさそうだけどなあ」

「え、あるのか!?」

「おまえ…聞いといてそれかよ」

「いや…普通に返されると思わなかったから」

少々呆気に取られたフレンがまじまじとユーリを見ると、意外にもユーリはしっかりとフレンを見つめ返した。こういう場合、決まり悪そうに視線を逸らすのが常なのに、と思わずにいられない。
更にユーリが身を乗り出すようにしてきて、フレンも左手をその背に回して引き寄せた。ひんやりと冷たい背中をそっと撫で、ポケットの中で右手を握り直すと、不意にユーリが小さく呟いた。


「…聞かねえの?」

何を、と尋ねることはしなかった。

「聞いたら、教えてくれるのかな」

「さあ?…やっぱ別にいいか、半分叶ってるようなもんだしなあ」

「…じゃあ、残りの半分を確認する為に口に出してみるっていうのはどうかな。叶うかもしれないよ」

「オレだけ言うのか?なんか不公平じゃねぇの、それ」

「そう?なら僕も一緒に言うよ」

「しょーがねえなあ…」


ぐっと伸び上がったユーリが、フレンの耳元に唇を寄せる。
ユーリの髪に鼻先を擽られながら、フレンはユーリの耳朶に軽く唇で触れた。

「おまっ…!フライングすんなよ!」

「はは、ごめん。つい…。それじゃ、せーの、で一緒に言おう」

「ったく……」


一呼吸置いて、同時に言った。

「「せーの!」」


それぞれに囁かれた言葉に、二人は思わず吹き出していた。
ある意味想像通りで意外性のない、だが何度でも聞きたい。
確かに、半分叶っているのかもしれない。でもこの先もずっとそうであるように、と思わずにいられない切実な『願い』だった。


「なんだかなあ…」

「僕はとても嬉しいよ。…ユーリは違うの?」

「…ま、悪い気はしないけど、さ」


そう言って笑ったユーリの瞳が間近に迫り、唇が重ねられた。一瞬驚いたものの、フレンもユーリの背中に回した腕と繋いだ掌に力を込めてその身体を抱き締める。
自らの胸にかかる重さと温もりが心地好かった。


「…お預けのままだったからな」

唇を離したユーリの言葉に苦笑して、もう一度フレンはユーリにキスをした。


『また、一緒に流星を探したい』


重なる想いを、夜空に託した。
▼追記

想いの行き先・7

再び訪れた沈黙に、しかし今度はユーリのほうが居た堪れない気持ちになっていた。

あまりにも予想外の答えに上手い切り返しが出来なかったのだ。
言葉を返すタイミングを逸してしまい、どうしたものか、と考えてフレンを見る。フレンの表情は真剣そのもので、真っすぐに自分を見つめ返す瞳を正視することが何故か辛かった。

何故か。

それは、ここが酒の席でもなく、かと言ってどちらかの部屋で寛いでいるという訳でもない、という状況のせいに他ならない。好いた相手がどうだなどという話が出るとは、想像だにしなかった。
気の置けない友人達と酒を酌み交わしながら話が艶っぽい方向に行くとか、何も考えずただ思い出話に花が咲いたとか、そういう流れで派生するのならまだ理解できた。揶揄うことも、興味がなければ聞き流すことも可能だ。だが、今はそのどちらもとても出来そうにない。

それでも、どうにも話の内容が場にそぐわないという感じしかしないからユーリは困惑しているのだった。

もしかして、騎士団の内部で問題でもあるのか。それとも、実は討伐に赴くにあたって何か気掛かりでもあるのか―――
聞いたところで、自分が解決出来ることではないかもしれない。むしろ、手助け出来ない可能性のほうが高いだろう。だが、話せば心が軽くなることだってある。自分にはわからずとも、フレンなりに解決の糸口を見つけ出すきっかけになればそれでいいと思った。

『立場』が邪魔をして、腹を割って話せる相手がいない――とまでは言わないが、愚痴というものは丸っきり違う場所にいる相手にだからこそ言えるものではないか。同じ枠組みの中にいる人間同士で愚痴を言い合ったところで、傷の舐め合いにしかならないと考えていた。
誰かに愚痴をこぼしたくともそれは出来ず、一人で溜め込むぐらいなら吐き出して気楽になって欲しい。そのほうが良い結果になると思ったからこそ、強引とも取れる勢いでフレンに迫った……のだったが。


(……失敗したかな、こりゃ……)


もう一度、上目遣いに見遣ったフレンはやはり真剣な眼差しのままだった。




「…どうしたんだい、ユーリ。話せと言ったのは君だろう。聞いてくれるんじゃなかったのか?」

「え、あ、ああ」

顔を上げたユーリが、曖昧に返事をした。
思ったよりも冷静に言うことができたのは、ユーリが自分の言葉を茶化さなかったからだろうか、とフレンは思っていた。

『はあ?』とか『何を言い出すかと思えば…』などと呆れ顔で言いながら肩を竦めるユーリを想像していたが、どうやらユーリは自分の『告白』を一応は真面目に聞いてくれるつもりらしい。軽口を叩いて来ないのは、困惑もあるのだろうが自分の真剣さが伝わったからだろう。

とは言え、ここからどうやって話を進めればいいのかわからないという意味では、フレンのほうもユーリと大して変わらない。話すとは言ったが、『どこまで』話したものかとまだ迷っていた。目の前のユーリが、落ち着かない様子でこちらを見る度に心が揺れる。もし本当に最後まで気持ちを伝えてしまったら、ユーリがどんな目で自分を見るのか。考えたら少し、怖くなった。


「好きな人、か。んで、なんだってそんなに悩んでんだ。何か問題でもあんのかよ」

不意に問われて、思わずフレンは眉を寄せた。問題ならある。大ありだ。明らかにフレンの表情が変わったのを見たユーリが、ばつが悪そうに頬を掻いた。


「ああ…その、悪かった。問題ありだから悩んでんだよな…あー…なんだ、何が問題なんだよ?」

「…何でそんな、歯切れが悪いんだ」

「いや、まさかおまえの口からそういう話が出るとは思わねえし、意外っつうか何つうか」

「意外?僕が誰かを好きになるのがそんなに意外だって言うのか」

「そうは言ってねえだろ。…何イラついてんだよ」

「……………」


自分を怪訝そうに見ているユーリから視線を外し、フレンは軽く唇を噛んだ。
ユーリは、想われているのがまさか自分だとは露ほども思っていない。当然の事だし、フレン自身ユーリに知られたいと思っていた訳ではなかった。だが、いざ話す気になってしまうと今度は『気付いてほしい』という思いが生まれてしまって、どうしようもない。


(…なんて我儘なんだ、僕は…)


膝の上で握り締めた掌がじっとりと汗ばんで不快だった。部屋を満たす重苦しい空気も、未だに核心を切り出す事の出来ない自分も、それを強要したユーリのことさえ、何もかもが。


「ユーリ…」

思わず呟いた名前に、ユーリ本人は返事をせずにフレンを見て、深々と息を吐いた。


「…で、好きな女がいるのはわかった。それの何がそんなに問題なんだ?今のおまえを蹴るような女もいないだろ」

「そんな事はないよ。それに…多分、迷惑だと…思う」

「立場の違いとかか?…相手、貴族かよ…まあ、それでもおまえが惚れるぐらいなら」

「違うよ。立場は…どうだろうな、わからない…」

「ん…?貴族じゃないのか?だったら尚更、気にする事なんかねえだろ。立場って、おまえより上っつったら」

言葉を切ったユーリが神妙な面持ちで身を乗り出し、何事かと首を傾げたフレンにやや硬い口調である人物の名前を告げた。
一瞬、意味が理解出来ずに硬直したフレンだったが、見る間にその顔を赤くすると勢いよく立ち上がり…


「違う!!!」

「うぉ」

全力で以ってユーリの言葉を否定した。
とんでもない。よりによって。どうして。
言いたい事は色々とあったがすぐに出て来ない。フレンが両手を叩きつけたテーブルの上で賑やかな音を立てた食器を慌てて押さえながら自分を見上げるユーリの表情が、何とも言えず気まずかった。


「な…なんで、そこで彼女の名前が出て来るんだ!!」

「いや、立場云々でぱっと出たのがエステルだってだけで」

「それにしたって彼女じゃないだろう!!」

「他に思い付かなかったんだから仕方ねぇだろ!何ムキになってんだよ!わかったから座れ!」

「全く……」

「こっちのセリフだろ…」


やや乱暴に座り直したフレンがグラスの水を呷り、ユーリはもう何度目か知れない溜め息を零す。
遅々として進まない『本題』に焦れているのは、二人とも同じだった。


「ったく…エステルじゃないなら誰なんだよ?ていうか、もしかしてそもそもオレの知ってる奴なんじゃないのか」

「エステリーゼ様は……!」

「…エステルがどうした」

「何でも、ない」

「………」


自分ではなくて、むしろ。

言いかけてフレンはその言葉を飲み込み、『先』を考えないようにした。考えてしまえば、何も言えなくなってしまう。

「…それより」

「あ?」

「どうして、君が知ってる相手だと思うんだ」

「オレの知らないやつなら、そんなに言いにくそうにしないんじゃないかって思ったんだが…違うか?」

「……なるほどね。確かに、君が『よく知っている』人ではあるかな…」

「はあ…やっぱそうなのか。だったら話は別だ。言いたくなきゃ無理に相手のことまで聞かねえよ」

「…え?」

ユーリの言葉にフレンは少しばかり間の抜けた返事をしてしまった。
あれだけ話せと言っておいて、なぜ今更そんなことを。
フレンの表情から、言いたい事を察したのだろう。ユーリが腕を組み直し、やや疲れたように答えた。


「誰か、ってことまで言わなくていいって意味だ。聞いたところで多分、どうしようもねえし」

「さんざん話せって言っておいて、その言い草はどうなんだ」

「だから!何で悩んでんのかだけ言えっての!話が進まねえだろ!!」

「……言ったらどうにかしてくれるのか」

ユーリの瞳が微かに揺れる。
それはフレン自身も驚くほど、低い声だった。


話が進まずに苛立っているのは、やはりフレンのほうなのかも知れない。
そもそも話すつもりではなかった。
それでも決意した以上、どうやって想いを伝えればいいかと真剣に考えていたのに、どうも話が横道に逸れてばかりで調子が狂いっぱなしだ。
ユーリが色恋沙汰の話を敢えて避けているようにすら感じられる。実際、好んでするような話でもないのだろう。

ふと、ユーリには誰か、想う相手はいないのかと思った。

よくよく考えてみれば、今までユーリとそういった話をしたことはなかったように思う。特にフレンがユーリへの、単なる友情を越えた『想い』を自覚してからはとにかくそれを隠す事に必死で、普通ならまず気になるであろう相手――ユーリの気持ちを確かめようなどとは思いもしなかった。

だが一度気になってしまうと、もう駄目だった。
ユーリへの想いを自覚した時と同様、今度はユーリが自分をどう思うか、その事が一気にフレンの思考を侵食してゆく。いや、自分をどう思うかはとりあえず置いておくとして、まずはユーリにこそ『想い人』がいるのかどうか、それが知りたい。
自分の気持ちを伝えるのはそれからでいい。
もし、ユーリに誰か好きな人がいるなら、その時は…


(その時は、この想いはずっと、秘めたままで)


余計な事を言って関係が気まずくなるより、そのほうが耐えられる気がした。




ーーーーー
続く
▼追記

ただ一人のためだけに・12

続きです。





「精霊魔術の研究が進んでるんだ」


その日の晩、食事を終えて部屋に戻って来たフレンに昼の事を尋ねるとこんな答えが返って来た。
まあ、ある程度は予想出来たことだ。


やけに広い部屋にあるにしては、控えめな大きさに感じるテーブルに向かい合って座る。隣の寝室にあるベッドはやたらでかいってのに、この違いは何なのかと思って聞いてみた事があるが、返って来た答えは『どうせ来客も殆どないし』だった。

私室だから、自分一人が使うのに不便がなければそれでいい、ってのはまあ、そうだよな。オレが来てからはこのテーブルで一緒にメシ食ったりしてっから、正直ちょっと狭いと感じる事もある。食器がさ、並びきらねえんだよ。
でもフレンは『これぐらいのほうが顔がちゃんと見える』とか何とか…そういう事を唐突に言う。すっかり調子と余裕を取り戻しやがって、また振り回されてる自分がいる。だいぶ慣れたつもりだったのに、やっぱり調子が狂うんだ。

そんなオレを見る度に嬉しそうに笑うフレンに、ますます複雑な気分になる。常に精神的優位に立たれてるような気がして、面白くない。
…仕方ないだろ。どういう関係になろうが、ヤなもんはヤなんだよ!こんな事を気にする自分が嫌なんだ。むしろ、こうなる前はいちいちそんな、気にしてなかったように思うんだが…。

そこへ来て、昼のアレだ。手合わせに勝って気分が良かったのなんか、吹っ飛んじまったよ。
…ほんと、なんでこんな事気にしてんだかな、オレ…


とりあえず、どうして精霊魔術なんてものを研究してるか、って話だ。

以前、オレ達は術技を使うために必要な魔導器…というより、魔核を全て精霊へと変化させた。必要なことだったんだ。その事自体は別に後悔してない。
派手な属性効果がなくたって、戦う事は出来る。そもそも、みんながみんな魔導器を持ってたわけじゃないからな。己の身一つで戦うやつならごまんといたさ。

不便は多くなったが、それなりになんとかなるもんだ。機械の動力なんかも少しずつ新しい技術が開発されてるみたいだ。いいことだと思うぜ。
だが、一つだけ…と言うとなんだが、使えなくなった影響が余りにも大きいものがある。

治癒術だ。

術士の力量にもよるが、怪我をすぐに治すことの出来る治癒術が使えないというのは、特にオレやフレンのように戦闘の機会がある人間にはかなり厳しい。怪我をしないように立ち回るったって、不測の事態ってのはどうしてもあるもんだ。

そう、ちょうど今日の昼の出来事みたいにな。

まさかいきなり魔神剣をかまされるとは思わなかったオレは、なんとか直撃は免れたもののそりゃあもう、いろんな意味で衝撃を受けた。フレンのやつ、いつの間にそんな鍛練してたんだか知らねえが…なんか悔しいだろ?
あの後、少しオレも刀を振るってみたが衝撃波を出す事は出来なかった。まあ…そりゃそうか。
更に、フレンは治癒術を使って見せた。
…どういう事なんだ、これ…


「…そんなに意外かな」

「いろんな意味でな。精霊魔術の研究してるのは知ってたが、まさか実用化されてるとは思ってなかったぜ」

「使えるようになった人間はまだごく少数なんだ。威力や効果も安定しないし、まだまだ実用的とは言えないよ。…いろんな意味、ってどういうことかな」

「いや、さすが騎士団長様は勉強熱心だと思ってさ。書類溜めまくってたくせにそういう事はしっかりやってんだなあと」

「そういう、って…」

「ま、体動かすほうが性に合ってるよなおまえも。書類仕事なんて後からどうとでもなるもんな、実際ソディアやらが処理してたわけだし?まさか一日中机に座ってボケッとしてたわけでもねえんだろ、だから」

「ちょっ…と、何言ってっていうか、どうして不機嫌になってるんだ」

「不機嫌?」


不機嫌そうに見えるのか。…不機嫌、なあ。

オレは元々、術のほうはさっぱりだ。素質がどうだか知らないが、勉強する気もなかった。使えればよかったと思う事はなくもないが、今でも改めて勉強し直したいとは思わない。…なんか、確実に昔より習得すんの難しそうだしな。

そんな事を考えながら、顔を上げてふとフレンを見る。それこそこちらの機嫌を伺うような表情でじっと見つめられて、何だか居心地が悪い。


「…なんだよ」

「それはこちらの台詞だよ。僕が魔神剣を使ったの、そんなに気に入らなかった?」

「べっ…!つに、そういうわけじゃねえよ!」

一瞬驚いた後、フレンは急ににやにやしだした。
やべ、悔しがってるのバレたか、これ…ったく!


「いいじゃないか、手合わせはユーリが勝ったんだから。ほんとは基礎ぐらい教えてあげたかったけど、必要なさそうだね」

「何笑ってんだ…必要になるかもしれない、って言ったのはどこのどいつだよ」

「あれ、教えて欲しいのかい?珍しいね、ユーリがこんなに勉強熱心だなんて」

「誰が術のほうだっつったよ。技のほうだ、技!実技!そっちならまあ、付き合ってやらないこともないぜ」

「だめだよ、前とは基礎理論体系が全く違うんだ。きちんとその辺りを理解してからじゃなきゃ無理だね」

「じゃあ別にいいわ。どうせ術は昔から使えなかったし、今更…」

「ユーリ」

「ん?何だよ…」


立ち上がってオレの横まで来たフレンに向き直る。少しの間そのままじっとオレを見下ろしていたフレンだったが、黙って手を伸ばすとそっとオレの前髪を掻き上げ、額に指で触れた。

…何故か『触るな』と言う気にはならなかった。


「痕が、残ってるね」

「わざわざそうやらなきゃ見えないぐらいの痕なんか、気にする必要ないだろ」

オレの言葉にフレンはふるふると首を振り、親指で傷痕に触れながら残りの指を髪に絡ませてきた。…やっぱり、触らせないほうが良かったかもしれない。何でって、何となくわかるだろ、この後のパターンがさ…はあ。

額の傷痕は、前にここで『仕事』をした時についたものだ。普段は前髪で隠れてるし、こうして見たところですぐには分からないぐらい小さい。オレは全く気にしていないし、誰かに気付かれた事もない。
気にしてるのはフレンぐらいだ。

気にするなと言っても無理なんだろうが、そう言うしかない。
何故なら…


「僕のせいで、君を危険な目に遭わせた」

「…あのなあ…」

予想通りの言葉に溜め息混じりで言うオレを見るフレンは真剣な様子で、何を言いたいのかは何となく分からないでもない。

「いつまでも気にされるほうが嫌なんだって言ってるだろ。おまえ、逆にオレがそういうのを会う度いちいち言ったらどうなんだよ」

「…申し訳ない気持ちにはなるね」

「だろ?わかってんなら言うな。それに、オレとしちゃもっと別の事を気にしてもらいたいね」

「別の事?」

「危険な目がどうこう言うんなら、そもそもオレがおまえを手伝わなきゃならないような状況を作んなきゃいいだろ。…前の時はともかく、今回はおまえのせいでオレはこんな事してるんだしな。それに、治せるんなら自分が怪我させてもいいってのか?なんか違うだろ、それ」

「………ごめん」

「う…ま、まあもういいけどな。だいたい、なんだって急に傷の話になるんだ。話の流れが全く分からねえんだけど。…いい加減手ぇ退けろよ」

「術を学ぶ学ばない、って話をしてたろう?あと、僕がいつそれを身につけたとか」


手を退けろ、というオレの言葉を無視し、額に触れたままフレンが身体を屈めた。
顔が近付いて反射的に身を引こうとしたが、テーブルに背中が当たって逃げられない。テーブルとフレンに挟まれるような格好だ。

…あー、ヤバいなこの体勢。
やっぱりこうなるのか…いや、でもここで流されたら負けだ。何が負けって言われると答えにくいが、とにかく負けなんだ!
フレンを押しのけようと腕を突っ張ると、手首を取られて余計に距離が縮まった。振りほどけない力の差に苛つく。腕力はフレンのほうが上な事ぐらい分かりきってるってのに、どうして…。


「ちょ…離れろって!わけわかんねえよ!」

「君こそ、どうしてそんなに嫌がるんだ。恥ずかしいにしたっていつもこうだと、さすがに自信をなくすんだけど」

「自信?何の自信だ」

「君が僕の恋人で、ちゃんと僕を好きだって事に」

「は!?いや、だから何でそんな話に……っ!!」


フレンの顔が更に近付いて、思わず身体を固くしたオレの様子に苦笑したフレンの唇が、額の傷に触れた。

「……っ」

「…よく、『これぐらい、舐めときゃ治る』なんて言うけど」

「な…ん、く、擽ってえな!ほんとに舐めるなよ!」

「実際はそんな訳にいかない。あの時、本当に後悔したんだ。自分が治癒術を使えない事に…」

「………」

「だから、あの後で必死になって勉強し直したんだ。せめて初歩ぐらいは習得して、次に君が来たらこの傷を少しでも綺麗にしたいと思ってたのに」


そう言ってやっと顔を離した…と思ったらすぐに抱き締められて、もう怒る気も失せた。
同時に、何だかもやもやとしていた感情も収まっていくような、そんな感じがする。

溜め息を零したら、フレンの腕に少しだけ力が込められた。


「溜め息を吐きたいのはこっちだよ、全く…。そう思って待ってたのに君はちっとも来てくれないし、もう怪我そのものは完全に治ってしまっているから痕を消す事も出来ない」

「またその話かよ!もういいだろ、それに気にすんなって何べん言わせりゃ気が済むんだよおまえは。そんなにオレに謝らせたいのか?」

「まさか。謝らないといけないのは僕のほうだ。本当に…いろいろとごめん」

「だからもう…」

「だから、治癒術を身につけて技も取り戻したかった。君のためにも、自分自身のためにも」

「わかった、わかったよ!おまえの努力はわかった、何かあった時には頼りにしてっから…傷のことはもう、ほんとに気にすんな。どうせおまえにしか見られる事もねえしな」

「………え?」

唐突に身体を離したフレンがまじまじとオレを見る。
え、って…なんでこんな驚かれんのかわからねえな。

「だってさ、ここまで近くでよく見なきゃ気付かねえぐらいの傷なんだぜ。実際、誰にも言われた事、ないしな。だからおまえしか―――」


そこまで言って、ふと考えた。フレンはじっとオレを見たままだ。

「…あれ、やっぱなんかおかしいな。傷を見る度に罪悪感を覚えるならおまえにこそ見えないほうがいいんだよな…」

でもこんな至近距離でしかわからないようなもの、オレはほんとに気にしてない。そもそもここまで顔を近づける事がある相手なんてフレンしかいないんだから、余計に普段は忘れてんだよ。だからやっぱり、気にすんなとしか言いようがない。

「僕にしかわからない、か」

「あ?ああ、そうだろ?どうしても気になるってんなら、考え方を変えたらいいんじゃねえの」

「考え方…?」

「自分のせいで怪我させた、って思うんじゃなくて、この傷に命を救われた、って思うとかな。…ちょっと大袈裟か。別に感謝しろとか言うつもりもねえけど」

でもそれなら、少しは前向きにならないか?

そう言うとフレンはまたオレを抱き締めて、額に顔を擦り寄せた。擽ったくて逃げても、それを追うようにして何度も何度も…。
その間中ずっと髪を撫でられて、恥ずかしくて逃げ出したいのと…気持ち良くてこのままでいたいのとがごちゃ混ぜで、動くことが出来なかった。


「ありがとう、ユーリ。うん、そうだね…そう思う」

「そうそう、何事も前向きにだな…」

「本当に、君には敵わないよ」

「それはオレの台詞……」

「…ユーリ?」


そう、敵わない。敵わないんだよなあフレンには。そんなのは昔からわかってた事じゃないか。何をやっても勝てなかった。悔しかったが、どこか誇らしかったんだよ。

あの頃とは違う感情にいつまでも拘って、後ろ向きになってたのはオレのほうだ。
先を越されて、何だか余裕のある態度を見せつけられて少し焦ったのかもしれない。そんな必要、ないのにな…。


「敵わない、か。ま、そう思っとけ」

「…?僕はいつでもそう思ってるけど」

「ふうん…そんなことより、いい加減離れろ。調子乗ってんじゃねえよ」

渋々といった様子で身体を離したフレンに、笑いが堪えきれない。

オレの為に頑張ってくれるってんなら、それでいいと思う事にするか。守られてるとか、そう思うのが何となく嫌だった。
でもまあ、オレも考え方を切り替えたほうがよさそうだ。そのほうがきっと、自然に付き合える気がする。

付き合うってのは別にその、恋人だとかそう意味だけじゃないしな。


「…何笑ってるんだい、ユーリ」

「別に?」

まるでさっきまでのオレのように不機嫌な顔をするフレンを見て、結局オレ達は似た者同士なんだと改めて思う。


「…まあ、悪くないよな、こういうの」

「だから、何が」

「ダメならもう終わってるわけだしなあ」

「ユーリ!何の話だ!?」


自分だけあんな気持ちになったなんて癪だから、暫く放っとくか。

とにかく、あと一日だ。フレンが見た『不審者』の話も聞いておきたいし、適当なとこで機嫌取りでもしておかないとな。


どうやって機嫌取るのかって?

……色仕掛けでもしてみっかな……はは。




ーーーーー
続く
▼追記
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