欲求を満たす方法



「寒い」

「………」

「さ」

「少しは黙ってられないのか?」

「寒ぃんだっつってんだろ!?おまえコタツの使い方知らねえのかよ!!」


そんなわけないだろ、と返したフレンの表情はあくまでも涼しげで、むしろ暖房など必要ないのではないか、とさえ感じられる。

実際、部屋がそれほど寒いというわけではない。さほど広くもないアパートの一室にそこそこの体格の男子が二人いれば、体温だけで自然と室温も上がろうというものだ。
それがないにしても、今日は外の陽射しも穏やかで随分と過ごし易い陽気となっていた。さすがに夜になると冷えるので先日フレンも炬燵を出しはしたが、昼のうちから電源を入れることは滅多にない。

つまり、ユーリはそれが不満なのだった。

寒いのがあまり得意でないユーリにとっては、現状も『凍えるほどではない』だけであって『寒くない』ではないのだ。大袈裟だと言われても、こればかりはどうしようもなかった。


「コタツ出したってスイッチ入れなきゃ意味ないだろ!…コードどこやったんだよ」

「片付けたよ。だってユーリ、すぐ点けようとするじゃないか。まだ全然大丈……いたっっ!!」

ご、と鈍い音がすると同時にフレンが顔を顰め、ぱきん、と音を立てて手にしているシャープペンシルの芯が飛ぶ。

炬燵の中でユーリがフレンの足を蹴飛ばしたのだ。
痛みに思わず顔を歪めたフレンだったが、両手を炬燵布団に突っ込み、顎を台上に乗せた姿勢のまま上目遣いで睨みつけてくるユーリの姿に、思わず溜め息を吐かずにはいられないのだった。



期末試験を控えたこの時期、休日はフレンの部屋で共に勉強をするのが常となっている。それ自体は何も、今の関係になってからのことではない。入学後、最初の期末でユーリが赤点を取ってからはこうしてフレンがユーリの勉強を見てやるようになった。勿論、大切な幼馴染みが留年や落第などといった事にならないようにする為、だ。

ただ、あくまでもこれらは最悪の場合という意味であって、残念ながら力及ばず補習の憂き目にあったことは一度や二度ではない。

どちらの力が及ばなかったのかはまた別の話ではあるが。


フレンにとって、ユーリにこうして勉強を教える事に去年までは他意はなかった。だが、今年は違う。何せ、赤点の場合の補習は冬休みに入ると同時に始まるのだ。
教科や教師によって多少の違いはあっても、ほぼ毎日。カレンダー上の休日も関係ない場合すらある。

つまり平たく言うと、クリスマスを二人で過ごすことが出来なくなる可能性がある、ということだ。それは絶対に嫌だった。

だからいつも以上にフレンは気合いが入っていたし、ユーリもその事はちゃんとわかっている。二人でゆっくり過ごせるならそのほうがいいと思ったので、ユーリもそれなりに今回は勉強に身を入れるつもりだった。

が、この数日でめっきり冷え込んできたというのにフレンは暖房を入れようとしない。炬燵も出しはしたものの、初日にユーリが爆睡して以降こちらも勉強中は決してスイッチを入れず、コードそのものを片付けられてしまうという状況になったという訳だ。

おかげでユーリは縮こまって炬燵に入ったまま、広げたノートに顎を乗せ、両手を出す事もなくただひたすら『寒い』と繰り返していた。
当然の事ながら、勉強は全く進んでいない。
フレンがもう一度小さく息を吐いて言った。


「いい加減、手ぐらい出したらどうなんだ。それじゃ何もできないだろ」

「コタツ入れてくれたら出す」

「寝るから駄目だ」

「だったらエアコンの暖房入れろ」

「なおさら駄目だよ。絶対寝る。昔から言うだろ?『頭寒足熱』、って。暖かすぎても頭が働かなくなるし、足元を暖めるのがい…」

「だ・か・ら!!暖かくねえだろ!スイッチ入ってねえのに何言ってるんだよ!」

「うわ…っと!」

炬燵の中の気配を察知して、今度は蹴られる前にフレンが慌てて腰を引いた。ユーリの足先が覗く場所を見て、フレンの口元が引き攣る。
避けていなかったら、確実に『急所』に当たっていたと思われた。


「ちょっ…危ないな!当たったらどうするんだ!」

「ちっ…」

「舌打ちするな!君にだって理解できるだろ、どれだけ痛いかぐらい!!」

「そんな事より寒い」

「そんな事!?……全く…仕方ないな」

「お、コタツ点ける気になったか」

「ならない」

「……………………」

「でも、ほら」


炬燵からはみ出たユーリの両足先をまとめて自分の掌で包み、顔を上げてにっこりと微笑むフレンに今度はユーリが顔を顰める番だった。


「…ほら、って…何やってんだ」

「寒いって言うから、暖めてあげてるんだけど」

「ピンポイントでそこだけ、ってわけじゃ…」

「じゃあ全身を暖めて欲しい?」

「んなっ……普通に暖房つけろよ!!」

「陽が落ちて寒くなったらね。それより、少しは暖かくなったかい?」

「どっちかってーと冷たいのは手のほうなんだけ、ど…」


そこまで言って、ユーリがはたと口を噤んだ。足を暖めると言ってこれなのだから、手の場合なんてわかりきっている。
案の定、フレンは今までユーリの足を包んでいた手を離すと炬燵の上にその両掌を広げて見せた。


「……なんだよ」

「手、出して」

「い…いや、いやいやいや。そうじゃなくて根本的な解決をしろって言ってんだよ」

「手が冷たいから勉強に取り掛かれない、って言いたいんだろう?だから暖めてあげる、って言ってるんだけど」

「部屋を暖かくしてくれりゃ済む話だろ!?根本的ってのはそういう意味で言ってんだよオレは!」

「根本的って言うなら、そもそも何の為にここに来てるんだ君は。眠りこけて結局勉強にならないなら意味がないだろう」

「…そりゃあまあ、そうなんだけどさ…いやだから、足を暖めるって言うならコタツ」

「手。出して」


一見すると穏やかな微笑みと柔らかな口調なのに、何故か逆らい難い。これ以上問答を続けるのも不毛な気がして、ユーリは渋々ながら両手を炬燵の中から出すと目の前のフレンの掌にやや乱暴に重ねた。

軽く音を立てた掌が、ぎゅっと握り締められる。自分よりも高めに感じる体温に包まれてどことなく安心感を覚えてしまう事に心の中で少し呆れながら、ユーリはぼんやりと自分達の両手を眺めていた。






「――じゃあ、今日はこれぐらいにしておこうか」

「……おー…」

「疲れた?」

「寒いから余計な力が入るんだよなー」

「はいはい…ちょっと待ってて」


立ち上がったフレンの動きを、ユーリが首を巡らせて追う。再び両手を炬燵に突っ込んだスタイルに戻っているユーリにフレンは苦笑しつつ、押し入れの中からコードを持って来るとそれを取り付けてスイッチを入れた。エアコンも点けてやると程なくして暖かな風が流れ出し、振り向くと早くも瞳を閉じてうとうとしているユーリの姿が目に入った。


「ユーリ、寝るなってば」

「寝てねえよ。疲れただけ」

「寝るならベッドに行く?なんなら連れてってあげようか」


どこまでが冗談でどこからが本気なのか、と考えながら、ユーリがじっとりとした視線をフレンへと向ける。


「…寝ないって言ってんだろ。それより腹減ったんだけどなんかねえの、菓子とかさ」

「……眠いとか疲れたとか腹減った、とか…どこのおやじなんだ君は」

「こないだ来た時はなんかあった気がすんだけど?今日まだ何も食ってねえし。部屋は寒いわ腹は減るわ、おまえはやけに冷たいわでもうオレ帰りてえなー」

「暖かくして空腹が満たされたら寝る、なんて子供みたいな真似を君がするからだろ!…何度も言うけど、目的が別にあるんだからもう少し危機感を持ってくれないか」

「…わかってるって…それはそれとしてなんかくれってば」

「はあ…わかったよ」


そのままキッチンへ向かったフレンはすぐに戻って来て、手にしていた皿を炬燵の真ん中に置くと先程までと同じようにユーリの向かいに座った。


「お隣りさんに貰ったんだ」

「へー、ミカンか。…そういやオレ、今年初めてかも」

少し深めの皿に山盛りにされたミカンを見て、ユーリが少しだけ顔を上げた。


「昨日幾つか食べたけど、甘くて美味しかったよ。たくさん貰ったから好きなだけどうぞ」

山から一つを手に取って皮を剥くフレンの手つきをじっとユーリが見つめる。
一つずつ丁寧に白い筋を除いていくのを見て、『まあこいつはそういうやつだよな』と思う。
その反面、あの白い部分に栄養があるとか聞いたことがあるような、だったらそういうところは食べろと言いそうなのに、と考えていると、視線に気付いたフレンが手を止めた。


「何?食べたいの?」

「………へ?」

「じゃあ、はい」

「………………」


目の前に差し出された一粒を暫し凝視して、ユーリは仕方なしに口を開ける。どうせ、何か言っても切り返されてしまうだけだ。やっと暖まってきたばかりの両手を出すのも億劫だった。
何より、勝ち誇ったようにも見える笑顔が何となく気に入らない。
少し、からかってやろうと思った。

顔を傾けてフレンの指先に食いつき、わざと軽く舐めるとその指先が小さく震えたのがわかって思わず笑いが込み上げる。
口を離しながらちらりと見上げたフレンは、僅かに眉を寄せてどこか憮然とした様子だった。


「ん、確かに甘くてうまいな。…どうした?フレン」

「…別に」

一言だけ呟いて再び黙々と筋を取る姿を黙って見つめ、綺麗になったところを見計らって今度は自分から口を開けてみた。


「あ」

「……何やってるの」

「一つじゃ足りねえ」

「随分可愛らしいことをしてくれるね。まるで餌をねだる雛みたいだ」

「何とでも言え。…ほら、早くくれよ」

「…じゃあ、僕も親鳥の真似をしないとね」

「あ?」

言うが早いかフレンは手にしていた一粒を自らの口に放り込み、すかさずユーリの顔に両手を伸ばすとしっかりと掴んで上向かせ、驚くユーリの瞳を見据えたまま唇を重ねた。


慌ててユーリが両手を引き抜き、フレンの肩を押して逃れようとするが一層強い力で引き寄せられてしまう。
強く押し付けられたまま、更にフレンの舌先がユーリの唇をなぞる。擽ったくてほんの僅か開いた部分から一息に舌が侵入し、同時に口の中に押し込まれた柔らかいものの感触にユーリが眉を寄せた。

口の中いっぱいに広がる甘酸っぱい味も、フレンの舌で掻き回されて味わうどころではない。なかなか飲み込む事も出来ず、唇の端に薄い橙色が滲んでユーリから鼻にかかった苦しげな吐息が漏れた。


「んンっ……!!ん、ん――!!」

「…ふ…」

漸く唇が離れても、フレンは身を乗り出したままユーリを離そうとはしない。至近距離で見詰める蒼い瞳に、ユーリは僅かに背筋を震わせた。

恐怖などである筈もない。
『期待』を感じる自分に、少しだけ呆れていた。


「…普通に食わせろよ」

「餌付け、ってこうやるものだろう?…まだ足りない?」

「いや、もう充分」

「そう……ねえユーリ、人間の三大欲求って知ってる?」

「……何だよ、急に……食欲と…何だっけな、ッて!!」

向かい合ったまま顔に添えられていたフレンの両手がユーリの肩を掴み、力が込められたと思う間もなく横向きに引き倒されて反射的にユーリは固く目を閉じてしまった。

再び開いた先にはやはり視界いっぱいにフレンの顔が映し出され、ユーリは『やれやれ』といったふうに息を吐くしかない。


…口元が微かに笑みを浮かべていた。


「三大欲求はね、ユーリ」


耳元にかかる息にユーリが身じろぐ。


「食欲と、睡眠欲…あと、性欲だよ」

「…それで?」

「君の食欲は満たされたかもしれないけど、僕は何一つ満たされてないな」

「オレだって足りてねえよ」

「…誘ったの、君だから」




だから容赦しないよ、と囁けばゆっくりと閉じられた瞼にフレンが口付ける。


(…ちょっとからかうだけのつもりだったんだけどなあ…)


まあこいつに喰われるならいいか、と思ったユーリの身体に、心地好い暖かさが重なった。




ーーーーー
終わり

SWEET&BITTER LIFE・9(拍手文)

「オレも、おまえの事が知りたくなった」


穏やかな微笑みと共に差し出された手を握り返し、僕はユーリの言葉の意味を考えてしまう。

僕が思っている『知りたい』と、ユーリのそれとは違う筈だ。まだ数える程しか会っていないのに、と何度もお互い言ってる気がするけど、本当のところ、会話をしている時はそんな事は殆ど気にしていなかった。

…少なくとも、僕は。

会話が途切れたふとした瞬間、その事を感じることはある。だって、実際まだ知り合ってから日が浅いんだ。ちゃんと話が出来たのは一週間ほど前で、その時も個人的な話は全くと言っていいほどしていない。

昨日だってそうだ。

僕は無性にユーリに会いたくなって、勢いのまま彼の店を訪れた。
そこでまた彼を怒らせるところだったけど、ユーリは案外あっさりとその事を許してくれた…というか、その後特に気にしたふうでもなく、最初の時とは随分印象が違うと思ったんだ、本当は。

勿論、初対面でユーリを怒らせた時とは何て言うか…問題の重要性が違うんだろうけど、それにしても僕が思った以上にユーリは…僕に対して、親しげ、に…思えた。

…そう思いたいだけなのかもしれない。それがユーリの人柄で、きっと彼は本来、大抵の人間とは気さくに付き合えるんだろう。

お店に来たお客の女の子にフランクに答えてあげるのも、リピーターのお客さんに自分の携帯番号を教えてしまうのも、ユーリにとっては特に変わった事じゃなく、普通の事なんだ。


そして今、ユーリは僕の事を知りたい、と言ってくれた。


でもそれは、何も特別なことじゃない。
ただの知り合いが友人になって、それが『より親しい友人』になるかもしれない、そういう事だ。

僕は、ユーリとそうなれる事を望んでいた筈なのに。
もっと彼の事を知りたいと思って、ユーリも僕に対してそう思ってくれてるのに、本当なら喜ぶところの筈なのに、どうしてこんなに胸がもやもやするんだろう。


…僕はユーリの何を知りたいんだ…?
ユーリと………

なんだかよく…わからない。


「おい、フレン……いつまでそうやってるつもりだ……?」


頭上から降って来たユーリの声で我に返って、思わず見上げたユーリは不安そうな、不審そうな、何て言うかそういうものが色々と混ざった表情をしていた。

「そう……?え、あ…あ、ごめん」

「いや…何だ、具合でも悪ぃのか?それともまだ立ち上がれねえほど腹いっぱいなのかよ」

「……どっちも違う」

ユーリの表情の理由なら分かってる。
僕はずっと、ユーリの手を握ったままだった。それと、また『トリップ癖』が出たとでも思ってるんだろう。正直、その誤解は早い内に解いておきたいんだけど…。

ユーリの手を離す時に、ほんの一瞬だけ逡巡した。…何にって?
……いや……何でもない。
その考えを振り払うように軽く頭を振って立ち上がると、まだ怪訝そうな表情のままユーリが僕を見ていた。


「…ほんとに大丈夫か?」

「具合悪いとかじゃないから、大丈夫だよ。その、ええと…これからどうしようか、と思って」

「これから?」

「ユーリは仕事で店のほうに戻るんだろう?」

「…そうなるな」

「だから、どうしようかと。今日は君の都合に合わせるつもりだったから、僕は個人的にどこに行こうとか考えてなかったんだ」

僕は普段、休日にどこかへ出るという事があまりない。買い物に行ったりというのは当然あるけど、遊びに、というのは暫くなかった。平日休みが多いから、悉く友人とは予定が合わないんだ。

そういった意味では遊ぶ、というか外で一日過ごす気でいたから、今から帰って何かするつもりになれなかった。かと言って一人でふらふらするのも……ユーリと過ごすんだと思ってたし、ね…。


「…………」

ユーリも何か考えているみたいだけど…どうしたんだろう?
まあ仕方ない、とりあえず一旦家に…


「なあ」

「…ん?何?」

「なんだったらおまえも一緒に店に来るか?茶ぐらい出してやるから」

…意外な申し出に少し驚いた。ユーリは仕事をしに自分の店に行くんであって、そこに僕を連れて行く理由はない。

「え、でも……邪魔じゃないか?何も手伝えないし」

「おまえに何かしてもらおうなんて思ってねえよ。わざわざ付き合わせて休み潰しちまったのに、ここで放り出すのもなんか可哀相だしなあ」

「可哀相って…」

ユーリは何故か、にやにやとしながら僕を見ている。…何となくだけど、考えてる事の想像はつくな。どうせ、友達いない奴だとか思ってるんだろう。平日だからだと言いたいところだけど、よく考えたらもう実際のところ、日曜日とかでも誘われなく……やめよう、悲しくなって来る。
ところが、ユーリはそんな僕に更に追い打ちをかけてくれた。


「どうせおまえ、彼女いないんだろ?」

「………………」

「休みの前日に急に誘って何の予定も入ってなかったりさ」

……そうなんだけど。
友人との付き合いのことばかり考えてて、彼女がどうとか思われてたなんていう事は頭に浮かばなかった。
…あれ、もしかして普通はこっちが先か…?

「いくら休みが平日ったって、予定がオレの店に来るつもりだけだったとか寂しすぎんだろ」

「う……うるさいな!確かにその、彼女はいないけど。でもそのおかげで君だって一人でここに来なくて済んだんだろ!?」

「まあ一応は」


ユーリは顎に手を当て、またあの悪戯っぽい笑いを浮かべていた。な…なんでこんな、余裕なんだ。
ユーリだって別に、彼女いないんじゃないか。エステルさんはそういう関係じゃないって言ってたし…。

いや、でもだからってユーリに彼女がいないってことにはならない…?
ちょっと…今は考えないようにしよう…。

それにしても、これはいい機会かもしれない。
そもそも、僕はユーリの店を取材するために彼の元を訪れたんだ。取材は拒否されてしまったけど、僕自身ユーリの仕事に興味はある。
もし作業の様子が見られるのだとしたら、それだけでも御の字だ。別の店で取材の仕事をする時のプラスにもなるだろうし。

そう思って、僕はありがたくユーリの申し出を受ける事にした。







「とりあえずその辺に座っとけよ。オレ、着替えて来るから」

「ああ、わかった」


ユーリはそう言って、レジカウンターの裏にある扉の奥へと消えて行った。
ここからだとよく見えないけど、あの奥は工房になってるんじゃないのかな?確か昨日、エステルさんも帰る前にあそこから戻って行ったし、工房の更に奥にスタッフルームでもあるんだろうか。

喫茶スペースに座って、店内をゆっくりと眺めてみる。

初めて来た時も思ったけど、それ程広くない店内にうまく配置されたディスプレイの棚やテーブルはとても可愛らしい。本体はシンプルな木の造りなんだけど、淡い色合いのレースやリボンで品良く飾られていて、いかにも女の子が好きそうな感じだ。

まさかユーリがこれを飾ってるんじゃないだろうし、きっとエステルさんのセンスなんだろうな。
…ユーリが飾ってるところを想像したら少し笑える。あながち似合ってないわけじゃなさそうなのがまた……


「フレン!!」


一人そんなことを考えていたら、唐突に名前を呼ばれて顔を上げた僕の目の前に何かが飛んで来た。
慌ててその物体をキャッチした僕を見て、ユーリは腰に手をやって呆れたように溜め息を吐く。

ユーリは髪をバンダナに収め、白いコックコートに着替えていた。腰の少し下できっちりと結ばれたサロンのせいで、細身な体型が強調されている。
身長は僕とそう変わらないのに、改めて見てみると自分と比べてユーリは少し華奢な感じがした。


「なーに一人でニヤニヤしてんだよ…」

「な、何でもないよ。それより危ないじゃないか、いきなり何を…」

手の中の物体を改めて見ると、それはよく冷えた缶コーヒーだった。
正確に言えばカフェオレだけど。

「……まさか、お茶ってこれの事かな」

「なんだよ、何か文句でもあんのか?」

「いや、別に…」

特に何かを期待していたわけじゃないけど、もしユーリがコーヒーや紅茶を淹れてくれるならそういうのもいいな、と思った…なんて言える訳ないし。
でも少し残念に思ったその気持ちは、どうやら顔に出てしまったようだった。


「ケーキの用意したら、おまえにも何かやるからそんな顔すんなよ」

「やるって、餌付けじゃないんだから…別にそんなの気にしなくていいよ」

「その割には随分と不満そうな面してんじゃねえか」

「不満というか残念…」

「は?何が」

「だ、だから気にしなくていいって言ってるだろ!」

「……何逆ギレしてんだよ……」

「ほんとに何でもないって!それより、できればユーリが作業してるところを見せて貰えないか?」

ユーリの表情が僅かに厳しいものになる。


「それは、どういう理由で?」

「純粋に興味があるだけだよ、プロのパティシエの作業風景を見た事もないし」

「取材するつもりなら断るぜ」

「違うよ。今後こういった店での仕事がないとも限らないし、その時のために少しでも知識が得られるならそうしたい。この店の事を何かの媒体に載せようとか、そういう事じゃないから」

「…まあ…そんならいいか…ほんとはあんまり無関係のやつを中に入れたくないんだけどな」

「…そうなのかい?やっぱり、何か見られたくない事とかあるのかな」

「別にそんなんじゃねえけど。まあ衛生上の問題とか、色々とな」

今時は面倒臭いんだよ、と言ってユーリは裏に引っ込み、すぐに戻ると僕に手招きをした。

「?」

缶コーヒーをテーブルに置いてユーリの前に立つと、彼は僕に一枚の白い布を手渡した。
これ…ユーリがしてるのと同じ、バンダナ?


「ユーリ、これ…」

「…オレはまあ、そこまで気にしないんだけどな。ただおまえは完全な部外者だし、他に誰もいない時に何かあったら、ってのがあるから」

「髪の毛を覆えばいいんだろう?別に構わないというか、当たり前だと思うけど」

調理中に髪の毛なんかの異物が混入しないように気をつけるのは当然の事だ。

最近じゃ、お客の側にもちょっと困るというかタチの悪い人もいて、こういった事で不当に店側に金銭を要求したりするというのはもう珍しい話じゃない。
実際、仕事で付き合いがある店からそんな話を聞いたこともある。

「まあ端っこで見てるだけなら別にいいんだけどな。どうせそれじゃ満足しないんだろ?」

「せっかくだから、ちゃんと手元を見てみたいな」

「大したことしねえけどな。デコレーションするだけだし」

「そうなのか?今からケーキを焼くんだと思ってたんだけど」

「時間があればそうしてやりたいんだけど、ちょっと間に合いそうにないからな。向こうにはちゃんと断ったし、昨日焼いたジェノワ使う」

「ふうん……ジェ…って、何?」

「…やっぱそうなるよな」


話の流れから何となくわからなくもないけど、僕は聞いたことがない言葉だった。

説明するのが面倒なんだろう、うんざりと嫌そうな様子を隠そうともしないユーリには悪いと思うものの、こんな機会はそうそうなさそうだし。



ポケットからメモ帳とボールペンを取り出した僕を見て、『普段から持ち歩いてんのかよ…』とユーリが呟いていた。



ーーーーー
続く
▼追記

素直になれない(捧げ物・ユーリ女体化)

「こみべや。」、kmさまへの捧げ物第二弾。
『あ・ま・の・じゃ・く』の対でフレンバージョン、学パロでフレ♀ユリです。






どうして一緒にいられないんだろう。


もう、何度そう思ったかわからない。でも、仕方ないんだ。

本当は、もっと一緒にいたい。隣にいて欲しい。
そう思ってるのが僕だけじゃないと知っていたんだ。

傍にいたいよ、ユーリ…






僕が幼馴染みと一緒にいられなくなったのは、いつのことだっただろう。


幼稚園ぐらいの頃かな。
家が隣同士だったから、いつも二人で遊んでいた。
ユーリはとても活発で、イタズラ好きで、ユーリが何かする度に僕も一緒に怒られたりして。僕はちゃんとユーリを止めたのに怒られるのが少しだけ不満だったけど、次の日にはそんなことは忘れてまた二人で遊びに行く、そんな毎日だった。

僕らは二人とも両親が共働きで、誰もいない日にはどちらかの家に泊まりに行く事もよくあった。
…勘違いしないでくれ、幼稚園の頃の話だからね。

ご飯を食べて、一緒にお風呂に入って…だから、幼稚園の頃だってば!い、今そんな事出来るわけないだろ!?

夜も布団を並べて一緒に寝たっけ。冬になるとユーリはいつも僕の布団に潜り込んで来て、『フレンはあったかいなー』なんて言って抱きついて来て…。顔を擦り寄せるユーリはまるで子猫みたいで、とても可愛らしかった。僕もユーリを抱きしめて、暖かくて気持ち良くて…いつの間にか眠ってしまっていた。
朝、起こしに来た母親からは『二人は仲良しさんね』といつも言われてたな。


本当に、僕らは仲が良かった。ずっと一緒だと信じてたんだ。…あの日までは。

卒園間近になって、初めてユーリと一緒にいられなくなると知った。僕らは同い年だけど、僕が早生まれだから本当は別の組の筈だった。子供が少なかったからみんな一緒に過ごしていたんだなんて、わかる訳がない。

卒園式の日、ユーリは僕の手を握って離さなかった。嫌だと言って泣くユーリを見ていたら僕も我慢できなくなって、二人で大泣きして周りの大人を困らせたっけ…。

だから、泣いているユーリの手を握り返して、無理矢理笑って、こう言ったんだ。


『ちょっと離れちゃうけど、でもずっといっしょだよ』


…って。


泣きながら頷いたユーリの、不安そうな顔が今も忘れられない。でも、この時の気持ちは嘘じゃなかった。例え学年が違っても、家は隣同士なんだ。僕は学校が終わったら飛んで帰って、ユーリと過ごす日々が続いていた。


だけど、ユーリは女の子だから。


ユーリが僕と同じ小学校に入学して、初めのうちは良かった。
でも、一つ、また一つとそれぞれの学年が上がるにつれ、以前のように泊まって一緒にお風呂に入ったり、寝たりするのを親に咎められるようになった。

…もっと言えば、互いの家にすら行かなくなっていった。
僕もユーリも、それぞれに友人が出来たというのはある。僕が部活を始めてからは一緒に登校する事もなくなって、ますますユーリと会う機会が減ってしまった。

僕は、強くなりたかったんだ。好きな子を守りたいと、だから強くなりたいと思うのは当たり前だろう?
剣道でどれ程か、って言われると微妙なんだけど…まあ、子供の考える事なんてそんなものだ。

始めてみたら楽しかったし、自分に合ってたのかもしれない。部活を通じて他のクラスにも友人が出来て、その、男同士の話題というか…そういう話もするようになって…。そこにユーリを入れる訳にいかないじゃないか。ましてや、何の話をしてるかなんて言える筈ない。
それなのにしつこく聞いてくるユーリが、ほんの少しだけ疎ましかった。


ユーリが中学に上がる頃には、その思いがだんだんと強くなっていた。

ユーリ自身は気付いてないけど、ユーリは近所でも評判の美少女になっていて、ユーリが僕と幼馴染みだと知ったクラスメイト達からはからかわれたりやっかまれたり、大変だった。

それなのにユーリは昔と全然変わらずに、学校では大きな声で名前を呼ぶし、遠慮なしに一学年上の僕のクラスに入って来て『一緒に弁当食おうぜ!』って僕を引っ張り出そうとするし…。少しは僕の気持ちも考えて欲しい。

それに、周りの女の子はユーリをあまり良く思ってないみたいだったから、心配だったんだ。
だから必要以上に目立って欲しくなくて、男の子みたいな言葉遣いとかやたらボタンを外してシャツを着るのをやめてくれ、って何度も言った。
…はだけた胸元を見るのが辛かったのもある。僕は、子供の頃からずっとユーリが好きだったんだ。成長するにつれて純粋なだけではなくなる想いを堪えるのに必死だったっていうのに…。

子供だったんだ。からかわれて恥ずかしいという気持ちのほうが先に立って、素直になれなかった。


三年になって高校受験を控えた僕は、有り得ないぐらい毎日苛々していた。
受験勉強も大変だったけど、女の子に呼び出されて告白されることが急に増えて、『なんでこの時期に』という思いと、『これがユーリだったら』と思ってしまう自分に対して。

自分からユーリに告白する勇気もなかったくせに、勝手すぎて笑えるよ。僕に告白してくれた女の子達のほうがよっぽど勇気があると思う。

こんな事、ユーリにも相手の女の子にも失礼すぎて言えるわけない。ユーリの顔を見ることも出来なくなって、この頃の僕はとにかくユーリを避けていた。

嫌われたくないから、『会いにくるな』なんて言えない。でも、ユーリに名前を呼ばれるのが苦しい。なんて女々しいんだ、僕は。


…あの日もそうだった。
他のクラスの女の子に呼び出されて、お決まりの言葉を告げられて…正直、内容なんて殆ど覚えてない。
だって、何を言われようが僕の答えは一つしかないんだから。
途中から、ユーリが僕達を見ているのに気付いた。何故だかわからないけど、背中に感じる視線の持ち主がユーリだ、と思ったんだ。


気が付くと、目の前の女の子が泣いていた。
いつ、何て言って断ったのか覚えてない。
…断ったのだけは確かだった。

走り去るその子をぼんやりと見送って、振り返ったらやっぱりユーリがいた。


『いつまで見てるの?悪趣味だな』


ユーリの瞳が細くなった。あんな言い方するつもりじゃなかったけど、苛々が頂点に達していたんだ。
色々なことが重なって、冷静でいられなかった。ユーリと話すの、本当に久しぶりだったのに。

『なんで振ったの?勿体ないなあ』

皮肉っぽく笑うユーリに、何が勿体ないのかと聞き返した。可愛かったじゃん、と軽く言うユーリに、つい僕も口調がきつくなる。顔なんかどうだっていい。

『好きでもないのに付き合えないよ』

答えなんてこれしかないだろう。ところが、ユーリはこう言った。

『そんなのわかんないだろ?付き合ってみないと』

…意味がわからなかった。
付き合ってみろ、っていうのか?僕に?ろくに話したこともない、好きでもない子と?
思わず拳を握り締めたのを、ユーリは気付かなかっただろう。

付き合えないと言ってるのに、ユーリはなおもしつこく、なんで付き合えないのかと聞いてきた。なんで、って、こっちが聞きたい。どうしてそんなこと言うんだ。

想いを伝えたわけじゃない。でも、ユーリは僕の事を何とも思ってない…?今までの態度は、全部ただの幼馴染みとしてのもの?

そう思ったら無性に悔しくて、僕を見て首を傾げているユーリに、こう言っていた。


『他に、好きな人がいる』


ユーリが大きく瞳を見開いていた。そんなに驚くのは、やっぱり自分がそう思われてるなんて、これっぽっちも思ってないからなのか。
…もう、その場にいたくなかった。

早足でユーリの横を通り過ぎようとして、ふと足を止めた。ユーリにその気がないなら、もう『誤解』されるような態度を取って欲しくなかったから。


ユーリ、と呼ぶ声が低くなるのが自分でもわかった。ユーリも驚いたのか、どこか間の抜けた返事を返した気がする。

『学校では呼び捨てにしないで欲しい』

そう言ったら、またユーリは『なんで』と聞き返した。

『君が大声で僕の名前を呼び捨てにする度、友達に冷やかされるのが嫌なんだ』

吐き捨てるように言ってユーリを見ると、一瞬だけ酷く傷付いたような表情を見せた。…気のせい、かな。


『だったらどうしろっての?シーフォさん、とでも呼べってか』

舌を噛みそうだと零すユーリに、更に苛立ちが募る。どうしてこんなにも苛々するのかわからなくて、一言だけ、こう伝えた。


『…先輩』

『は……はあ?』

余計長くなる、と文句を言うユーリに、先輩だけでいい、と言って、僕はユーリを残して逃げるようにその場を後にしていた。


僕がずっと抱いて来た想いは、本当に少しも伝わってなかったんだろうか。
呆然と立ち尽くしていたユーリは、あの時何を思っていたんだろう。


同じ学年だったらよかった。
僕の知らないところでユーリが何をしているか気になって仕方ないくせに、周りの目を気にしている自分が情けなくて、悔しくて。


あれからしばらく経ったけど、本当にユーリは僕のことを『先輩』としか呼んでくれなくなった。学校では、って言ったのに、学校の外で会ってもユーリは絶対に僕を名前で呼ばなかった。



…ねえユーリ、僕はもうすぐ卒業するんだ。そうしたら、また一年間離れ離れになる。
いや、ユーリが僕と同じ高校に来るかどうかもわからない。ユーリが僕の教室に来てくれることもなくなって、外で会っても他人行儀で会話にならない。

…ねえ、ユーリ。
今、僕はとても後悔してるんだ。つまらない意地を張って、君を遠ざけてしまった。もう二度と、昔のように話すことはできないのか?


君に想いを伝えて、もし否定されたらと思うと言えなかったんだ。


もう一度、名前を呼んで欲しい。呼ぶなと言ったのは自分なのに、今ではどうしてあんなことを言ったのか本当にわからない。

このままじゃ、おかしくなりそうだよ。


次に『先輩』と言われたら、もう無理かもしれない。


今から、君に会いに行く。
素直に謝るよ。それで、ちゃんと想いを伝えるから。

待ってて、ユーリ




ーーーーー
終わり
▼追記

ただ一人のためだけに・11

続きです


『五日目・本気の息抜き』




ひゅ、と軽い音を響かせてフレンが剣を振り下ろした。


「…遅いじゃないか。何をしてたんだ」

手にした剣はそのままに、オレに向き直って不機嫌そうに眉を顰めながらフレンが言う。怒られるほど遅れちゃいないが、午後を知らせる鐘が鳴ってから少しばかり経っていた。
午後、って言っただけではっきり時間を決めてた訳でもないのに、ほんと細かいやつだよ全く…。


「ユーリ?何か言いたい事でもあるのか?」

「あのな…オレだって仕事して来たんだぞ、おまえと違って別に午後から休みとかじゃなかったんだし」

「それで遅れたって言うのか?…しっかり着替える時間はあったみたいで、何よりだね」

「当たり前だろ…」

「さあ、君も早く準備してくれ。時間が勿体ないだろう?」

抜き身の剣を下げたまま、フレンがオレに笑顔を向ける。…全く、やる気満々だな。


別にフレンの部屋の掃除なんかどうでもよかったんだが、こいつはこういうとこうるさいからな。やらなきゃやらないで後から何か言うに決まってる。適当に済ませて、一張羅に着替えて来た。もちろん、自分の刀も持って来ている。

メイド服のまんまでこいつとやり合うとか自殺行為だ。第一、誰かに見られたらどうすんだよ。明らかに不自然だろうが。
前にここでフレンと模擬戦をやった時は、一応『騎士』の格好だったからまあ、まだなんとかなった。が、あんなひらひらした服のままでフレンと剣を交えて勝てる気なんかまるでしない。息抜きったって、『手』まで抜くつもりはないからな。


…そう、これがオレ達の『息抜き』だ。


まさかフレンのほうからお誘いがかかるとは思わなかったが、結局こいつもオレと同類なんだ。どいつもこいつも、見た目に騙されすぎだよな。

穏やかに笑う様子は確かに品があって、いかにも王子様顔ってやつなのかもしれない。だが、こいつが腹に一物抱えてる時はすぐにわかる。目が笑ってない。

今もそうだ。

何か企んでるのはわかっても、それが何かまではさすがにわからない。
…まあ、いいさ。

とにかく身体を動かしたい。そりゃあたまにはのんびりしたい時もあるが、城にいるとストレスばかり溜まってくからな。発散させるって言ったら、これだろ?


歩きながら鞘を弾き飛ばして刀を持ち直す。振り返ってフレンを見ると、やつもオレを正面に捉えて剣を構えた。


「…なんか、やけに嬉しそうだな」

「君と剣を交えるのは、随分と久しぶりのような気がする」

「そうだな」

「君しかいないんだ、全力で当たれる相手が」

「そうか?そんなんじゃ困るだろ、もっと人材育成に力を入れたらどうだ」

ちょっと前の仕事を思い出す。新人の女騎士の指導をやらされたんだが、確かに騎士団はまだまだ人手不足だ。だからオレが引っ張り出されるんだろうが、いい迷惑だよ。…あいつら、元気でやってんのかね。


「……僕の相手をするのが騎士団の仕事という訳じゃない。そんなのは一人いれば充分だよ」

意識をフレンに戻す。


「一人、ね…」

「そう、一人」

「しつこいやつは嫌われるって、オレ、言わなかったか?」

「へえ、自分の事だと分かってるんだね、嬉しいよ」

「うるせえ。…ほら、そろそろ始めんだろ?かかって来いよ」


ふん、ちょっと調子が戻るとすぐこれだ。実際、こうやって付き合ってやってるのに何で満足しないんだか。…まあ…こんな事言ったらすげえ勢いで嫌味が返ってきそうだが。


持ち直した刀をフレンに向けたまま、片方の手でくいくいと挑発してやる。


「ほらほら、時間がなくなるぜ!!」

「君のせいだと思うんだけどな………じゃあ、遠慮なく行くよ!!」


元から遠慮なんかするつもりないくせに、何言ってやがる。
言うと同時に踏み込んで来たフレンを迎え撃つべく、オレも体を開いて腰を落とした。






「はあああぁぁっ!!」

耳元を掠めた剣先が、低く唸るような音を残して振り抜かれる。…少しギリギリすぎたか、斬り落とされた髪が目の前で散って行った。

身体を捻り、一回転してフレンを躱すとその勢いを利用してそのまま刀を振り上げる。のけ反るような体勢で、フレンもまたギリギリのところでオレの攻撃を躱した。
払った切っ先から、金色の光が流れて行く。フレンの前髪に引っ掛けちまったが、まあ仕方ない。オレのほうはどうなってるんだかな。


既に幾度か、間合いを詰めては打ち合い、また離れては飛び込んで斬撃を繰り出す事を繰り返していた。


何でお互いこんなギリギリで攻撃を凌ぎあっているのかと言えば、それは実力がほぼ同じだからだ。間合いに入ったら畳み掛ける。だが、スタイルが違う。

フレンは一撃が重い。全て受け止めていたらそれだけでダメージが溜まっていくから、避けるか受け流すのが基本だ。そうやって躱しながら、タイミングを図る。
自分の攻撃が軽いなんて思ってないが、オレはどっちかって言えばスピードタイプだ。一撃を躱したら倍の攻撃を叩き込んでやる。初撃を避けられても次を受けさせられりゃいい。
さっき言ったろ?受け止め続けてもダメージは溜まるんだ。

まあ、フレン相手だとそう上手くはいかないんだけどな。鬱陶しい甲冑を着込んでるくせに、しっかり避けてくるから大したもんだぜ。…どうせ、フレンも考えてることは同じなんだろう。


今は盾こそ持ってないが、フレンは甲冑を身につけている。ヘタな攻撃じゃダメージにならないから、その隙間や甲冑のない部分、つまり身体の正面を狙うわけなんだが…

「普通、ガードするってんならまずはここ、だよなあ…!!」

「何だ?ガードがどうかしたかい…!?」

間合いを取り直して刀を繰り出すが、当然のように弾かれる。引き戻した刀を腰の後ろに下げた時、フレンの剣が再び振り下ろされた。

「っと……!」

僅かに右へ跳んでそれを避け、膝を折り腰を落とす。オレを追ってフレンの軸足………左足の爪先が動いた。そのままフレンが剣を払おうと、手首が反される。

――――今だ!


「ふッ……!!」

「!!?っっぐ、…!!」


息を吐いて脚に力を込め、踏み込んでフレンの胸に打撃を加えた。クリーンヒット!!…と言いたいところだが、そうはいかなかったようだ。咄嗟に上体を引いて衝撃を抑えたあたり、さすがの反応の良さと言うしかない。

それでもフレンは後方に跳び、胸元を押さえている。そこはかつて、フレンの魔導器があった場所だった。


「勝負あり、か?」

「…何言ってるんだ、まだだよ」

「そんな事言っておまえ、もし『逆』にしてなかったら大ケガしてんぞ?」

手にしていた刀をくるりと回して肩に担いだオレを、フレンは悔しそうに睨んでいた。


フレンの手首が反った瞬間、オレは後ろに回していた刀を右手に持ち替え、更に逆手に構えて『柄』をフレンの胸元に向けて突き上げた。僅かに腕が下がって空いた部分を狙ったんだが、実戦だったら当然刃のほうで攻撃を仕掛けてるんだから、一撃食らった時点でオレの勝ち、という訳だ。


「やっぱ腕、落ちたんじゃねえの?やる気満々だったくせに、大した事ねえじゃん」

「そっ……!!…いや、……!!」

…ほんと悔しそうだな…。
何か言い返したくても、言葉が出て来ないんだろう。

とは言え、恐らく鍛練にも身が入ってなかったであろう期間があった事と、オレがここに来てからは溜め込んだ仕事に追われてそんなヒマ、なかった筈だ。
それを思えばまあ、さすがと言うかなんて言うか。
…オレも悔しいから言ってやるつもりはないが。


「まー、また機会があったら相手してやんよ。オレもたまには体動かしたいしなあ」

「……ほんと、嬉しそうだな……」

「嬉しいからな、実際」

「………………」


オレとの距離を取ったまま、フレンは不満気に首を捻ったり剣を振ったりしている。そこまでされると何となくイラつくが……まあいい。


「いつまでふて腐れてんだよ!それよりこの後どうすんだ、まだ時間あるんだろ」

「そうだね……」

「…そんなに不満ならもう一戦いっとくか?」

担いでいた刀を下ろして切っ先を向けてやると、フレンはわざとらしい溜め息と共にやっと剣を鞘に納めた。

「今日はやめておくよ」

「別に、普通の鍛練でもいいんだぜ?『普通』の」

「いい加減その笑い、やめてくれないかな…君が相手じゃ、『普通の』鍛練は無理だね。どうしても力が入る」

「なんだ、つまらねえな」

どうやら、フレンはもう手合わせを続ける気がなさそうだった。結構ノリノリな感じで誘って来たくせに、やけにあっさりしてるな。何かあるんじゃないかと思ってたんだが、気のせいか…?
それなら仕方ない、オレは自分の鞘を拾おうと、少し離れた場所に転がっているそれに足を向けた。



かがんで鞘に手を伸ばした瞬間の事だった。


「ユーリ!!!」


鋭い声に顔を上げ、刀を握る掌に力を込めて立ち上がろうとしたオレに、もう一度、フレンの声が飛んだ。


「―――魔神剣!!!」



「なっ…………!!」

鋭い衝撃波がオレ目掛けて放たれる。上体を限界まで仰け反らせ、あっという間に眼前に迫ったそれを後ろに倒れ込みながらも寸でのところで躱したオレに、フレンが駆け寄って来るのが見えた。


「…っ、な、何しやがるフレン!?いやそれより、今の……!!」

「大丈夫か、ユーリ?」

「てめぇ……」

地べたに座り込むオレにフレンが手を伸ばす。が、その手を取らずに立ち上がるとオレはフレンをこれでもかという程睨みつけてやった。

「いきなり人に魔神剣ぶっ放しといて、大丈夫もくそもあるか!!」

「す、すまない…いや、君にじゃないんだ、向こうに不審な人影を見たものだから」

「人影?」

フレンの視線を追って背後を振り返るが、その先には既に何の気配も感じられない。衝撃波で散らされた木の葉が舞っているだけだ。

「…誰かいたのか?」

「ああ、間違いない。だけど、まだまだだな…届かなかったみたいだ」

届かなかった、ってのは攻撃が、って事だろう。確かに、かつて見慣れた技よりはだいぶ威力が劣っていた。でなきゃ、あんな至近距離で避けて無傷な筈がない。
て言うか、もし以前の威力だったらどうなってたか、わかってんのかこいつ……

「…威力のことはともかく、なんでおまえ、その技使えるんだ。新しい魔導器でも開発されたのか」

「いや、そういう訳じゃない。ほんとは、手合わせで君に見せて説明もしたかったんだけど…タイミングを逸してしまったから」

「だから自分からオレを『息抜き』に誘ったのか?何かあるだろうとは思ってたが、自慢したかっただけかよ」

「そうじゃない。君だって、この先こういった技が使えたほうがいいだろう?だから…」

フレンが話をやめ、じっとオレを見ている。…何だ、急に顔を顰めて…?

「…顎のところ、血が出てる」

「顎?」

言われて確かめると、確かに左顎の下に少しだけ痛みを感じる。指先にもちょっと血が付いた。さっき、魔神剣を避けた時だな。
でもまあ、言われなければ気付かなかった程だ。大した事はない……


「!?」

「じっとしてて」

フレンがオレの顎に手を伸ばす。傷のないほうを左手で固定して右手を傷口に翳すと、一瞬だけ白い光が現れてすぐに収束し、最後には霧散して消えた。

…これ、は…

「はい、治ったよ」

「…治癒術も使えるようになったのか?」

フレンは笑顔で頷いたが、オレは面白くなかった。

「おまえ、オレを実験台にしてんのか?」

「違うって言ってるだろ!手合わせでも掠り傷ぐらいするだろうし、そうなってもちゃんと治してあげられるって知って欲しかったんだ」

「怪我させる為に魔神剣使ったんだろうが」

「だから!本当はちゃんと手合わせの中で使うつもりだったんだ!それだって不意打ちする気はなかったんだよ」

「…いいけどよ…」



何だろうな、この微妙な敗北感は…。勝負に勝って、何かに負けた気がする…。
フレンが見たと言う不審な人影とやらも気になるし、とりあえず色々と聞きたい事がまた増えてオレはつい溜め息を零していた。

ーーーーー
続く
▼追記

悪戯の時間(ハロウィン企画)

ハロウィンでフレユリです。






甘い、甘い

それは至福の瞬間






「………なんだ、こりゃ」

開口一番、辺りの様子に首を捻りながらユーリが呟く。見慣れている筈の街並みが、明らかに見慣れないものになっていた。


そろそろ陽も落ちようかという時間で、既に辺りは薄暗い。だが、あちこちに飾られた奇妙な形の置物の中から零れる柔らかな光が街路を照らし、一種独特の雰囲気を醸し出していた。

市民街に足を踏み入れた途端のこの光景に、ユーリは首を捻るばかりだ。もしかしたら、下町もこんな様子なのだろうか。


「とりっくおあとりーと!!」


きょろきょろと周囲を見渡していたユーリだったが、不意に声を掛けられて顔を下向ける。見れば、これまた見慣れない格好をした子供が二人、にこにこしながらユーリを見上げていた。

「とりっく・おあ・とりーと!!」

もう一人の子供が、同じ言葉を繰り返す。少し焦れたように言うその子供に小さなバスケットを突き出され、いよいよユーリは困惑した。
バスケットには色とりどりの菓子が詰まっている。溢れそうなほどのそれを更にこうして見せるということは、何か寄越せ、ということなのだろうか。まさか、自分にくれるという事か?と一瞬考え、すぐにそれを否定した。前者より、明らかに可能性が低いからだ。

「おにいちゃん、お菓子くれないの?」

やはり、と思うも、状況が理解出来ない。見ず知らずの、しかも奇妙な仮装をした子供にいきなり菓子をせびられる理由がわからなかったが、とりあえず渡せるようなものを何も持っていなかった。
荷物の中に食べかけのチョコレートがあったような気がするが、まさかそれをやるわけにもいかないだろう。

「…悪ぃな、今なんも持ってねえんだ。それより、こ…」

「お菓子、持ってないの?」

しゃがんで子供と目線を合わせ、『こりゃ一体何なんだ?』と聞こうとしたユーリだったが、逆に聞き返されて目を丸くする。思わず頷くと、二人は顔を見合わせて意地の悪そうな笑顔を見せた。

「「じゃあ、いたずらする!!!」」

「は!?え、おい……!?」

子供二人に飛び掛かられて石畳に尻餅を突いたユーリを、周りの大人達は誰も助けようとしない。笑いながら通り過ぎて行く彼らの中にもまた、奇妙な扮装の者は少なくなかった。全く以って、訳がわからない。

「ちょ、こらやめろって!いてて!!う、はははは!!」

「お菓子くれなかったからいたずらするのー!」

きゃいきゃいと纏わり付く子供らにあちこち引っ張られたり擽られたり、払いのけることも出来ず暫くの間好き放題され、漸く解放されてもまだ、ユーリは石畳の上で呆然と座り込むばかりだった。






「全く、えらい目にあったぜ…」

窓枠に腰掛けてむくれるユーリに、フレンが笑顔を向ける。近付いて長い髪を手櫛で梳いてやると、ユーリが鬱陶しそうな眼差しのまま顔を上げた。



あの後、下町に戻ろうと坂道を下ってみれば、そこは市民街以上の賑わいを見せていてユーリは唖然とした。やはり同様の置物が転がっていて、傍らの一つを手に取って見るとそれはカボチャをくり抜いて作ってあった。大きなものは中に蝋燭が仕込んであり、揺らめく光が幻想的と言えなくもない。

素直に感動できなかったのは、そのどれもが顔と思える形に穴を開けてあるからだ。奇妙な笑顔を浮かべたようなカボチャに、ユーリはまたしても首を捻る。こんなものを見たのは初めてだった。

見慣れない光景に、見慣れない格好をした人々。そして、訳のわからない仕打ち。下町でも全く同じ目にあったユーリは、結局噴水広場を抜ける事を諦めて荷物も置かないまま、フレンの元へと『避難』してきたのであるが。


「ユーリの事だから、お菓子の持ち合わせぐらいあるかと思ったけど」

「あったにしても、いきなり見ず知らずのガキにやるような理由がねえよ。何かと思ったじゃねえか、驚かすなよ全く…」

『事情』は既に説明された。エステルが書物で読んだとかいう祭りを実践したらしいが、わざわざ準備期間をを設けてまで、帝都がこのように文字通りの『お祭り騒ぎ』になっているとは知らなかった。


下町で容赦なく揉みくちゃにされたユーリの髪に指先を絡ませて、相変わらずフレンは笑っている。

「…何か嬉しそうだな、おまえ」

「ああ、だってこんな事が出来るくらいには余裕が出来たってことだから」

「ふうん…ま、いいんじゃねえの。菓子が貰いたい放題なんて、いいイベントだよなあ」

「ユーリも参加してくればよかったのに」

「はあ?何言ってんだ、ガキが大人に『いたずらか菓子か』ってやるんだ、ってさっきおまえが」

「トリック・オア・トリート!」

「………………」

「ユーリ、お菓子は?」


最初に出会った子供達よりも数倍タチの悪い笑顔で言うフレンを、ユーリはただ黙って見ていた。

いたずらか、お菓子か。

菓子を持っていなかった相手には『悪戯』をしていいのだ。ユーリは菓子を持っていないからいたずらをされ、この場所へとやって来た。それを知ってわざと聞いてくるフレンの考えなど、手に取るようにわかる。
素直に『悪戯』されてやるのも癪だし、さて、どうするか。


「ふふ、ユーリはお菓子を持ってないんだったね」

じっとりと睨みつけるユーリの視線さえ楽しげに受け止め、フレンがすっと顔を寄せた。唇が触れるか触れないか、ギリギリの距離で囁かれると、かかる吐息が擽ったい。

「…悪戯、してもいい?」

駄目だと言ってもするくせに、と思いながら、それでもユーリはフレンの肩を押した。少し身体を離したフレンが不満そうに唇を尖らせている。思わず笑ってしまうと、フレンはますます不愉快な様子だ。


「…ユーリ」

「まあ、待てって」

フレンを押しやり、窓枠から下りて荷物を探る。目当てのものを見つけ、それをフレンの目の前でひらひらと振ってみせた。

「…何だい、それ」

「チョコレート」

「なんだ…持ってるんじゃないか、やっぱり」

「こんなもん、人にやるわけにいかないだろ」

皺くちゃの薄紙に包まれた食べかけのチョコレートをさらに小さく割って、それをユーリは自らの口に放り込んだ。頬を緩ませてチョコレートを食べるユーリを、今度はフレンが睨みつける番だった。

「君が食べてどうするんだ…」

「んー?欲しいのか?」

「…僕の話、ちゃんと聞いてたのか?お菓子が貰えないんだったら、君に悪戯するだけだよ」

「仕方ねえなあ………」

ぱき、と耳に心地好い音と共に割られた一欠けらを摘んで、ユーリがフレンの口元にその指を伸ばした。今ひとつ納得いかないといった感じではあるもののフレンが口を開ける。
が、ユーリは素早く指を引っ込めると、またしてもそのチョコレートを自分の口に入れてしまった。


「…ユーリ、どういう…」

「ほら」

ユーリの指差す先に、チョコレートが覗いている。
薄く笑う唇には少し溶けたチョコレートが纏わり付いて、その部分だけつやつやと光って見えた。



「………ん…」

口の中いっぱいに広がる甘い味を、フレンの舌が舐め取ってゆく。全て覆うように深く合わせた唇はそのまま、しつこく口内で動き回られて次第に息が苦しくなった頃にやっと離れたフレンに、ユーリが笑顔を見せた。


「両方叶って、よかったな?」

「……足りないよ、どちらも」

「何贅沢言ってんだよ…そういうおまえはどうなんだ」

「何が…」

「トリック・オア・トリート!…お菓子くれなきゃ、イタズラするぜ?」


にやりと笑うユーリにフレンも笑顔を向け、傍らのテーブルに置かれた小さな皿を差し出した。
美しい模様の描かれた紙に包まれた丸い物体は、状況から考えれば菓子なのだろう。だが、ユーリには中身の想像がつかなかった。

「何だ、これ」

「チョコレートだよ」

「へえ…」

一つ摘んで包み紙を剥がし、口に入れた。自分が持っていたチョコレートとは比べものにならない味と口溶けに、ユーリが目を見張る。


「うま…!さすが、騎士団長ともなるといいもん食ってんだな」

「そんな事はないよ。それに、そのチョコレートは別に僕が食べるためのものじゃないし」

「ん?じゃあ他に誰が食うんだよ」

「……わからないのかい?」

それほど甘いものが好きな訳ではないフレンが、わざわざ部屋に菓子を置いておく理由。そんなものは、一つしかない。


「別に、今日が特別だからってわけじゃないよ?食べたければいつでも来てくれて構わない」

「………餌付けかよ」

「ユーリ、もう一つ食べないか?」



そう言って包みから取り出したチョコレートを唇から覗かせ、フレンがユーリを手招きする。


やれやれと肩を竦めたユーリが、フレンの口に噛み付いて瞳を閉じた。




甘い、甘い

それは、至福の瞬間



ーーーーー
終わり
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