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回想…一年前の記憶。

久しぶりの話題書き…
ちょっと暗いです。



話題:身近な死

11月27日。今日は…父の命日。
一年前の今日。
父は、癌で亡くなりました。

入院してから、亡くなるまでわずか3日。
…長くはないだろうと、予想はされていました。
今度の入院が、最後になるかも知れないって―

わたしが父の入院の知らせを聞いたのは、24日のこと。
その日、わたしは京都に旅をしていて…

旅先のわたしのところに入った、父からの電話。

…父は、1年以上前から入退院を繰り返していたから。
だから、その時の衝撃は、あまりなかった。

本気で衝撃を受けたのは、翌日に地元に帰って、父を見舞った時…。

お風呂に入る。
そんな、ごく日常的な行動。
わたしが行ったとき、父はお風呂から上がったばかりだったのですが、息も絶え絶えといった状態で。

…父には、もう体力が残っていない。

その事実を見せつけられた瞬間でした。

父も、わたしにいろいろ話したいことがあったのです。
でも、 あまりにも苦しそうで…
だから。

『また明日、来るから』

…そう約束して、病室を出ました。

そして、約束の『また明日』

…26日。
わたしはまだ、前職場にいました。
午前中に普通に仕事をしながら、
『いつか、父の病院に行くために早退する日が来るのかな…』

…そんな考えが、頭をよぎっていました。
まさか、その日の午後に早退することになるなんて―

母に、ずっと教えそびれていた職場の連絡先を教えたのは、前日の電話。
父を見舞った直後のこと。

思えば…虫の知らせ、だったのかもしれません。
教えた翌日に、緊急の連絡を受けることになるなんて…。

母から、父が危篤状態になったという連絡をもらってすぐ、同じく仕事中だった弟に連絡をして、わたしは職場を飛び出しました。
病院に向かう間、涙が止まらなくて。
…でも、父の前で泣くわけにはいかない。
病院に着くまでに、何とか涙を止めて。

駐車場でちょうど弟に会って…2人でナースセンターへ行くと、案内されたのはICU…集中治療室。

そこには、意識こそあったものの、酸素マスクをされて、苦しくて口も聞けないような状態の父の姿がありました。

…溢れそうになる涙を、無理に押し止めて。
心配そうな顔にならないように、笑顔を作った。

そこで、わたしたちに求められた決断―

苦しくても、長く生きてもらうか。
長くは生きられなくても、安らいでもらうか―

…突然突きつけられた選択。
でも、わたしたち姉弟は迷わなかった。

父が苦しむ様があまりにも辛そうで…
それを長引かせるなんて、出来るはずがない…


薬を打たれて、だんだん意識がなくなって…

わたしの名前を、呼ぶんです。
半分混濁した意識の下で…
その声を、今でも忘れることができません。

…父が亡くなったのは、夜中の2時過ぎでした。



長くなった、そして暗い話題になりましたが…

読んで下さった皆様、ありがとうございました。

遠い故郷

昨日から、新潟に来ています。

新潟は父の故郷。そして、わたしが生まれたところでもあります。

子供のころしかいなかったから、記憶は曖昧でしたけど…
不思議と、空気は変わらないんですよね。
だから、見知らぬ場所のようでも郷愁を感じる―。

懐かしい。そう思える場所。
わたしにとっては、特別と言えるのでしょう。

それにしても、もと地元とはいえ、子供だったから自分で歩いたことがなくて。
ひとまず本家を目指したものの、頼りは地図と、古い記憶。

それでも、迷わずたどり着けたんですよねぇ。
自分で驚いてしまいましたよ(苦笑)
でも、あちこち旅をするようになってから、だいぶこういったことは慣れた気がしますね。
地図を片手に歩くとか…。

本家に着いて、伯父に挨拶して仏壇にお線香を上げて。

そこからは、伯父の案内で再びふらふら歩きました。

歴史資料館とか、展望台とか…。
展望台は31階なのですが、それがまた早いんですよ。
あっという間に31階へ。

海や山が近くて…やっぱり綺麗だなぁ。
港町独特の風情があります。

…あのまま、此方に来なかったらわたしはどうなっていたんだろう?
ふと、そんな風に考えることがあります。

今のわたしとは全く違っているかも知れないし、本質は変わらないのかも知れない。

でも、やっぱり違うわたしになっていたんだろうなぁ…。

…31階から降りるエレベータ…早かった分、上下動に弱いわたしは辛かったのは秘密です(苦笑)

展望台を見てから伯母の家へ。
そちらで夕食をいただいて、なおかつ泊めていただいたわけですが…
従兄弟たちもきて、それはもう賑やかでした。

うん。とっても楽しかったなぁ…。

でも、そちらの家って、子供の頃わたしが預けられていた家で…(両親が仕事をしている間)

子供の頃の、本人が知らない&忘れてるエピソードを散々聞かされて、恥ずかしいや申し訳ないやら…(苦笑)

でも、それって親戚がいるからこそですよね。
やっぱり、新潟はいろいろな意味で特別な地です。
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