佐賀県のホールにて。
オペラ「魔笛」の2幕の幕が上がる。
いつもと変わらない、バラしまで何もない暇な時間。
ただステージを眺めてトラブルが起こった時だけ反応する、そんな退屈な時だ。
けれど今日はふと携帯が震えていることに気付いた。
いつもはバラし終わりまで無視するその振動が、何故か今日は気になった。
周りに気付かれないように携帯を取り出せばメールではなく着信のマーク。
誰から?
開いてみると母親の携帯。
嫌な予感がした。
大抵のことはメールで済ませるおかんが電話してくるなんて。
舞台袖から楽屋口まで移動して留守電を再生する。
入ってきたのはいつもの飄々とおどけたような喋り方ではなく明らかに動揺した声。
『隼兎、チャック首吊って死んじゃった…』
予感が、当たった。
でも予想はしてなかった。
『してやったり』という顔の黒犬。半年前に会ったきりのヤツの訃報。
ある日「飼え」と押し掛けてきた野良犬。
縄抜け、錠抜けが得意で脱走の名人。
ルパン犬、脱獄犬と呼んで、チャックの話を人に聞かせるのが自慢だった。
犬の癖に猫みたいなヤツで妹ともう一匹のマリルと異様に仲が良かった。
小食で熟女好きで暑いのに弱くて雪が苦手で草に飛び込むのが大好きで…
あげだしたらキリがない。とにかくネタに事欠かない犬だった。
お前、まだ寿命先じゃんよ、何やってんだよ。
半年も会ってないのに。年末帰るのに。
あれが最後になるんだったらもっと撫でくり回して写真撮っておくんだった。
一回くらい撫でさせろ、アホ。火葬だってさ、次会うとき骨じゃん。お前のサラサラの毛触れないじゃん。
脱走しようとして首吊っただ?ほんと、馬っ鹿だなお前。
なんで私ツアーバスん中でフード被って泣かなきゃいけないんだ、お前のせいだぞ馬鹿犬。
妹は硬直したチャックを見つけてわんわん泣いたらしい。
でも毎日一緒に居られたから悔いはないそうだ。
私は逆。後悔だらけだ。
でも、あいつの死に顔は知らない。
ルパン三世のようなヤツの「してやったり」な顔だけだ。
脱獄名人な癖に捕まり方はマヌケだった馬鹿犬。
じゃあな。ば〜か、大好きだ。
2010-11-19 16:17