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ホルモン料理店の説明

そこへ、表から、飛田が帰つて来る。洋服を着てゐる。
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底野  おい、トンビ、今、そこで誰かに会つたらう。
飛田  うん、会つた。
底野  どうだい。おれのこと、なんか云つてたか。
飛田  いゝや、別に……。これから現金でなけれや、一切配達はしないつて断りやがつた。
底野  なんの配達?
飛田  米でも炭でもさ。
底野  米? 炭? なんだ、それや。相模屋の御用聞か。
飛田  さうさ。例のエヘヽヽつて調子ぢやなかつたぜ。

 

ニュース情報提供サービスについて

もしイデオロギーがそういうものならば、なる程彼の云う通り、農民戦争や宗教改革に於ては、イデオロギーなどは無かったに相違ない*。
レーデラーによるイデオロギー論としての文化社会学は、彼自身の意志とは関わりなく、要するに「文化社会学」であって、(マルクス主義的)イデオロギー論[#「イデオロギー論」に傍点]などではない。それは単に――又しても――精神の社会学[#「精神の社会学」に傍点]に外ならなかっただろう*。実際レーデラーによれば、「文化の社会学的考察は哲学的唯物論[#「唯物論」に傍点]と、原理的には何の関係もない」のである**。――この状態は吾々に何を物語るか、外でもない文化社会学が「文化社会学」である限り、イデオロギー論[#「イデオロギー論」に傍点]となることが出来ない、という既に述べた一つの事実である。だが一方文化社会学は――レーデラー自身も企てたように――イデオロギー論となるのでなければ、文化社会学でさえあることが出来なかった、それも吾々はすでに見ておいた。
H・フライアーは文化社会学を「精神的文化の実在社会学」、「精神の実在科学」等々として規定する。そして「真に正しい形態のイデオロギーの問題」がそこでこそ取り上げられ得ると云うのである。――だが彼によれば、マルクス主義的なイデオロギー概念は、精神的連関に何等の積極的な役割をも与えない処の袋路に過ぎない。それに一体マルクス主義は、あまりに時事問題中心的であり、闘争中心的であり過ぎていけないそうである――吾々はレーデラーと殆んど同じ態度の「マルクス主義」をM・アードラーの知識社会学の内にも見出さねばならぬ。「知識の社会的構造」は「経験の先験的に社会的なもの」である、社会とは、カントの空間や時間や範疇と同じに、「先験的(先天的)図式である。

麻類卸の説明

その残りの全部は、労賃と利潤の形であろうとまたは地代の形であろうと、土地からの剰余生産物と考えてよいのであり、それはその分量の多少に応じて一定数の人間に生活資料と衣住の材料とを与えるものであり、これを与えられる者の中には、肉体労働をせずに生活する者もあろうし、また土地から得られる原料を人間の欲望満足に最も適する形に変形することに従事する者もあるであろう(訳註)。
〔訳註〕以上二パラグラフの中には、前の諸版から書き写された部分がかなりにある。第十章末尾に附した前版の分の中その第九章中の訳註でその旨指摘してある箇所を参照。
云うまでもなく、ある国が主として農業国と考えらるべきか否かは、その剰余生産物の一部を国内では消費せずに外国貨物と交換するのがその国にとって適当であるか否かによって、全く決定されるであろう。そして粗生生産物と工業品との、または特殊の外国生産物とのかかる交換は、穀物を輸出するという点を除いてはポウランドにほとんど似たところのない国にとっても、相当期間適当なことであろう。
しからば、住民の勤労が主として土地に向けられ、穀物が引続き輸出される国も、その特殊事情に応じて、大いに豊かに暮すこともあれば大いに欠乏に悩むこともあるということが、わかる。これらの国は一般に、季節の変化による不作の一時的害悪を蒙ることは多くないであろうが、しかし労働者に永続的に与えられる食物の量は人口の増加を許さない程度であることもあろう。

ビストロについて思う

昔の哲学は近代の商人により学者により商店員により、ずん/″\と破壊されて了ひました。そして東京は最悪の都会となつてしまひました。同じ都会でも上海などはまだ立派であります。それはヨーロツパ文明の伝統が残つてゐるからであります。そこには自ら哲学が潜んで居ります。然るに、東京はたゞ利益を支配のために出来た都会で、少しも美を発見することは出来ません。
フランスにパンテオンといふ立派なお寺がありますが、こゝには国家の功労者の死骸が沢山祭つてあります。先は亡くなつた社会党のジヤン・ジヨレスの死骸もこゝに祭られました。この寺が出来る時のことであります。技師が見事なひさし[#「ひさし」に傍点]を考案してくつゝけた処、どうしたはずみか完成に近づいた時、突然落ち潰れて了いました。それを見た技師は驚き且嘆いてその結果死んでしまつたのであります。一つのひさし[#「ひさし」に傍点]にもこれだけの真心をこめてゐた技師の心は何と羨しいではありませんか。更に私が感心することは、その後を受けついだ技師が、前任技師の設計をそのまゝ用ひて寸分違はずに前任者の計画通りに実現したといふことであります。もし後任技師が支配慾の強い人であつたならば、必ず前任者の案を葬り自分の設計を用ひたであらうと思ひます。実に美くしい名工の心であります。
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