夏の熱に浮かされるように、ひたすらに何かから逃げては追われてるかのごとく、終わりのないテトリスをしている状態の毎日だ。

欲しかったものほど手に入ると恐ろしくなるのは、「誰のこともすきになれないよ」と言わせてしまったことへの贖罪なのか。それともそれすらが呪いなのか、検討がつかないままだ。
再三、終わりがないことを祈っては悲しんでいるけど、何が愛で何が恋なのかなんてとっくに忘れてしまったよ。
愛欲に溺れている時だけは、地球の自転からも世の中の正しいとされるルールからも逃れられるから本当にどうしようもないよ。






一番にはなれないから一番愛せる私と、一番になれないとわかっていながらも一番なりたいと願う人の正しさは、どっちの方が罪深くて浅ましい人間なのだろうか。

ごめんね、はいくらでも吐けるけど、どんなに経ってもすきだよ、だけは言うことができないし聞くこともできないことのみが私の聖書には刻まれている。