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九月は呪縛

最近、何となく音楽を聴くようになって、特にくるりの「三日月」を何となく繰り返し飽きもせずに流している。

電車の中や人混みの中は一番ひとりだなって感じられる瞬間でさみしくてさみしくて今ここで「助けて」と叫んだら誰か抱き締めて手をつないでくれないかなって思いながらイヤフォンをつける。
この思いを形にしても出来損ないの何かになって二割も満たない不恰好のそれを大事に抱えて生きている。


どうか、どうか、お願いだから笑い飛ばしてそのまま瞬いて。


好きになれるのは一番じゃないから。
他の大勢よりは好きだけど、手に届かないひかりのなかで僕らはそれを愛と名付けて生きていくだけ。




仮にこれが愛だとか恋だとかの類ならどこにも救いは無いんだろうね。
でも、そんな崇高なもので数えたら世界は飽和して消えちゃうからただ一過性の病くらいでいいんだよ。

勘違いするには歳を取りすぎたし、現実のことも知り過ぎた。
そっと抱き締めて愛を紡いで赤い糸で互いを縛れたらそれは一つのしあわせなのだろう。嫌いにならないで。しあわせになって。祈りに似た挨拶で部屋を出よう。


ざわめきも積もるさむさもかなしみもよろこびも全てまとめたら回り回って一片のひかりになるだろう
今日もやさしいせかいになりますように
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