どんな話を聞こうが、結局のところとても好きなようなのでどうにもこうにも。変に耐性付いてきたというか慣れてきた感もあるけど

そりゃまったく心がざわつかないと言えば嘘になるが、べつになあ、ヤりたいわけじゃないからなあ

それに自分からお出掛けに誘ったりはたまたその逆もあったりと、お互いに気兼ねなく声掛けられるような間柄にまでなれてきたので、それなりにしあわせ。ちょこちょこ夜に長電話することもあったりでたいへんにしあわせ。しんどい〜って時にSOS連絡してくれるようになってきたのも内心すごく安心している。私じゃなくてもいいんだけど誰かを頼れるのはとても大切なこと。大体いつも酔っ払ったまま対応しちゃってるから申し訳ないんだが

恋愛感情やら友情やら問わず、アナタと仲よくなりたいんです〜的好意を全面に押し出し続けて損したことは基本的に無い(と思う)ので、好意の出し惜しみはあんまり人に対してやらないようにしている。そりゃあ「うわこの人めっちゃ絡んでくるうっぜ」と思われるリスクもあるけれど、なんなら私がそういう風に感じることが多々あるけれど、「この人自分のことめっちゃ好きなんだな、この人にならまあそれなりに弱味見せたり頼っても許されるだろ」と心を許してもらえたり甘えてもらえるのは有難いものだ。まあなんかこう良いように使ってくださいな私のことなんてそれが本望ですってな心持ち。私も私で色々頼ってるしね

そんなこんなで明日(てか今日)急に二人でお出掛けの予定が舞い込んできたのでヘタしたら途中寝落ちする可能性あるからいい加減寝なければならないのだけど、休みの日ってホラ、どうしてもホラ、夜更かししちゃいますよね

あんまり深みにはまらないようにとだけセルフ釘刺し

関係ないけど、異性愛はいわば本能に従っただけに過ぎないかたちであり同性愛こそが本能を超えた真実の愛の証明である、的な言葉をセクマイ(詳細は知らない)の知人が発していて「ぴゃーこの人めんどくさそー」と内心げんなりしてしまった数時間前

いやまあ私が本能とは愛とは異常とは、みたいなことをお話のネタにでもならんかしらん?とダラダラ書き殴ったソレを読んでのご意見なのだが、べつにぼく同性愛至上主義者でもなんでもないし、己の幸福追求のために他人の幸福(誰にも危害を加えないもの)を尤もらしい理由で難癖つけるガイキチ共はマジクソ的なことが言いたかっただけなんですけれど。おそろしいわあ

“本能”の定義によるけど、そのワードを振りかざして自己の主張を強化しようとする方々がお使いになる意味合いでの“本能”を、私たち人間は本当のところ持ち合わせていないorいつの間にやら(理性や情緒・社会観念などを手に入れ始めるのと反比例して?)消失してしまったのではないか。わりとそう真面目に思ってる