咽び泣く紫の花 : aria : bookmark


2013/1/8 Tue 19:57

灰かぶりにも未来があるはず




敬愛する梨木氏のご本。

題名の通り、エストニアを旅した旅行記です。



嗚呼、久々に、この方の言葉に触れました。

旅行記なので些か説明が多く、途中退屈に思われる部分も無くは無かったのですが

梨木氏のご本に特有にある、
爽やかな風、湿り気のある静けさ、温かい食べ物の匂い、
清らかな土の気配、明るい午後の日光、早朝の霧の涼しさ、

そういうものが、表紙を開くと広がって、なんともいえない気持ちになります。


このひとの書く、時代とか世界とか人類に対する抗議や疑問は
いつでも以外な目線から鋭く入ってくる。

それでいながらその抗議には
傲慢な押し付けがましさや苛烈なエゴイズムがない。
ただ、静かに問いかけるだけ。

問いかける、というよりは
小首を傾げながら、ちょっと独り言を言うような、そんな風情。

そしていつも、
しょうがないなあ、という優しい呆れたようなため息が漂っている。

絶望ではなく、完全な諦めでもなく。


鋭いアンテナと広い視野をもって
自分の世界以上のところに想いを馳せているのに
自分の両腕で届く範囲、両手で持てる以上のものまで
変えよう、変えられる、なんて野心は持たない。 


小説家なんて、空想の羽を伸ばして遠くまで飛んでいくような仕事なのに
一方で、庭仕事だとかお惣菜作りという、
とても小さな世界の中の地に足着いたことが好き、という
この方のアンバランスさは、こういうところから来ているのかしら、と思う。


それは、実はとても難しいことだと、私は思うのです。
だから、憧れる。




印象深かったシーンは、著者が過酷な内容の本を読んで
「辟易を通り越して胃が重くなり」、
一緒に買っておいた軽い内容の本を読んで
「少しバランスを回復したところで就寝」した、というところ。


私は感受性が強すぎるのか、やたらと感情移入をしすぎるのか、
映画を観たり本を読むときによくこういう状態になるので

"バランス"という私もよく好んで使う表現であらわした梨木氏に、
思わず嬉しくて微笑んでしまいました。


こう申し上げては大変おこがましいでしょうけれど
昔から梨木氏とは感性が合うようで、
それが梨木氏のご本の虜になったきっかけでした。

「西の魔女が死んだ」で読んだ
エレベーターでどこまでも落ちていくような気分、
というような表現が、恐ろしいほどすとんと胸に落ちたのを覚えています。


梨木氏のご本は、おそらく初期のいくつかの小説を除いて
万人受けする作品ではないような気がするのですけれど
現代では数少ない、"エンターテイメント"ではない"文学"を書く作家さまだと信じております。



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