2月は、ばあちゃんが意識を取り戻したこともあって、落ち着いた日々を過ごしていた気がする。母やじいちゃんは毎日病院に行っていたけれど。

因みに意識を取り戻したあとは普通の病室に移動できるくらい元気になって、勝手に出歩けないし人工肛門だし食事制限もあるけどよく喋るし調子が良さそうだった。そんなんだから私も仕事とか会社行事とかあってあまり病院に行かなかったし安心しきってた。

最後に話したのは2月15日。容態が急変したのは2月末。そのとき私がどう生活していたのか覚えていないけど、2週間近くばあちゃんに会っていなかった。

ばあちゃんは人工透析中に意識が無くなって、また手術をした。また腸を切った。そして意識は戻らない。最初は目が開いていて、キョロキョロと動いていた。手も少し動いた。皆が話しかけると、反応してくれたような気がした。また目を覚ますんじゃないかって思った。でも日に日に反応もなくなり目も閉じてしまった。

3月は他拠点への応援とかで仕事もまあまあ忙しかった。7日はRADWIMPSのライブだった。だけど朝、母から電話があって、『ばあちゃん、もう危篤かもしれない』って言われて、病院に向かった。でもその日は結局大丈夫で、相変わらず意識はないけど落ち着いたみたいだった。ただ、医師から言われたのは、意識が戻る見込みはないとのこと。人工透析を24時間行っているがこのままでは植物状態。もって2週間。あと人工呼吸器をつけないと感染症とかを引き起こす可能性があるということ。じいちゃんはもうばあちゃんの体に傷をつけたくないと、呼吸器の手術はしないことにした。ずっとばあちゃんが元気になってまた家に帰ってくることを望んでいたじいちゃんが、現実を受け入れ始めたのはこの頃。皆でごはん食べに行ったりして、じいちゃんを慰めた。

とりあえず、RADWIMPSのライブは行けました!ステージ近くのスタンドで、とても楽しかった。ただ、歌の歌詞がときどき、じいちゃんやばあちゃんと重なって涙が出た。とても良いライブだった。頑張ろうって思えた。

19日20日はiKONの横アリライブ!初めてぼっち参戦して、初めてツイッターで知り合ったひとと会った(^○^)次の日は姉とアリーナ参戦してくっそ楽しかった。辛い現実はあるけれど、こういうときは心から楽しめた。

このライブのあとすぐ、ばあちゃんはICUから個室に移された。助かりようがない人がここに来るんだって母が言ってたから、そろそろなんだなって思った。23日が休みだったので、母とじいちゃんとばあちゃんのところに行った。因みにふたりは前日から泊まっていた。この日は先生が『ご家族の方も疲れてるだろうから帰っても大丈夫ですよ』って言ったので、みんな家に帰った。この日、生きてるばあちゃんと同じ空間で過ごした最後の日になった。

3月24日 AM6時10分
ばあちゃんは天国に旅立った。
私はまだ寝ていた。母から電話が来て、
『ばあちゃんさっき亡くなりました。今から帰るから線香あげに来てやってね』って伝えられました。『わかった』って言って電話を切ったあと、たくさん泣きました。8時くらいにじいちゃんちに行って、ばあちゃんと会いました。ばあちゃんは生きていたのに、顔に白い布が被せられているのが不思議でした。亡くなっているのに受け入れられなくて、だからなのかその日会社に行っても泣かなかった。週末は棚卸しだったから会社も休まず行って、通夜と葬式の日だけ休んだ。

通夜の日は前から車の納車やら電話線の工事やら入っていてバタバタ、、。無事に車を手に入れて嬉しかった。

そしてじいちゃんちへ。納棺の儀はとてもつらかった。泣きたくないのに涙がたくさん出た。痩せ細ったばあちゃんを見るのは本当につらい。

次の日のお葬式はたくさん泣いた。棺桶にお花を入れるときに、母が泣きながらばあちゃんに『ばあちゃん、ありがとう』って何回も言っていた。それを見て涙が止まらなかった。あとから母が言っていたけど、ばあちゃんといつも一緒にいたのは母で、生きているときはきついことばかり言ってしまったけれど、ばあちゃんのこと大好きだったんだなあって。こんなときでも笑顔で明るく接する母だけど、その悲しみは計り知れないと思った。

ばあちゃんはとても強かった。3日と言われた余命を2ヶ月伸ばした。常に生きようと頑張っていた。誰よりもじいちゃんを愛し心配していた。どんなに痛かったのか、辛かったか、想像もつかないけど最後の数ヶ月は誰よりも強く生きていた。そんな強いばあちゃんがとても誇らしい。