うらやましいという気持ちは劇毒みたいですね。
うらやましい、と思った途端、自己嫌悪で殺される。
しかも、私のうらやましいは浅はかで、最低なものばかりで、自分は汚い人間だと思い知らされるばかりです。自分がきれいな人間だと、やさしい人間だと思っているわけでは決してないけれど、私はこんなにも小さな虚しい人間だったのかと打ちのめされている。

病気を理由にできる人はうらやましいと、思ってはいけないこと、思ってしまって、とても死にたいんです。鬱は甘え理論の人を軽蔑していながら、私もどこかで甘えるなと思ってしまっている。口に出さないだけで、本当はそう思っていることに気がついたんです。

私だって、死にたくても体調悪くても過呼吸おこしても仕事に出て、気が狂いそうになれば腕を切り、薬をたくさん飲んで誤魔化した。それは何一つ正しくないのに、そうやって頑張ってきたと、自分を美化して、他者にもどこかでそれ以上を望んでいる自分がいた。最低ですね。はは。死ね。

そうしなきゃ、そうでもしてお金を稼がなきゃ、生活ができなかったから、と今まで自分を正当化してきたけれど、それは嘘なんです。私は怖かったんです。普通の人みたく学校に行けなくて、自尊心が死んで、あたりまえのことができなくて、自分がいらない人間になっていくのが怖かった。普通になりたかったんです。社会から逸脱してしまえば、みんなに見捨てられる、本当にいらない人間になってしまうという思い込みだけで、最低な方法ですがっていただけなんです。だけど、それでも、私は最低な人間のままで、歪みきったこころがただただ虚しい。いっそのこと壊れてしまえばよかった。壊れることもできずに、最低なまま生きるしかないのは、とても虚しい。

できること、できないこと、みんなそれぞれ違うからいいんですよ。無理しないで。そう口では言いながらも、こころのどこかでいい年しながらそんなことで甘えんなって思ってしまったのは、本当はうらやましいから。つらいとか、できないとか、それを主張しても許されて、自分を傷つけなくても許されて、甘えられる人がいて愛されて、働かなくても頑張らなくても生活が保証されていて、負うべき責任もなくて、私あなたがうらやましかったよ。

一日中床に寝転がりながら、愛されたいなあと思った。ちょっと泣いて、浅はかで醜い自分の重さで身動きが取れなかった。愛を知らない人よりも、愛されているのにそれを感じられない人間のほうが悲しくて、かわいそうだ。それでも生きていくしかないんだろうなと思う。明日も私は仕事に行き、笑っていろいろなことを誤魔化していく。それしか生き方が分からない。上っ面をきれいにしようとつぎはぎ、いろんなものをくっつけたら中から出られなくなった。つくってきた表面もきれいとはほど遠くて、途方に暮れるばかり。あーあ。