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2013.8.8 Thu :未来
夏のご用心2


「蓮くん」


どうにかこうにか思い止まらせようと説得を試みる月森を、香穂子は真っ直ぐに見上げた。


「私、本当に平気だよ。熱もちゃんと下がったし、お医者さんにももう大丈夫だって言って貰えたんだから」

「そうかもしれないが」


大概のお願いは何だかんだと聞いてくれる月森も、今回ばかりはなかなか折れる気配もなく…
香穂子はちょっと息を吐いた。


自分にも他人にも厳しいのかと思っていた月森が、本当はとても心配性で、
口やかましく注意や忠告をするのも、実はそのせいなのだと気づいたのは、いつの頃だったか。

とくに香穂子に対しては、昔から、時に過保護ともいえるほどの用心ぶりなのだ。

今も、常日頃、標準装備しているポーカーフェイスもどこへやら、心配な気持ちを全開にしてそばにいる。


「私…」


香穂子はそう切り出しながら、ソファの上に置いていた楽譜を手に取り、そこへ腰掛けた。

リビングで、明日のために見返そうとしていた楽譜。

それが、今のこの状況を作った切っ掛けだった。



「私ね、明日のことスゴく楽しみにしてたの。だから、どうしても弾きたいの」


月森だって、その気持ちはよく分かっていた。

近所の子どもたちを招いて、母が自宅でミニ演奏会を開くと言ったときにも、真っ先にそれは素敵だと顔を輝かせたのも香穂子だった。

それは、いわゆる嫁としての気遣いなどというものでなく、本心からの発露なことは分かりやすいくらい明らかで。

その日から毎日、楽しそうに香穂子は家事もきちんとこなしながら、熱心に繰り返しヴァイオリンの練習を重ねてきたのだ。


その証しに、香穂子の首元…ヴァイオリンを構える鎖骨の上辺りには、まだ新しい赤い跡が残って見える。

じっと見上げる香穂子の瞳が懇願の色を映した。


「蓮くん… お願い」


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