誰かの願いが叶うころ





新年も明けたところで、少しおはなしを。






2011年、いろんなことがありました。




たくさん泣いたし、それ以上にたくさん笑いました。



迷いと葛藤がつきまとい、苛まれることはもはや日常茶飯。




優しい気持ちと、不穏な気持ちを抱えたままの年越しでした。





そんななかで、いちばん強く感じたのが、タイトル通りのこと。




誰かの願いが叶うころ
あの子が泣いてるよ

みんなの願いは同時には叶わない





これは震災とかそういうところだけでなく、わたしの身近、取るに足らないささやかな日常にもそれを感じました。






自分が意識しないところで、もし誰かを不幸にしていたら。


これは、誰かにはっきりと恨まれるよりも、こわいこと。


だって、誰にも言ってもらえないから、わからないままじゃない。


自分が誰かを不幸にして、それを知れたならまだ後悔もできたものを。



そしてそういう立場にいながら、のうのうと過ごす人を、わたしは愚かだな、と思ってしまった。

わたしが、いろんなことを気にしすぎてしまってネガティブになるのは、そうやって気付けなくなるのがこわいから。




細美さんじゃないけど、恨まれることもできない人間になりたくない。










そういえば、まえに毒は毒にしかなれない、と友だちに言ったことがある。


でも、毒の人は、他の人が毒なのか薬なのかもわかると思うの。


薬だって、突き詰めれば毒みたいなものだから。

逆も然りで。

両極にいながら、表裏一体。



ただ、毒にも薬にもならない、単なる無害な人にもなりたくないなぁ。





わたしは、無害な空気が苦手だ。


無害な空気をつくる人自体よりも、その空間が。





だって、そこには本当に何にもないから。




意味ある空白は必要。


むしろ、空白の時間が重要な環境に身を置いているしね。




でも、意味のない空白はいらないと思う。



…なんて、わがままなだけかなぁ。


でも、同じ空白の時間を過ごすなら、ね。










とりあえず。


わたしは毒を極めてやろうとは思うけど、今のわたしがもつ弱い毒が、めぐりめぐって誰かの薬になるならそれもいい。



そんな感じで、2012年もやっていきたいです。





うーんなんかまとまってないけど、まぁいっか。←



そんなこんなで、今年もどうぞよろしゅうお願いします。



でわでわー



         




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