スポンサーサイト



この広告は30日以上更新がないブログに表示されます。

     寂寞の薫り

病ん病んyummy!
相変わらずメンタルがヘラっているAkashiです。

さて。
すっかり忘れてしまった方も、まったく御存知ない方もいらっしゃることでしょう。このブログのジャンルが小説/創作であることを。

そんなわけで。
たまには小咄…と、いっても突発的に書いた乱文ですが。


 すっかり痩せてしまった枝を揺らす風は冷たく、私の身体ばかりか、ぽっかりと穴が空いてしまった心をも冷やしていく。嗚呼、寒い。とても寒い。

「此方の方が暖かいでしょう?」

 鉄骨とコンクリートの街の人間はよく、雪國で生まれ育った私にこう問うて来る。確かに気温は彼方の方が低い。毎日のように雪も降る。然れど、風は此方の方がずっと冷たい。此方の方が、ずっとずっと寒い。

「いいえ、此方の方が寒いです」

 そう言って悴む指に息を吹き掛けると、白い靄はふわりと漂って消えていった。見上げる灰白色の天上は厚く、重い雲を冷たい風が押し流していく。
 ふと、懐かしい煙草の匂いが掠め、其方に目を遣れど懐かしい姿はなく。少し草臥れたスーツを纏った中年男が、私の傍を足早に過ぎ去って行った。

寂寞の薫り
嗚呼、寒い。

FIN.



世に流通している煙草も、自動車も、洋服も、香水も、柔軟剤も、その数なんて高が知れていて、貴方に似た後ろ姿を捉えることや貴方と同じ薫りと擦れ違うことは日常茶飯事。
それでも私が望む本物に会うことはなく、勝手に絶望する度に死にたくなる。

ではでは。
夜泣き癖が再発してしまったAkashiでした(^O^)/

        歯車

要するに、気が付くと九割九分九厘の確率で誰か死んでいるという短篇作品集なのです。』より、バックアップとプロモーションを兼ねて最新作をば。

御覧あれーヽ(´∀`)ノ

歯車

 

 

 

歯車
滞りない世界の部品

FIN.

すっかり忘れ去られておりますでしょうが主軸は文学なので、久しぶりに小咄でも。

そんなわけで夜分遅くにコンバンハ
社会の歯車ことAkashiです。そろそろ壊れます。廃棄寸前です。

何とゆーか。
働くって大変(ゝω・)☆

どうやら世間は三連休らしいという噂を小耳に挟んだものの、ブラック企業に勤める私には無縁なようで。
要するに明日(正確には今日)もお仕事です。

シニターイ!

兎にも角にも。
今の職場は完全に旧態依然。

上司や管理職は口を開けば「自分が若い頃は〜」を連呼し、スポ根運動部が如き上下関係の押し売りも然ることながら、勤務時間終了直後に退勤することも良しとしない原始人のみで、
某デーモンさんのような「致しません」が通用しないどころか、致さなくても良いことをも致さなくてはならないブラック振り。

もうね、
ダサイことこの上ありませんm9(^Д^)

ではでは。
あまりの時代錯誤振りに自分こそが時をかける少女だったのではないかと思い始めているAkashiでした(^O^)/

   ECSTASY

要するに、気が付くと九割九分九厘の確率で誰か死んでいるという短篇作品集なのです。』より、バックアップとプロモーションを兼ねて最新作をば。

御覧あれーヽ(´∀`)ノ

ECSTASY

 

 湿

 

ECSTASY
微かな死の果てに、
確かな死と果てる。


FIN.

Once upon a time,
貪欲プリンセスは言いました。

曰く、「それが誕生日の不思議なところで、誕生日は毎年来るのよ」と。

まさしくその通りで。
摩訶不思議なことに誕生日は本人の了承を得ることもせず、今年も意気揚々とやって来ました。そして私は老いました。

とゆーわけで。
今回の小咄毎年恒例の誕生日企画薬物ダメ、ゼッタイ。シリーズのコラヴォレーション☆

御覧いただいた通り、エクスタシー(絶頂)に掛けてアクメ(小さな死)なんて言葉を出してみたり、更に「小さな死」と「確かな死」で韻を踏んでみたりと、相変わらず面白みのない諧謔ばかりの拙作です。

が、しかし。
それでも何でも暇潰しにでも!
読んでいただければ幸いです(*´∀`*)

それでは改めまして。
ゴールデンウイーク明けの倦怠感に悶える皆々様ごきげんよう!
疲労と生理痛と上階住人の騒音に苦しめられているAkashiです(´^ω^`)

とりあえず疲労と生理痛は置いといて。
あのね、真上かどうかはわからないんだけどね、上の階に住んでいらっしゃる方がね、糞うるせえのね!!!

時間帯は決まって23時〜2時頃の数十分間。平日であってもお構いなし。
最初は巨漢が歩いている音かと思ったけれど、数十分と続くものだからどうやら違うようで。
例えるならドリブルをしているように規則的で、室内を右往左往しているように変則的。

鈍い音が天井から降って来る深夜、
どうして眠れるだろう。(反語)

ではでは。
もはや隠遁したいAkashiでした(^O^)/

  狭隘なる世界より

要するに、気が付くと九割九分九厘の確率で誰か死んでいるという短篇作品集なのです。』より、バックアップとプロモーションを兼ねて最新作をば。

御覧あれーヽ(´∀`)ノ

狭隘なる世界より

 人格が多種多様であることを承知した上で、何故これのカテゴライズを試みるのか。
 個人が個人として尊重されるべき世において、その人格が正常か否か判断することは果たして、個人を尊重していると言えるのだろうか。
 例えば、フロイトによる精神分析の根底は性欲とされているけれど、その欲求を持ち合わせていない私を彼はどれにカテゴライズするのだろう。個人が定めた範疇や型に嵌まらない個人は必ず存在するというのに、それ故に“精神異常”の烙印を押されてしまうとは嘆かわしい。
 他人の基準に沿って信条を曲げなければならない世に自由はなく、私という個人と私という人格は世に否定された。確かに、殺人に関心を持ち、殺人に快楽を見出だした私は人道に外れた人間なのだろう。しかし、では、人道とは何か。
 人の道とは実に曖昧である。善悪も同様で、場所によっては本来は悪とされるものが善とされる。貧しき者に盗品を配り歩く義賊や、戦場で敵対する幾人もの生命を奪う兵士などが良い例で、彼等の行いは善とされる。だから私も一応そのセオリーに則って、世間一般に“悪人”とされる人間に限り殺してきた。罪を犯してなお、のうのうと生きている者だけを殺してきたのだ──が。
 社会の害悪を駆除してきた功労者でもある私の腹に包丁を突き刺し、眼前に佇む少女は私を“極悪人”であるとか何とか口悪く罵った。悪を極めた覚えはないのだけれど、どうやら彼女の父親を殺したことの復讐らしい。定職に就かず、ギャンブルに明け暮れ、昼間から酒を煽っては周囲に暴力を振るう。彼女もまたその暴力に晒されていたというのに、「それでも父親には相違ない」と呆れるほどに素敵な愛情を語っている。

 欲を満たすため、憂さを晴らすため。
 理由は違えど、私と少女は世間一般から“殺人犯”という蔑称を与えられ、同類として括られる。しかし、さらに細分化するにあたっては親の仇を討った正常と殺人に快楽を見出だす異常。結果的に世論は少女を善として、私を悪と見做すに違いない。
 果たしてそれは正解か? ──など、訝しむ私はやはり異常なのだろう。何せ人間は人間のカテゴライズに正誤を求めていないのである。
 まったく人格は多種多様で、故に理解し難く、カテゴライズを試みることそれ自体に無理がある。けれども、カテゴライズせずにいられないのが人間で、アベレージから外れたものを良しとしない。世に個性など要らないという本音が私の否定に通ずるのであれば、この結末は至極当然なのだろう。出る杭が打たれてしまうように、私という精神異常者を淘汰する。それが世の常で、平俗で、凡庸で、すなわち普通である。
 つまるところ、私は種々雑多に分類されることを望み、この結末を迎えることもまた望んでいた。可もなく不可もなく生きることが敵わなかったからこそ、誰にも等しく訪れる死を望んでいた。

 だから私はそう、これからは私が私として、自由でいられる世界を彷徨うこととする。


生は誰をも区別するが、
死は誰をも差別しない。


FIN.

要するに似非哲学的小咄
その実は世間への不平不満←

二次まである試験の一次を受けたとき。
怠慢な私は案の定、勉強不足のまま一次試験に挑みました。倍率は7倍。

手応えは無論なく、自己採点は去年のボーダー以下という散々たる有様。
当然パスするはずはなく、とはいえ悔やまずにはいられず。自己嫌悪して情緒不安定になっておりました。

が、しかし。
結果は何故か一次合格( ^O^ )わを!

これまでの悪い予感はことごとく的中。
故に今回もまた当たるだろうと思っていたので驚愕恐悦狂乱

嬉しくて嬉しくて嬉しくて堪らなくて私は号泣した…と、ゆーのに!
周囲の反応は予想に反してGOKUUSU

why?と思ったら。
0.02mmにも及ばぬ薄さの理由は友人曰く「Akashiは頭良いし何でもそつなく熟すから、どうせ受かると思ってた」だと。

ぶっちゃけ全く嬉しくないです。
おかげさまで感涙した私が馬鹿らしく思えてきたわ/(^O^)\


他人による高い評価が、必ずしも快く感じられるとは限らないもので。
「贅沢言うな」とお叱りを受けそうですが、私はただ、私の歓喜を友人に共有して欲しかったのです。

私は傑物じゃないし、むしろ程遠い取るに足らない存在で。
だからこそ周囲の評価が身の丈に合わない高さ故にプレッシャー(XДX)おええ

ではでは。
他人の評価はとことんアテにならないと実感したAkashiでした(^O^)/

    児遺‐コイ‐

要するに、気が付くと九割九分九厘の確率で誰か死んでいるという短篇作品集なのです。』より、バックアップとプロモーションを兼ねて最新作をば。

御覧あれーヽ(´∀`)ノ

児遺‐コイ‐

「とあるモラリスト曰く“恋は燃える火と同じで、絶えず掻き立てられていないと持続できない。だから希望を持ったり不安になったりすることがなくなると、たちまち恋は息絶える”のだそうだ」

 二人の出会いは風俗営業法をまるで無視したナイトクラブ。
 互いの素性を知る前にカラダの相性を知るような恋であったからこそ、高濃度の酸素によって着いた火が一瞬にして激しく燃え上がるように情熱的であったのだけれど、その一晩に勝るドラマチックに欠けた恋が燻るのもまた一瞬で。移り気な男が去った部屋に帰れば、彼によく似た男児だけが女を出迎えた。
 男の情欲を情愛と勘違いした結果が、自身が如何に浅薄であるかの具現が、健やかに動き回って朗らかに纏わり付く様が鬱陶しい。片親になって以降、我が子に募る感情は慈愛よりも憎悪の方が遥かに強く。あの男を彷彿とさせる仕草をする度、何の落ち度もない幼子にどうしようもない怒りが込み上げた。

「恋の果てに実ったからとてオマケではないのだよ。恋が息絶えたとき、捨てることを許されるのは相手から貰ったモノや思い出だけだ。私が言っていることの意味がわかるか?」

 女は、母は、昼も夜も暇も欲もなく働き通した。それでも生活は決して豊かとは言えず、わがまま盛りの幼子は来る日も来る日も疲弊した彼女に不平を吐露した。アレが欲しい、コレが欲しい、チョコレートが食べたい、ピーマンは食べたくない。
 履歴書の空欄を持て余す女が在り付ける職種など高が知れていて、けれど実入りの良い仕事は少なくなく。幸い容姿に恵まれていた女は、女を商売道具とする煌びやかな世界に足を踏み入れた。当初の目的はもちろん貧しさからの脱却だったのだが、慎ましさを売却したあたりから彼女の足は我が子から遠退いて行く。目先の享楽を選んで生きてきた女において、それは至極当然の結果であった。

「つまり、君は決して捨ててはならないものを捨てたのだ。私は君を軽蔑するよ。そして後生、君が再び“親”などと名乗らないことを願って君を起訴する」

 初老の検事に諭されて何を感じたのか、すっかり憔悴した様子の女は黙ったまま、ただ、ゆっくりと頭を垂れた。

児遺‐コイ‐
未熟な恋 未必の故意

FIN.

6月の頭に報道された『神奈川県厚木市・5歳児放置事件』をきっかけに執筆を始めたものの、忙しさにかまけてしばらく筆を置いていた小咄

過去の類似作品『飢餓』は子ども視点でしたが、此方は母親視点です。
構成は被疑者が検事に聴取されている“”と、女が母親になり保護責任を放棄するに至るまでの“過去”という二つの時間軸からなり、“”を検事の台詞、“過去”を地の文で表しています。

そんなこんなで。
このような報道を見聞きする度、親は子どもと同様の方法で罰せられるべきだと思うAkashiです(`・ω・´)ぷんすか

親になれないなら親になるなとゆー私の考え方は短絡的かもしれません。が、しかし。そう仰る方々は親になることを安易に考えていやしませんか?

親になること”を最大限ヘビーに言うと、“何があっても死ぬまで子への第一義的責任を負う”わけで。
自分の種あるいは卵から成る人間をこの世にほっぽりだして、その人間が健康で文化的な最低限度の生活を営めるようにしなければならないのです。

虐待などで巷を賑わす親モドキの多くが“ほっぽりだす”ことで親になったと思っているようですが、そんなことならガキでも出来るっつーの。

如何に早熟な小学生が妊娠しようが、あるいは妊娠させようが、それによって親になれますか?
極端な話、人知れず出産まで至った場合は当事者の親(新生児の祖父母)が戸籍上も育てる上でも保護者としての責任を当事者に代わって負うと思うのです。
理由は単純明快、本来の親が親になれないから。

結果、この世にほっぽりだすだけでは親になれないわけです。
だからこそ血の繋がりは関係ないのだけど、その繋がりを気にするひともまた親にならなければ良い。恋人にしろ伴侶にしろ、その連れ子の親になれないのなら別れたら良い。

親になれない人間はとことん親にならなくて良いのです。
中絶できなかったのなら赤ちゃんポストに入れてしまえば良いのです。
虐待してまでも手元に置くくらいなら施設に預けてしまえば良いのです。

世の親モドキさん、如何ですか?
社会的体裁を気にした挙句に犯罪者となるよりよっぽどマシでしょう?

話は逸れましたが。
父親である斎藤幸裕曰く「彼女ができて理玖の養育よりも彼女に気持ちが傾いていった」だそうです(´^ω^`)なるほど

たかが恋愛程度で放棄したくなる義務なら最初から負うんじゃねえ!щ(゚Д゚щ)ゴルァ

…と。
いけませんね、真実を知らないのに煽り立てたりして(´・ω・`)しょぼーん

そんなわけで。
父親はゴミだらけの6畳間に閉じ込めて餓死に至らしめ、母親は外部との連絡が一切絶たれた6畳間に7年間監禁してみたら如何でしょう?←

道徳心に満ちた方は「復讐は良くない」と仰るのでしょうが、話の通じる人間が子殺しをしますか?常識と道徳を弁えた人間が子殺しをしますか?

元より畜生なのです、道徳心など持ち合わせているわけがない。我々の常識が通じなければ説諭が罷り通るわけもない。
三食きっちり出る刑務所で自省を見込むなんて生温く、日本人はほんとうにお優しいお人好しです。


…おっと。
そろそろ非国民になりそうなのでどろん致します(・∀・)にんにん


ではでは。
生温い日本人の最たるゆとり世代ド真ん中!Akashiでした(^O^)/

前の記事へ 次の記事へ