白百合の絵本と毛糸。

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2015/10/06 [Tue]
一次創作SS◆海の列車
話題:創作小説
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 私はずっと憧れていた。
 あの海を渡る列車はね、大人しか乗れないのよって聞かされて、ぼやけた光を返す茶色の車体が走る光景を見るのが大好きだったから。
 いつか私も大人になって乗ってやろうと、乗り込む人達を羨ましく見送っていた。


 *海の列車*


 ようやく二十になって、私はぎっちりと詰まった鞄を開かぬよう縄で締め上げた。切符はとても高価だったけれど、今までお小遣いをこつこつと貯め、許される年からは働いてどうにか足りた。
 購入済みのその小さな長方形を握りしめて眺める度、胸がわくわくと弾んでくる。
 もうすぐだ。きっとふかふかの椅子も、長い長い暗闇を越えて見知らぬ景色を臨むのも、カラカラと物売りがお弁当を勧めてくるのも。
 全ての準備が抜かりなく終わったと確認して一息吐いた頃、お母さんが私を呼びに来た。
 呼ばれた通り広間に行くと、お父さんもお母さんも貝と昆布で出来たソファに座っていて、私は向かいにある一人用の椅子に腰掛ける。
 食事は終わっているから、魚の骨で作られたテーブルには何も乗っていない。

「ねえ、本当に行ってしまうの?」

 出発前日で不安になったのだろう。否、もともとお母さんは反対だった。お父さんも初めに伝えた時は難しそうな顔をしていたっけ。
 小さな頃は大人になったらね、なんて言っていたけれど、あれは子供だった私を適当に往なす為の言葉で、まさか本当に大人になっても乗りたいと言うとは思わなかったに違いない。

「使ってしまったお金ならまた貯めれば良い。家もあるし食事だって母さんが作ってくれるんだ、今やめたってここで暮らしていけるさ」

 話し合いは切符を買う前に済ませたのに、お父さんも改めてそう言った。前日の意思確認……違う、不安になっただけではなくて、きっと本当は引き留めたいのだ。
 ずっとこの場所で暮らしていたのに、それが急に列車に乗って外へ出るだなんて。
 友達も何人かは言っていた。
 本当に大丈夫なの?怖くない?やめた方が良いんじゃない?って。
 でも別の何人かは羨ましがっていたっけ。勇気があって良いなって。
 子供の頃、あの格好良い無機質の姿と、子供と同じようなキラキラとした顔をして乗り込んでいく乗客と、またぽーっと海全体に響かせるような汽笛に憧れたのは決して私だけじゃないのだ。

「ううん。行くよ。切符はもう買ってしまったのだし、その時に決めたのだから」

 その子供の頃の憧れだけで気軽に乗れるようなものではないと、十四くらいの年で知った。
 あれは、私のような海の中で暮らすもの達が地上に出るための列車。切符は大概片道切符だ。往復なんてとても高くて、まず帰って来られる人はいない。
 それでも地上と言う憧れか、地上の者になりたい生まれ変わりの願望か、はたまた単に未知への興味が高まり過ぎたのか。乗る人はそう稀有な存在ではなかった。
 私が初めて存在の確かな理由を知った時も、相変わらずあの列車の姿が好きだったのだけど、流石に戸惑ったのは覚えている。両親と別れて誰も頼れない未知の世界に行く事。それにその時の私には途方もない金額だった切符。大人しか乗れないと言っても、それは限られた大人と知った。

『大人になったら何になりたいですか?』

 学生だった時、先生が聞いてきた事。皆は口々に答えて、建築家になりたいとか真珠を育てる仕事に就きたいとか言っていた。
 でも私は始めの頃、答えられなかったのだ。一番始めに聞かれたのは十歳の頃だろうか。あの頃は列車が好きでも知らずにいたから、『列車に乗りたい』で答えになるとは思わず、まさか列車になりたいとも答えるような年じゃなかった。
 次に聞かれた時は迷っていた。でも他に何も浮かばなくて答えられなかった。
 最後に聞かれた時。私はようやく答える事ができた。

『列車に乗って外の世界へ出るつもりです』

 教室がざわついた。先に述べたような事を友達に聞かれた。先生の瞳は戸惑いに揺れて、でも無難にその場をまとめた。
 私にはそれしかなかったのだ。それしか考える事が出来なかったのだ。
 それで良いのだ。自分が真っ直ぐに進めるのなら。
 ようやく気が付いた時、知らない世界でも怖くはなくなっていた。否、怖かったとして、皆どこかで不安や恐怖を抱えるものだ。未来なんてわからないし、保証だって何処にもない。その不安が私には海の外だったと言うだけの事。むしろ、今更違う事を選ぶ方がよっぽど私には怖かった。
 その日は学校が終わってすぐ、久々に駅に向かった。小さい頃みたいに、齧りつくように列車を眺めようと思ったから。
 そうして今に至るのだから、私は明日に向けて眠る為、両親にはっきりとおやすみと言った。



「行ってきます」

 相違って改札口にしゅっと切符を入れ、出口で穴の開いた切符を受け取ると、最後にもう一度お父さんとお母さんの顔を見て手を振る。
 発車時刻までゆったりと待つ大きな茶色の車両達を見上げて、私は笑う。

「お待たせ」

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