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やすらわで


 
赤染衛門の作った歌。受け取らされたのはこの人の妹との約束をすっぽかした男の人(笑)
赤染衛門が妹の変わりにこの歌を作ってやりました。
 
やすらはで 寝なましものを 小夜更けて
かたぶくまでの 月を見しかな

 
内容は約束をすっぽかした男への軽い恨み言。
 
来ないと分かっていたらぐずぐずせずさっさと寝たのに、あなたが来るって言ったから待っている内に夜が更けて西に傾いていく月を見てしまいましたよ。
 
来ないなら来ないって言えよ。来るなら来るでさっさと来い。みたいな(笑)

ありあけの

ありあけの
 
壬生忠岑の歌で百人一首にも入ってます。壬生忠岑は身分の低い武官だったんですが、歌人としては一流だったそうです。
この歌、百人一首大会の時には有明と暁、どっちが先だっけ?なんて事になってたなぁ。
 
有明の つれなく見えし 別れより
暁ばかり 憂きものはなし

 
月は見上げた時の気分によって結構違う印象受けますよね。
 
夜明け前の有明の月は本当に白々と冷たくそっけない。貴女に冷たく帰りを急かされたその時から私には、夜明け前の暁ほど憂鬱で辛く感じる時はありません。
 
「有明の」は、有明の月のこと。有明の月は、夜遅くなってから朝早い時間にかけて見える月。
何となく意味がわかるでしょうけど、女性を訪ねていったけどあってもらえなかったんですね、この人。
ようは、軽い恨み言(笑)

わがそでは

わがそでは
 
二条院讃岐の歌。この人については管理人櫻月、あんまり知らなかったり(笑)この歌から沖の石の讃岐って呼ばれる事になったって事くらいしか。讃岐って言ったら讃岐うどんだよねー、な管理人だから。
あ、もう一個知ってた。知ってたってか…あれ違うかな?この人についてってか、この歌が百人一首に入ってるって事なら知ってる。人はなくて歌の方を知ってるってだけかこれ。
 
我が袖は 潮干に見えぬ 沖の石の
人こそしらね 乾く間もなし

 
なんか知らんが、管理人、人こそしらね、とか、乾く間もなし、ってフレーズが好き。何故か。
…ほんとなんでだろ?
 
私の袖は引き潮の時ですら見えない沖の石の様です。
人知れず常に濡れて乾く間もありません。

 
こんな感じかね?訳すなら。どんだけ泣いてんだこの人。
因みに恋の歌。みんな好きね、恋の歌。
いつか作品に引用してみたいんよね、恋の歌。

うたたねに

うたたねに
 
まぁた小町ちゃん。小町って今だと可愛い子を指すらしいね。
てか平安時代の美的感覚って今と違うんだろうけど、あの絵じゃ実際どんな顔してたか分かんね。なんて思う。写真とかで実際撮ったら今でも本当に美人だと思える人かもしれないのにね。
………実に惜しいっ。美人はこの世の宝だよ!
 
うたたねに 恋しき人を 見てしより
夢てふものは 頼みはじめてき

 
何回読んでも恋心を含む歌って理解し難いよぅ…。
そりゃ、お互いに想い合ってた方が良いんだろうけど、別に好きなら好きで良いじゃん。
相手がどう想っていても好きなんだから。その感情に対して相手が不愉快そうだったら自然と冷めたりしないもんかね?不思議なもんだ。
えーっと?
 
転寝をして夢に好きな人が出てきてからは
あなたに夢で逢えるのではないかと期待するようになってしまった。

 
多分こうだと思うんだけど、逢える事じゃなくて自分を想って夢を渡って来てるのだと思い、その夢を頼ってしまう。かも?
いや、時代的に。相手が自分を想ってるから夢に出るって信じられてたっぽいから。
人に言われて櫻月は気付いたんだけどね。とっさに当時の俗信なんて思い出せんかったにょ(またにょって打ったよ自分!)
夢に過ぎないけど私をあなたが想っているから夢に出るのだと思いたい。って感じなのかな?うーん、むずい。
 
てか小町ちゃん!どんだけ夢で逢いたいんだ!(笑)

いまはただ

いまはただ
 
左京大夫道雅の恋を詠った歌です。小倉百人一首にも入ってます。
管理人が学校の百人一首大会でくしゃみしてる最中に取られて中々悔しい思いをした歌でーす。あはは、こんにゃろう。
 
今はただ 想い絶えなむ とばかりを
人づてならで いふよしもがな

 
この歌って未だに上手く訳あてられないんだよねー、なんでか。親が持ってる百人一首の解説本に書いてあったけど、どこしまったか忘れちゃってるから見れないしなー。
うーん。
あ、因みにこれを宛てた相手って当子内親王だったりする。つまり、以前櫻月が可哀相だって表した式子内親王と同じで皇女様。
確か、三条天皇の娘さんだったかな?…今一自信ないけど。気になる人は自分で調べて下さい(殴)
 
さて。自信の無い訳(意訳)いってみよー。
 
今はもう、貴女の事を諦めようと思っています。でもできるなら、人伝ではなく私の口から伝えたいです。
 
いつもだけど、意訳と言うかもうなんとなくこんな感じって適当さ加減。
思いを絶えさせようとしていますけど人伝ではなくって、諦める気あるんでしょうかね?なんて思うんですけどね、この歌。
 
あぁ、そうそう。
諦めようとしてるってあるけど、この二人、周りにバレちゃってます。式子内親王と違って。
しかも三条院にも知られちゃったから会えなくなって、それでも御所の手摺に結び付けてきた歌。
………よくやるよねー。見付かったらどうする気だったんだろ。
 
因みにこの後、当子内親王は悲しみから尼になる(俗世捨てちゃう)し、道雅君はグレちゃったそうですよ(学生かっ)。
別に認めてあげても良いと思うんですけどねー。人間社会って難しい事。
…どうでも良いケド、平安時代の垣間見文化って、一歩間違えたらかなり怖ろしいような?
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