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崇徳

崇徳院(すとくいん)

大天狗

元75代天皇。74代鳥羽と76代近衛(近衛の後が後白河)の間。
1119年7月7日生まれで在位は1123年から1142年。
崩御は1164年に讃岐国で。その為異称は讃岐院。

鳥羽天皇の子(ただし、鳥羽には叔父子と呼ばれ嫌われたという逸話がある)。諱は顕仁(あきひと)

讃岐への配流には寵妃と僅かな女房のみでその後二度と京に戻る事なく8年後に崩御。
三木近安に暗殺されたという説がある。

配流先では仏教に傾倒して五部大乗経の写本(血で書いたとか墨で書いたとか諸説あり)を作り、戦死者の供養と反省の証にそれを京の寺に納めて欲しいと朝廷に送るも、後白河に「呪詛が込められているのではないか」と送り返されました。
それに怒った崇徳院は「日本国の大魔縁となり、皇をとって民とし民を皇となさん」「この経を魔道に回向す」と血で書いたそうです。
んで、その後生きながら天狗になったとか。怨霊伝説の方ではね。

保元の乱の後暫く崇徳は罪人扱いで、崩御した時も後白河にその死を無視したから朝廷からは何も無しで、国司が葬礼をしただけ。
 
因みに四国では四国全体の守り神さんだって伝説もある。
室町幕府官領の細川頼之が四国の守護になった時に崇徳天皇の菩提を弔ってから四国平定に成功して以後細川氏代々の守護神とされたんだとさ。

あと、土佐に流された土御門上皇が御陵の近くを通った時に慰める為琵琶を弾いたら、崇徳天皇が夢に現れて上皇とその家族の守護を約束したんだって。
 
長いんで省きましたけど、配流の理由とか結構可哀相な人。
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