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床がひんやりしていて気持ちいい。重力に逆らわずに、車に轢かれて道端で死んでいる野生動物よろしく倒れたままいると、おい大丈夫かよ、とさっき殴ってきた手がゆさゆさと揺すってくる。冗談でも、脳震盪を起こしていたらどうするんだよ、だとか、揺すったらさっき飲んだウイスキーが夕飯と混ざって出てくる、だとかそんな言葉が浮かんだけれど、目の前がちかちかして上手く言葉にならないまま、口は笑った形を作っていた。
うねる肉体は皺がなかった。背中に筋肉がしっかりついている人間の身体は、お偉いさんが作った美術品のようだった。テレビでしか見たことのない何とか像を思い出しながら、そんなことをぼんやりと思っていた。反対に、腰を振れば振る程ベッドのシーツはしわくちゃになっていく。いつか俺が爺ちゃんになったらこんな顔になるのかな、そんなことを言ったら、この張り詰めた肉に覆われた背中の彼は何と答えるのだろうか。聞こえないかもしれない。セックスに夢中で、発情期のライオンのような声を上げているから。それでも言うのはただだろうけど。
自分が望むぐらいのものなどたかが知れていた。己の想像の内から生まれ出てくることは、大概が劣化した何かのコピーだった。それを声高に、作り出したものだ、何よりも目新しく斬新だ、と好き勝手ラベリングして吹聴するぐらいなら、何も見ず、聞かず、手の中は空っぽにして、妄想だけに止めておけば良いのだ。言葉にしなければ、知っているのは自分だけだった。自分の意識と記憶だけが、望みを脳内で具現化し、可視化してくれる。便利なミニシアターであるヒトの脳みそは、知り得た情報や知識を組み合わせて、人には決して言えないような事柄を、ショートショートの妄想フィルムを作り出してくれる。それで満足だった。少なくとも今まで生きてきた時間の中で、それで事足りる充足感を得ていたのだ。
耳が痛くなる程の寒さはもう慣れたものだった。吐く息も白く、もしかすると鼻の頭は赤くなっているかもしれない。冷え込んだ冬の夜は人が仕事をするような環境ではないと思う。それでも、誰かがあたたかいベッドの中で熟睡出来るよう、明日の朝食を美味しく食べられるよう、安寧の日々を害獣から守るのが仕事だと思えば、納得出来たものだった。例えばその"誰か"が明後日には自分かもしれない。そう考えれば、どんなにきつい仕事だろうが汗水垂らして働けた。
年 齢 | 33 |