WiFiを春にドコモ光で入れてから、プロバイダーがルーターの無料配布している案内の封書が誰かによってありえない場所に置かれ気づかないまま夏が過ぎ、ようやく封書を見つけて申し込んでルーターを先月ゲットしてからわが家のWiFiは高速で使えてiPhoneSEちゃんがとても快適になった。
 モデムとルーターがむき出しで置くのも味気なくて、雑貨屋さんからカゴと猫の手ぬぐいを買ってきて入れたらいい感じになった。配線が長かったら置き場所ももっと考えたのに意外と短い。とりあえず動画観る時も、アップデートも止まることなくスイスイだから入れて良かった!

 つい先日、詩人時代にお世話になった大手出版社のK社長さんから電話が来た。家の電話にかかってくるのは大抵セールスかアンケートぐらいだから居留守でやり過ごそうかと迷ったが出てよかった。
 「何年ぶりかな?その後変わりはないかね?」と私の様子を窺い「○○さんにやっと本当のことが言えたよ」と、本題に入った。

 今から二十数年前に遡る。私が詩人としてデビューして一年が過ぎた頃、尊敬していたが会ったことがない有名な作家が「○○(出版社)の社長自らが無名の作家を駅までわざわざ送り迎えしている」と陰で噂を広げ、なんと連載コラムや『笑っていいとも!』のテレフォンショッキングでもネタにしたのである。大好きなタモさんにも知られてしまったショックでしばらく寝込みそうになった。
 社長さんが直々に迎えに来てくれたのは、亡くなったばかりのある人から「俺に何かあったらこの子のことを頼みます」という約束を守って、社長さんご自身も手足が不自由な私のことを気遣ってのことだった。そのあと出版社名義で下落合にアパートを借りて私に自由に使っていいとまでしてくれたが、東京で暮らす気にはならず、申し訳ないと思いながらも遊びも仕事も上京した時は新幹線を使い、ビジネスホテルに泊まっていた。
 とりあえず文庫本の処女作は第一刷
は完売するくらい売れて、社長さんにお礼できる日が来たら何かでお礼しようと考えていた。ただまだ十代の小娘が何かしたいと思っても考えるのはたかが知れてる。そうしてずるずると三年近く社長さんに世話になった。その間に、東京駅で社長さんの車に乗り込む私の姿を見た例の有名な作家の取り巻きの人が目撃したようなのである。社交的でとにかく有名な作家だから噂は相当広まったが、私は表立ってパーティーやメディアに出るタイプじゃなかったから誰も私の真実の姿を知らなかったのも災いしていただろう。その噂はつい最近までネタにされていたようだが、弁解する機会もなくそのままだった。許せなかったのは私のことを思って面倒を見てくれた社長さんの悪口のように広まったこと。何としてもこのことはいつか名誉を回復して差し上げねばと思っていたが接点も脈略もなくいたこと。そのことを知っていたのは社長さんと私と辻仁成さんだけ。辻さんは既に忘れてしまっているようだが(笑)。
 そんなこともあり、詩人時代のペンネームは一切使わなくなってしまったし、詩を書く気も失せて二十年以上経った。

 電話に戻る。あるパーティーで社長さんは先日、その有名な作家に会い、当時のことを話す機会ができてすべて話したらしい。手足が不自由な身体障害者の少女が福島から上京してくるのに都心は危険すぎるから、せめて駅から目的地の近くまで送迎してあげたかったんだと話したら「全然知りませんでした。失礼なことをして申し訳ありません。その女の子…もう女の子と呼ぶには失礼ですね、その女性にもお詫びしていたこと伝えてくださいね」と仰ったらしい。長年、その作家に対しては「陰で言わず表立って私に直接言ってこいや〜!いつでも受けて立ったるでぇ〜!覚悟しいや!」(笑)と細っそい煙草に火をつけながら『極妻』の岩下志麻姐さんばりに代理戦争受けて立つ!ぐらいに思っていたが(笑)、社長さんも水に流すと仰るしもう許そうと思っている。
 そして現在、正確には社長さんではなく某王手企業の相談役だそうだ。それでも私にはいつまでも「社長さん」なのである。そして私の「東京のお父さん」。

 こうして陰ながら見守ってくれてる人がいるというだけで、どんなに心強いか。私にこれまで助けてくださった方々にお礼して参りたいが、なかなか難しい。手紙も書いたら良いのだろうがなかなかその気にならない。駄目だな…私。






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>>ななたんさん
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向田先生のお父様とうちの父は似てますね。
私と父の関係も向田先生のと似てる気がする。だんだん仲良くなっていろいろ話せるようになった矢先に亡くなりましたしね。
ななたんさんのお父様、大切に!