2023/12/12 Tue 00:12
「池袋のポルターガイスト現象」恐怖史★天井裏の巨大音、茶碗が飛び交い瞬間移動も★江戸時代中期、勘定奉行を務めていた根岸鎮衛が記した実話怪談『耳袋』などに記載あり…の巻





話題:オカルト







12月に入り、忘年会のシーズンが到来。

ここ数年のコロナ禍による自粛が緩和され、今年は繁華街で千鳥足の団体を目にする機会もぐんと増えた。

新宿と並ぶ都内有数の繁華街、池袋の街にもようやく活気が戻ってきたが、実は池袋をめぐっては、奇怪な都市伝説が数多く語り継がれている。

そのひとつが「池袋のポルターガイスト」と呼ばれるオカルト現象だ。

超常現象に詳しい民俗学専門家が解説する。

「これは江戸時代中期、勘定奉行を務めていた根岸鎮衛が記した実話怪談『耳袋』などに記されている、不思議な現象のひとつです。池袋から雇った下女と関係を持った家人の身の回りで突然、天井裏で大きな物音がしたり、茶碗が飛び交ったり、台所の臼が座敷に移動したり、といったことが起こり、下女に暇をやった途端に怪現象が収まった、というもの。以降、この下女は『池袋の女怪』と呼ばれ、恐れられるようになったのです」

池袋の女怪が謎のポルターガイスト現象を起こす、という噂は、あっという間に江戸中に広がっていった。

そしていつの頃からか、「石投げをしてボロの出る池袋」「下女の部屋振動こいつ池袋」「瀬戸物屋どびんがみんな池袋」「池袋世間知らずのへこばまり」という奇異を詠んだ川柳が、江戸の町で詠い継がれるようになったのである。

前出の民俗学専門家がさらに解説する。

「池袋は七面大明神の氏子で、七面大明神は弁財天とも言われ、とても嫉妬深い神様であるため、神様を汚したことによる祟りだとの説もあります。また、当時の池袋はたいへん閉鎖的な過疎地で、村の若者の中には、若い娘を自身の共有物とみなす者もいた。彼女らが他の土地へ働きに出て、しかもその土地の男と交わったとして、報復のために怨念を飛ばして不可思議な現象が起こしていた、との説もあります。いずれにせよ、このポルターガイスト現象の裏には、彼女たちを取り巻くなんらかの深い情念があったことは間違いないようです」

池袋から女性を雇い入れた家に起こる、謎の超常現象の数々。

あの街にそんな恐怖の歴史があったことには、驚くばかりなのである。

(アサ芸プラス発)







池袋通り魔殺人事件(1999年に日本の東京都豊島区で発生した無差別殺人事件)や、東池袋自動車暴走死傷事故(2019年4月に日本の東京都で発生した交通事故)などの大事件が起こった池袋。

池袋で人が巻き込まれる事件が多発する理由のひとつに、辻斬りの供養のために作られた「四面塔」の存在があげられる。

江戸時代、池袋では辻斬りが多くて、一晩で17人も殺されたことがあり、その供養のために作られたのが四面塔。

駅を開発するときに、一度場所を変えたこともあったようだが、そのときにいろいろ不吉なことが起こって、結局元に戻した経緯も。

四面塔は享保6年、1721年9月に、当時の名主・篠太郎佐衛門が池袋村64人の賛同者により建立したもので「池袋村六十四人講中」の文字が、正面には「南無妙法蓮華経」と刻まれてある。

数々の怪異がささやかれる四面塔は、池袋東口P'パルコの隣にある。

そばにあった松の木で首をくくる人もあり、辻斬りや追いはぎだけでなく、自死した人の供養も兼ねている。

この辺りは板橋宿に通じる道があり、宿場で遊ぶために懐に金を入れた人たちを賊が狙った。

昔は人気もなく、うっそうとした森だった。

明治36年に池袋駅が出来たころでも、狐の鳴く声がしたという。

四面塔は道しるべでもあり、左側に「武州豊島郡行けぬ黒村」「南方高田雑司谷道」と刻まれ、右側には建立の日付と「北のほう板橋みち」と記されている。

四面塔に関する逸話を調べてみると、1959年7月の「週刊東京」に「四面塔にたたられた怪異」という記事があった。

パルコの前身である丸物百貨店で、1週間のうちに2回、不思議な事故があったという内容だ。

1つは、池袋に住む寿司屋の主人が3歳の子どもと、丸物百貨店の屋上でヘリコプターに乗って遊んでいると、ヘリコプターが突然落ちて、子どもが落ちてケガをした。

ヘリコプターの心棒が折れたのが原因だが、容易には折れないはずのものだった。

もう1件は、それから5日後のこと、同じく丸物百貨店に子連れで訪れていた練馬区の女性が、7階から6階に降りる階段で、何者かに頭を殴られてその場に倒れた。

丸物百貨店のなかった頃、池袋駅の構内の邪魔とばかりに四面塔を移動させたところ、怒りに触れて当時の駅長が2、3日でポックリ死んでしまったとある。

また終戦後、西武池袋線であまりに事故が多いことから、易者に見てもらったら「四面塔を粗末にしているからだ」と言われたが、当時は駐留軍の兵隊たちが物珍しさに小便をひっかけていたりしていたのだ。

その後、西武池袋駅は駅員たちが始発電車の出たあとで、四面塔を掃き清めるようになった。

この塔を移転するときは、人夫8人が下敷きになって亡くなった。

これ以上事故がないようにと、祠を立てた。



丸物百貨店付近にあったから、四面塔は呪いのデパートになったような。(´д`|||)

とりあえず、四面塔にしょんべんを引っ掛けた進駐軍のバカに、天罰下れ!(ノ`△´)ノ

滅べ、この罰当たり!(# ゜Д゜)



ブー(^0_0^)



(^^)/(^^)/








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