2019/9/26
Thu
01:46
予備校のカリスマ英語講師だった「金ピカ先生」こと佐藤忠志氏が都内の自宅で死去…の巻
話題:一般ニュース
予備校のカリスマ英語講師で、「金ピカ先生」の愛称でタレント活動もしていた佐藤忠志(さとう・ただし)さんが、都内の自宅で死去していたことが24日、分かった。
68歳だった。
佐藤さんは生活保護を受け、独り暮らしだったが、関係者によると、デイケアセンターの職員がこの日、自宅を訪問したところ、冷たくなっている佐藤さんを発見したという。
死因は不明。
司法解剖が行われる。
1980年代、コワモテの顔に金のネックレスの風貌でありながら、代々木ゼミナール、東進ハイスクールなどの予備校で生徒から絶大な支持を受けていた佐藤さん。
人気が高じてタレント業にも進出し、「全盛期には年収2億円超えた」とも語っていた。
87年には秋元康氏がプロデュースした「1度きりだぜ人生は―花の受験生応援歌―」で“歌手デビュー”するなど、華々しい生活を送っていたが、近年は寂しいものだった。
2009年、それまで一度も訪問したことがなかった鹿児島・種子島の西之表市長選に出馬。
本名よりも知られている「金ピカ先生」の名前で届け出たが、惨敗した。
その後は2度の脳梗塞と心筋梗塞を患ったこともあり、表舞台から姿を消した。
18年のスポーツ報知のインタビューでは、日本に1台しかないというクラシックカーを購入する“車道楽”や暴力などが原因で夫人とけんかし、16年ごろから別居していることを告白。
離婚調停中だった。
自らの生活について「隠居。生きる屍(しかばね)ですよ」と自虐的に話し、朝から酒をあおるなど、不摂生を続けていたが、それまでの人生を「バラ色」とも語っていた。
■佐藤 忠志(さとう・ただし)
1951年5月4日、東京都生まれ。慶応大学法学部政治学科卒。筑波大学大学院修了。77年に代々木ゼミナール講師となり、旺文社の大学受験ラジオ講座担当。88年、東進ハイスクールへ移籍。「金ピカ先生」の愛称で知られ、40万部突破の「ズバリ!合格の英単語」など参考書、著書多数。タレントとしても活動し、テレビ番組「天才・たけしの元気が出るテレビ!」やVシネマ、ドラマに出演。拓殖大では客員教授も務めた。2001年に参院選、09年に鹿児島県西之表市長選に立候補するも落選した。
(スポーツ報知発)
儲かっているときに、しっかり貯金しておけば良かったのに。( ̄ー ̄)
散財し過ぎだろ。
老後を支え合うはずの嫁さんを追い出してしまったら、ジジイなんかあっという間にみすぼらしくなってしまうんだよ。(´д`|||)
嫁を粗末にした罰?
いや、故人を悪くは言うまい。
そういう人生を自ら選んで、それを「バラ色」と感じていたのだから。
人生、自己満足?
晩年はナマポ生活でも、いい夢を見られた好き勝手な人生だったんだろうなぁ。( ̄ー ̄)
合掌。
(^-^)/(^-^)/
コメント(
0)
back
next
[このブログを購読する]
このページのURL
[Topに戻る]