2018/8/22 Wed 02:29
日本の有名バンド6つの解散劇…の巻





話題:芸能ニュース








先だってX JAPANのリーダーYOSHIKI(Dr)が、自身のニコニコチャンネル『YOSHIKI CANNNEL』で、X JAPANとしては2010年の日産スタジアム2days公演以来の大型公演を開催することを発表。

YOSHIKIとToshi(Vo)の間に流れる不仲説が流れるなか、幕張メッセでの3daysが行われる。

X JAPANといえば、1997年に一度解散しているのはご存じのとおり。

当時はToshiが脱退の意志を表明した。

あれから20年以上の時を経て、再び両者の間に亀裂が生じているとウワサされている。

一般的にバンドの解散理由としては音楽性・方向性の違い、ギャラの取り分での衝突などがあるが、やはりメンバー同士の不仲というケースが多いのではないだろうか。

そこで今回は、「不仲」を理由に解散もしくはメンバーが脱退した日本の有名バンドを集めてみた。

バンド崩壊後にそれぞれがたどった明暗とは?



■メンバー同士の嫉妬が原因だった?【キャロル】

“永ちゃん”の愛称で親しまれ、幅広い層から支持されるロックシンガー矢沢栄吉が、かつて在籍していた伝説的ロックバンド、キャロル。

活動中から矢沢(Vo)とジョニー大倉(G)の仲は険悪で、1975年の解散の原因もふたりの不仲が限界まで至ったからとされている。

解散以降も両者の間柄は決して良好なものではなく、ジョニー大倉自身も度々メディアで敵対をほのめかす発言をしていた。

人気と知名度は矢沢のほうが圧倒的にあるせいか、彼らの不仲はジョニー大倉の一方的な嫉妬と捉えられがちだ。

しかし一方で、ジョニー大倉がキャロル時代より俳優として活動しており、それに矢沢が嫉妬していたという話もある。

2013年にジョニー大倉は肺ガンで亡くなった際、矢沢は追悼コメントこそ出しても、告別式を訪れることはなかった。



■印税格差で不満爆発?【チェッカーズ】

80年代にアイドル的な人気を誇っていたチェッカーズ。

藤井フミヤ(Vo)と高杢禎彦(Side.Vo)の確執により、7人のメンバー間には派閥が生じていたことが知られている。

デビュー当初の楽曲は外部に委託していたが、中期にさしかかると作詞作曲をバンド内だけで手掛けるようになり、結果、個々のメンバーのソロ活動が目立ち始める。

やがてチェッカーズのほとんどの楽曲をフミヤが作詞、鶴久政治(Side.Vo)が作曲を担当するように。

それに対して高杢は一部の作詞を担うのみで、印税収入で格差が生じてしまうことに。

そんな不仲・不満を抱えたままバンドは1992年に解散。

その後、高杢はフミヤとの関係を暴露する本を出版し話題となる。

フミヤはこの本を「デタラメ」と断じ、両者の確執は公然のものとなった。



■現在はメンバー1人のハウンド・ドック

全盛期には日本武道館で15日連続公演を行うなど、日本を代表するロックバンドのひとつだったハウンド・ドック。

現在、正式なメンバーは大友康平(Vo)ただ1人となっている。

背景には、2005年に大友と当時の所属事務所との間に意見の相違があった。

これにより大友は独立して個人事務所「イエホック」を設立。

しかしこれは大友の独断だったため、蓑輪単志(Key)、鮫島秀樹(Ba)の反感を買うことに。

かつての所属事務所も強制的に解散させようと動くが、これに対して大友は蓑輪、鮫島が脱退したと発表する。

そして大友は、彼ら2人を除く個人事務所に移籍した4名でバンドを続けることを宣言。

これに対して蓑輪、鮫島は「脱退はしていない」とコメントを発表。

所属事務所は大友含む移籍メンバー4名に対し損害賠償を請求。

大友も名誉棄損で反訴する。

さらに2006年には大友と移籍組3人との間にも確執が生じて、3名はイエホックを解雇されてしまう。←実はわがままな大友康平!(ノ`△´)ノ



■メンバーの宗教傾倒で解散した【ザ・ブルーハーツ】

『リンダリンダ』で知られるパンクロックバンド・ザ・ブルーハーツ。

活動の中期以降、河口純之助(Ba)が幸福の科学にのめり込み、1991年に入局する。

その後バンドのファンやスタッフを勧誘するなど問題を起こし、甲本ヒロト(Vo)と真島昌利(G)の怒りを買うことに。

バンド自体は1995年に解散するが、ファンの気持ちを考慮して、バンド活動中は宗教にハマっていた事実はふせられていた。

解散後、河口は音楽活動を続けつつ、幸福の科学の政党である幸福実現党の宣伝局長代理を務めるまでになる。

一方、甲本と真島はその後ザ・ハイロウズを経て、現在はザ・クロマニヨンズで活動を共にしている。

一部のファンの間では後継バンドという形でザ・ブルーハーツは存続していると声もあるが、そこに河口が合流することは二度とないと言われている。



■途中加入メンバーの下剋上が引き金で解散【ジュディ・アンド・マリー】
 
1996年発表のシングル『そばかす』でブレイクを果たした女性ヴォーカルのロックバンド・ジュディ・アンド・マリー。

当初バンドの実質上のリーダーは恩田快人(Ba)だったが、途中で加入した恩田より8歳年下のTAKUYA(G)がミュージシャンとして頭角をあらわしはじめ、活動の中期にはシングル曲のほぼすべてをTAKUYAが作曲するまでになる。

下克上する形でバンド内でイニシアチブをとり始めるTAKUYA。

これが原因で恩田が脱退を表明し、それが引き金となって2001年に解散。

その後、TAKUYAはソロデビューを果たし、音楽プロデューサーとしても活動する。

一方の恩田も同様に音楽活動を継続するが、知名度という点では過去の華々しさには及んでいない。



■税金滞納で商標差し押さえになる【黒夢】

90年代のヴィジュアル系ブームを語るうえで、欠かせないバンドといえる黒夢。

結成当初はギターとドラムを含む4人編成だったが、最終的にメンバーは清春(Vo)と人時(Ba)の2人に落ち着く。

1997年から1998年にかけては約230本ものライブをこなすなど勢力的に活動していたが、人時が清春に脱退を表明。

理由は音楽活動よりも家族との時間を優先させたいというもの。

これを受けて黒夢は、1999年に無期限の活動停止を発表する。

清春は人時より年長者で兄貴分のような存在。

人時は清春のワンマンな気質に辟易していたという説もある。

のちに2009年には一夜限りの復活かつ解散ライブを行い、正式に解散。

ところが翌2010年には再結成。

2016年には税金滞納により「黒夢」の商標が差し押さえられる異例の事態まで発生した。

(日刊SPA!発)















経済的に行き詰まると、バンドは解散する。

売れないと解散。(´д`|||)

それでも「音楽性・方向性の違い」での解散と宣う。

最後までミュージシャンとしてカッコつける。( ̄ー ̄)

あと、紳士服のフナカでの解散も。

バンド内での主導権争い。

収入格差。

バンドを維持するのは、ヒット曲を出すより難しいかもよ。

知らんけど。(´д`|||)



ブー(^0_0^)



(^-^)/(^-^)/







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